第3話 被害者の弟と出会う。


『では、次は続報です。フラスコルシティに潜伏中の黒の一號の行方は依然として掴めておらず、司法局からの公式発表では―――』

「最近どこも、この話題ばっかだな」

 装殻調整を行う間に、適当に流していたニュース画像を見ていたジンが、ぽつりと漏らした。

  髪を茶色に染めてラフにセットしており、上着は派手で、ダメージジーンズの腰には太いチェーン、右耳にはピアスをしている。

 顔立ちは整っていてスタイルも良いのだが、どこか軽薄そうな雰囲気が滲み出している青年だった。

 コウより少し年上の彼は、コウの印象では親しみやすいヤンキー、というところだ。

 ちらりと見たスクリーンに映るのは、仰向けに倒れる女性の足と、女性の上半身に被さるようにこちらに背を向けて膝をついた、黒い装殻者の荒い写真映像だ。

 ここ数日の過熱報道に、コウはうんざりしていた。


 ―――少女殺害の犯人は、黒の一號に酷似した装殻者。


 その情報に、街は一時騒然となった。

 伝説級の危険人物が自分の住む街に野放しになっている、と。

 ネットの情報によると、報道直後は市民からの問い合わせが司法局に殺到し、一時窓口がパンクに追い込まれる程の恐慌状態だったらしい。

 その数時間後、司法局は彼に対する厳戒態勢を発令した。

 今は彼の存在そのものが世界的に違法の存在であり、彼が率いる『黒殻アンチボディ』は、その違法な人体改造型を五人も擁する世界で最も危険な組織と言われている。

 しかし今回彼が犯した罪は、彼の肩書きに比してあまりにも小さく、かつ似つかわしくないものだった。


 ―――彼は何故、少女を殺したのか。


 報道は加熱し、様々な憶測が流れる中。

 厳戒態勢が敷かれたままのシティは、不穏な空気に包まれている。

「自分の身近にテロリストがいるかも知れない、って思ったら気が気じゃないんでしょう」

 ジンの装殻を調整しながら、コウはそう口にした。

 ここは、コウの工房の中だ。

 貸倉庫を改造した安普請の個人工房だが、コウ本人は結構気に入っていた。

「お前は気にしてないみたいだけど」

「……怯えてたって仕方ないですからね。大体、黒の一號には、司法局員でも太刀打ち出来なかったんでしょう? 俺なんか、目の前に現れただけで死ねます」

「そりゃそーだけどさ」

「なら、気にするだけ無駄じゃないですか。それより今日の飯の種の方が大事です」

「前向きなのか後ろ向きなのかよくわかんねー奴だな」

 ジンは笑ったが、嫌な感情が籠ったものではない快活な笑いだった。

 そもそもコウは、黒の一號を悪くは思っていない。

 黒の一號は、化け物を使って日本を恐慌の渦に叩き落とした『飛来鉱石研究所フラグメント・ラボ』を壊滅させ、その後に幾度も日本を危機から救った英雄だ。

 彼が追われる理由も、現在違法とされる人体改造型だからという、ただそれだけの話だ。

 しかも彼がそうなったのは法律が制定される以前の事。

 彼の結成した『黒殻アンチボディ』も、世間に言われるような悪のテロ集団ではなく、黒の一號が政府に対抗する為に組織したものだと、コウは思っていた。

「終わりました」

 調整を終えて、頭にタオルを巻いたツナギ姿のコウはジンに言った。

「ちょっと付けて貰って良いですか?」

「おう」

 調整器の中で展開していた装殻が溶けるように崩れて収縮する。

 装殻は普段、流動形状記憶媒体ベイルドマテリアルと呼ばれる流体になって腕輪やピアスなどの形をした装具の中に納まっているのだ。

 完了の合図と共にジンのピアス型装具を取り上げて手渡すと、ジンは腕だけ部分展開して動かした。

「へぇ、動きが滑らかだ。すげぇじゃん」

「ありがとうございます」

 コウは装殻調整士の資格を持っており、幸いな事に食うに困る事がない程度には仕事に恵まれている。

 人間の労働力を劇的に上げる装殻は、世間に浸透した現在、なくてはならないものになっている。

 その分、コウのようなド底辺の調整士でも仕事にあぶれる事がないのだ。

