あるいは恋文


 「androgynous」というDIR EN GREYのライブが告知されて、心が浮き足立っている。

 ライブか、行きたいなあ、行きたいな、わあ、行きたいなあ、めっちゃ行きたいな、わあ、ああ〜。

 みたいな、めでたいことに、わたしの頭の中はお花畑状態だ。ライブという響きには、神経質な人間の脳内を、パッパラパーにしてしまう力がある。


 androgynousというタイトルは、よく知らんが、ギリシャ語の何かからきている。実は、「androgynous」はDIRだけの単独ライブではない。対バン方式で、そのお相手はPierrotというビジュアル系バンドだ。

 わたしはPierrotを知らないのだが、前回の両者の対バンをYouTubeで(DIRの分だけ)鑑賞して、それはそれは感銘を受けたので、是非とも今回こそは、参加してみたいと意気込んでいる次第なのである。


 行きたいなー、行ける? 行くっきゃない! 現実をねじ曲げろ! しかし、いい曲だなあ。もう一回聴いとくか。

 などと昼間考えていたら、左折すべき道を通り過ぎてしまって、到着時刻が予定よりも遅れてしまった。


 そんなこんなで、湧き立つDIRへの愛を腹の底にしまいながら彼らの曲を聴いているわけだが、わたしは本当にDIRが好きだ。京さんが好きだ。

 どれくらい好きかといえば、こうやって誰の得にもならない独り言を長々と書き連ねるくらい好きだ。


 わたしは恋をしたことがないけれど、強いて言うなら、京さんには恋をしたことがあると思う。

 もちろん、世間一般でいうそれとは違うだろうけど、自分のなかに存在しうるすべての感情の中で、この心の動きがもっとも恋に近いのではないかと推測するわけだ。


 作家であれ、歌手であれ、人を好きになるというのは不思議なことだと思う。我らが京さんは、この際はっきり言わせて頂くが、言語のセンスは壊滅的で、ファッションは常人には理解不能で、ときにはあまりにもダサくて、刺青は入れすぎで、ライブパフォーマンス(なぞのダンスを披露したり)は目も当てられない状態だったりすることもしばしばある。


 それでも、というかそれだからこそ、わたしは京さんが好きなのだ。器用で、いつも冷静で、淡々としている歌い手なら、わたしは絶対に好きにはならなかった。

 いつも歌詞で暴言を吐き(ぺちゃくちゃ喋るゴミどもが!)、そのわりには誰よりも優しく、光を見て進み、恥ずかしいことを恥ずかしげもなく叫び、心の柔らかいところをすべて剥き出しにして歌う京さんだからこそ、そうして、何が合ってもその姿勢を変えない芯の強さがあるからこそ好きになったのだ。


 わたしはDIR EN GREYが好きである。

 わたしは、京さんが好きである。

 人に傷つけられても、人を求めることを止めなかった。

 そんな京さんが好きである。


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