第4話 闇賭博で戦う、黒の一號。

 

 夜。

 フラスコル・シティを揺るがす殺人事件が起こる少し前の事だ。

 再開発予定地の、廃ビルが立ち並ぶ一角で大勢の男女が盛り上がっているのを、一人の男が眺めていた。

 黒髪に黒のサングラス、黒いシャツに同色のジーパン。

 装飾品は首に下がっている、古ぼけた銀の逆十字アンチクロスのみ。

 特にこれといった特徴のない彼は、熱狂する柄の良くない連中の中では異質な程に落ち着いている。

 壁にもたれ、彼が眺める先の人だかりの向こうでは装殻者同士の賭博試合が行われていた。

 勿論、違法だ。

 彼の耳元には、視覚情報から群衆を解析する補助頭脳の音声が聞こえていた。

正常クリア』 『正常クリア』 『正常クリア』……

 補助頭脳は次々に、群がる彼らをただの装殻者であると伝えてくる。


「兄ちゃんは、参加しねぇのかい?」


 不意に、ぬらりと粘着質な響きと共に掛けられた声に、彼は軽く視線を向けた。

 いつの間にか彼の横にいた男は、声同様に粘り気のある濁った目を笑みの形に歪めてこちらを見ている。

 自動で男の解析を終えた補助頭脳が、結果を報告してくる。

警告ワーニング

 結果を受けて、彼は改めて男を観察した。

 スキンヘッドに隈取りのようなタトゥを入れており、中肉中背の体に比して異様に長い腕を持っている。

「初めて見る顔だねぇ。強ぇのか、ちっと興味あるな」

 無言のままの彼に対して、スキンヘッドの男は言葉を重ねた。

「俺は、クモ、ってんだ。兄ちゃんの名前は?」

 彼はそこで、初めて口を開いた。

「ハジメ」

「ハジメか。丁度空いたみたいだ。一発ヤラねぇか?」

 下卑た笑みで目を爛々と光らせる男に対して、ハジメは静かに頷いた。

「よぉし、次はこっちの兄ちゃんと俺だ!」

 クモが声を張り上げると、周囲がざわめいた。

 漏れ聞こえてくる周囲の声から察するに、どうやらクモはそこそこの実力者らしい。

 そして、対戦相手を痛めつける事に定評があるようだ。

 ハジメはクモに肩を抱かれるのに抵抗しないまま、四隅をジャッジポールに囲まれた簡易な闘技場に入った。

「さぁ、楽しもうぜ」

 クモがハジメの耳元で囁き、ようやく回していた長い腕をほどく。

『Standing bet』

 ハジメとクモが左右に別れると、ジャッジポールの音声とともに賭けが始まった。

『No more bet』

 30秒で賭けの参加を締め切ると、宙のスクリーンにオッズが表示される。

 おおよそ8:2。

 初めて見る顔であるハジメに賭けたのは、穴狙いの酔狂者達だろう。

『Veild up』

 ジャッジポールの音声指示に従い、ハジメは右腕を上げて二本指を立て、右肩から左腰へその指を一閃した。

 そのまま、跳ね上げた指を左肩を越えて顔の横に。

 最後に右腰へと指を払い、斜めに描かれた逆十字アンチクロスにより、キーが解除される。

 ハジメは両方の拳を腰元で握り締めた。

「―――纏身テンシン

実行レディ

 装殻装着を告げた彼の耳に、補助頭脳の電子音声が低い調子で響く。

 ジャッジポールの求める装殻情報へと、補助頭脳がダミーデータを送信する。


 そして、彼の秘めたる力が解放された。


 全身から粘液が滲み出し、空気に触れる傍から硬化してハジメの全身を覆う。

 滑らかな曲線を描く、艶消黒色の外殻が形成され。

 フルフェイスの、有機的な印象を持つ紅い双眼が光る。

 最後に前腕と膝下を覆う追加武装が展開し、彼は、人から異形へと姿を変えた。

装殻状態モード全能力制限フルリミット

 現れたのは、黒い装殻者。


 【黒の装殻シェルベイル】―――黒の一號。


※※※


「なんだそりゃぁ」

 黒の一號の姿を見て、同じく装殻を展開したクモと観客達が爆笑した。

 クモに掛けた者達はバカにした声を上げ、黒の一號に掛けた者は嘆きを口にする。

 人前で纏身した時に見られる、慣れた反応だった。

 彼の装殻は、周囲から見れば古臭い型遅れの装殻だからだ。

 だが、黒の一號は気にもせずに相手を観察する。