「その前髪、鬱陶しくねーの?」

「ないと落ち着かないんですよ。人と目が合うのが苦手なんで」

 支払いをしながらジンが訊ねてくるのに、コウは苦笑した。

 コウの前髪は、目元を隠す長さだった。

 昔から馬鹿にされ続けたせいで、今でも顔を出していると落ち着かない。

 家族以外と、どもらずに喋れるようになったのもこの仕事を始めてからだ。

「ありがとう、また来るわ」

「お待ちしています」

 丁寧に頭を下げて見送るが、ジンは出入り口で軽く誰かにぶつかった。

「おっと悪い」

「ううん、こっちこそゴメン」

 二人はお互いに謝り、ジンと入れ替わりに入ってきたのは綺麗な顔立ちの少年だった。

「いらっしゃいませ」

 コウが声を掛けると、少年は軽く手を振った。

「あ、僕お客さんじゃないんだ」

「そうなんですか?」

 なら、何をしに来たのだろう、とコウは内心首を傾げた。

「君がコウ君だよね?」

「そうです」

 疑問に思ったコウに名前を訊ねた少年は、ジャケットの中に手を入れた。

 色が抜けるように白く、髪も茶色に近いくらい細くてサラサラだ。

 ちらっと覗いた襟元から覗く鎖骨や肩のラインは薄い。

 ジャケットから少年が取り出したのは身分証だった。

「司法局捜査課第三室員、正戸まさとアイリです。少しお話を聞いてもいいですか?」

 砕けた敬語を聞きながら、コウは身分証を見た。

 年齢は18歳。コウと同じ歳だ。

この年齢で司法局員という事は間違いなくエリート。

 司法局員になる為には何らかの装殻の扱いに優れている必要があるので、才能もあるのだろう。

 だが、コウが気になったのはそこではなかった。

「おーい。どうしたのー?」

 アイリの顔を真正面から見てしまう。

 髪同様に色素が薄く、明るい色を宿した大きな目と、形の良い鼻に桜色の唇。

 慌てて視線を落としながら、コウは呟いた。

「女の子……?」

 そうと気付いた瞬間に一気に恥ずかしさを覚えた。

 女の子なんて、家族以外と話すこと自体が久しぶりだ。

 しかしアイリは何を勘違いしたのか、眉をひそめてトゲのある声を出した。

「……どこ見てるの?」

 言われて気付いたが、コウが恥ずかしさから逸らした視線は、アイリの薄い胸板に向いていた。

「いやあの、そういう意味じゃ……」

 口の中でもごもごと言い訳すると、むぅ、と膨れていたアイリは唐突に態度を軟化させた。

「まぁ、こんな格好だしね……ねぇ、水くれない? 暑いから喉乾いた」

 初対面だというのにまるで友達のような態度で勝手に椅子に座るアイリに、コウは黙ってミネラルウォーターを入れたコップを差し出した。

「ありがとう」

「いや」

 にっこりとお礼を言われて、どうしたら良いか分からなくなってタメ口で返事をしてしまったが、アイリは気にしていないようだった。

 一気に水を飲み干して息をついたアイリは口の端から溢れた水を掌で拭うと、それを見つめているコウに気付いて、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

 あまりにも気ままに落ち着かれてしまい、コウは仕方なく自分から口を開く。

「あの、用件は……?」

「おっと、そうだった」

 本当に司法局の関係者なのだろうか。

 そう疑ったのが態度に出ていたのか、アイリはコウに指を向けてきた。

「あ、僕が本当に捜査員なのか、疑ってるでしょ?」

「うん、ちょっとね」

 客でもないし、敬語を使うのも馬鹿馬鹿しくなったコウは普通に答える。

「そんな顔してた! さっきから君、ちょっと失礼だよね!?」

「えーと……なら、何が聞きたいのか教えて欲しいんだけど」

 結局話が逸れて本題に入ろうとしないアイリに、コウは自分から水を向ける。

 するとアイリは、少し目を細めて微笑むと、こう言った。

「―――なら黒の一號について、君の知りうる限りの事を教えてよ」


※※※


 ―――これはアタリかな?