 クモの装殻は、そのあだ名通りに蜘蛛の特徴を備えたものだった。

 おそらくは、ピンキーライン社製の最新型。

 型式番号/PLH10:タランテール99ナインティナイン

「つまらねぇ骨董品野郎だったとはな。せいぜい嬲ってやるよ!」

 言いながら地面を蹴り、クモは拳を振るった。

 それを黒の一號が右手で難なく受け止めると、相手が驚いた気配が伝わってくる。

「ほぉ、ただのポンコツじゃねぇのか?」

「この賭試合は、Egイージーの使用を認めているのか?」

 黒の一號はクモの拳を受け止めたまま、逆に耳元で囁き返した。

「!?」

 さらに驚く気配を見せて、クモが飛び下がる。

 彼は、ひどく警戒した様子を見せていた。

 その様子を見ると、やはり周囲の者には秘密裏に使用したものらしい。

 裏には裏のルールがある。

 それを破った者がどうなるか、黒の一號は散々見て来た。

「てめぇ……」

「忠告しておくが、それをただのドーピングと思わない方がいい」

 言いながら、今度は黒の一號がクモに肉薄した。

 鋭く地面を踏み鳴らす音と共に、懐に潜り込む黒の一號に、クモは全く反応出来ていない。

「装殻適合率を上げる違法薬物……その行く末は寄生殻パラベラム化だ」

 言葉と同時に黒の一號が放った膝蹴りがクモの腹を捉えて、体を折らせる。

 その光景に観客は唖然とし、次に湧いた。

「ぐっ、寄生殻だぁ? 何を寝言ほざいてやがる」

「事実だ」

 フラスコルシティで流行っているEgは、危険なものだ。

 だからこそ、彼は調査していた。

 命や理性と引き換えに、力を得るその薬物は、決して世に出してはならなかったものだ。

 しかしその事実を理解して、Egを使用している者はおそらくいない。

 その事が、ばら撒いている者の悪意を物語っていた。

「どこで手に入れた」

「はっ! 誰が言うかよ!」

 クモは顎部を開き、そこから粘性の糸を黒の一號に向けて飛ばした。

 粘着糸はタランテール系統の装殻内で自動生成される兵装であり、破壊的ではないもののその強度は侮れない。

 数本の糸の内、一本が黒の一號の右腕に当たって絡め取られ、彼とクモは引き合いになった。

 街中での活動を、司法局の警戒網に引っかからないないように能力制限した状態では、相手の装殻の方が腕力は勝る。

 黒の一號は、少しずつクモの方へと引き込まれていた。

「ぎひひ。この糸は切れねぇぜ……殺してやるよ」

 クモは、これ見よがしに背部の副腕を展開する。

 そのリーチの長さは非常に厄介な上に、突き刺すような形状の長い副腕は外殻を貫くだけの凶悪さを持っている。

 さらに腕の捕らえられた不利な状況で、黒の一號は副腕の攻撃に混ぜて放たれた粘着糸を回避出来なかった。

「……ッ」

 首に新たな粘着糸を巻き付けられ、さらに引く力で息を詰められる。

 黒の一號は、力比べを諦めた。

出力解放アビリティオーダー―――」

実行レディ

 小さく呟いた求めに、補助頭脳が応じる。

 制限状態では大した威力ではないが、それでも相手の装殻を砕く程度の力はあった。

 タイミングを計り、さらに引き込まれるのに合わせて、黒の一號は地面を蹴った。

「う、ぉ!?」

 急に手応えが消えて体を仰け反らせたクモがバランスを崩す。

 振るった副腕は空を切り、黒の一號は勝負を決める拳を握り込んだ。

 クモの胸元に飛び込み様、黒の一號は拳を腰に溜めて上体を極限まで捻り切る。

 そのまま捻った体をバネのように回転させ、拳の威力を解放した。


「―――《黒の打撃ナックルブレイク》」


 無防備なクモの胸元に叩き込まれた一撃は、相手の胸郭を破壊して闘技場外まで吹き飛ばした。

『戦闘終了。勝者、アンティコア』


 ダミー情報に登録された装殻名が、ジャッジポールによって宣言されて戦闘が終了する。

 自分に賭けた連中が上げる歓声を聞きながら、黒の一號は装殻を解除した。

 

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