 アイリは、コウの反応を見てそう思った。

 最初は、どことなくぼんやりとした印象だった彼を、アイリはなんかオタクっぽい、と思っていた。

 しかし、なんか失礼な視線も向けられた事だし、と少し意地の悪い質問の仕方をしてみると。

 彼は、ぎらり、と前髪の奥に隠された目を光らせて、一瞬アイリが怯むくらいの鋭い反応を見せたのだ。

 そしてしばらく沈黙した後、コウはぽつりと呟いた。

「つい三日前に、司法局の人とは話したけど。まだ何か聞きたい事があるの?」

「え?」

 押し殺したような低い声に、アイリの方が戸惑う。

「どういう事?」

 アイリの戸惑いは、コウにとっても予想外だったようだ。

「司法局って……誰が?」

「鯉幟さん、って人」

「おやっさん?」

 アイリの知る限り、おやっさんは被害者の周辺を当たっていたはずだ。

 それが何故、黒の一號の足取りを追っていたアイリとかち合うのか。

 疑問に答えが出せないアイリに、囁きが聞こえた。

『アイリ。彼の名前を聞いて』

「……君のフルネームを教えてくれる?」

 囁きの意図は分からなかったが、アイリは即座にコウに質問した。


「北野コウ。黒の一號に殺された北野シュリの弟だよ」


 疑問の答えが明快に返ってきた。

「うわ。ごめん!」

 アイリは反射的に頭を下げる。

 コウは、ぽかんとした顔でそれを見ていた。

「僕、知らなくて……え、何で? 事件の関係者は捜査情報で表示される筈なのに!」

 またやらかしてしまった。

 室長にバレたら小言を食らうのは確実である。

 しかし逆に、コウは納得したようだった。

「ああ、なるほど。アイリさん。俺の情報は、多分誰にも表示されないよ」

 言いながらコウは作業台に向かうと、簡易調整機と呼ばれる携帯用の調整道具を手に取って起動した。

 すると、パ、とアイリの視界にAR情報としてコウの情報が現れる。

「俺は装殻を持ってないんだ。これが俺の身分証の代わりになってる」

「装殻を持ってない……?」

 今時、装殻を持っていないと何をするにしても不便で仕方がないだろうに、とアイリは思った。

 装殻の扱いは、数年前から義務教育で必須科目になっているくらいなのだ。

 まして彼は調整士だ。

「持ってても意味ないんだよ。使えないからね。……俺は非適合者だ。だから、装殻者じゃなくても出来る調整士になった」

 そう告げるコウの声音は、アイリの耳に重く響いた。

 非適合者。

 装殻適合率が低い人々の中でも、適合率0%の人間をそう呼ぶ。

 数十万人に一人、いるかいないか。

 そのくらい希少で、同時に不遇な人々だ。

「そっか」

 アイリは目を伏せた。

「辛いこと聞いて、本当にごめんね」

「……意外だな」

「何が?」

「エリートの司法局員は、俺みたいな奴は見下してると思ってた」

「そんな事出来ないよ」

 アイリはコウに、自分でも情けなく映るだろうな、と思うような笑みを浮かべて告げる。

「だって、僕も元は非適合者だから」

 コウは絶句した。

 非適合者が適合者になれる方法は、未だに解明されていない。

 そして公式な記録に、アイリが元は非適合者である事は記されていない。

「どうやって……?」

 青い顔で、何かに飢えているような色の瞳で自分を見つめるコウに、アイリは首を横に振った。

「それは言えない。知っても、君が適合者になれる方法じゃないし。そもそも守秘義務がある」

 コウは拳を握り締めて何かに耐えるようにアイリを見つめ続けた後、ふ、と息を吐いた。

「……お互いに、二回だ」

 コウはぽつりと言った。

「俺は君に失礼な事を言った。君も二回、俺に対してミスした。それで差し引き0だ。最後の話は、聞かなかった事にする」

「そうしてくれると助かるよ」

「なら、本題に入ろう」


「黒の一號が俺を訪ねてきた理由は、装殻に関する事を話すためだ」

 

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