第53話 これが精一杯です

 私の隣で、それはもう恐ろしい顔をした驟雨がいる。


「臆病者。いくじなし。大バカ者。そのように覚悟のないことでどうする」


 あらん限りの悪態を私に浴びせる。

 分かっている。私も分かっているの。

 でも、どんなに歯を食いしばって覚悟を決めても、これが精一杯だったの。

 だって、妹なの。


「ごめんなさい」


 目の前には、植物の枝や根でグルグル巻きの塊。

 そう、この見る影もない塊が、私の片割れである桃李。

 まだ、中から何か叫んでいる。

 もがもがと音だけが聞こえて、何を言っているのかは分からないが、たぶん……開けなさい!! 解放しなさい! こんなことをして、後でただでは済まないわよ!! 的な? そんなことを言っているに違いない。


「桃源郷を完璧な姿に戻すには、この女の力をだな、お苗が手に入れるのは手っ取り早いであろう? そうしなければ、この世界が危ういことも分かっているだろうに」

「ううっ……」


 返す言葉もない。だけれども、出来る? 再会した妹をお前の手で殺して力を手に入れろと言われて、はいそうですかって、殺せる?


「向こうは……この女は、確実にそうする気満々であったではないか」

「ううっ……」


 再び返す言葉はない。

 一々、驟雨の言う通りだ。

 桃李には、それが出来るのだろう。

 そして、先代桃華であった私は、桃李に殺された。私を殺した桃李を殺したのは、水月だった。

 その後、私と桃李は、現世に転生して双子の姉妹として過ごしていた。


 桃李は、思い出したのだろう。

 自分が、この仙界の人間であることを。

 だから、事を有利に進めるために、記憶の無い私に黙って先に仙界の戻るために、自分の命を投げ出したのだ。


 私が仙界に戻った時に、自分が先手を取るために。

 先に仙界に戻った桃李は、蚩尤を操り急ぎ早春の門を支配し、桃源郷を無力化したのだ。

 さすがに水月が健在の仙人界は、手を出しあぐねていたようだったが。

 それも、天界の水月の片割れと手を組むことで、水月が虫の息というところまで、追い詰められた。

 

 水月がそんな状態ならば、仙人界は、どうなっているのだろう。

 私に仙薬をくれた子喬は無事だろうか?


 桃李をグルッグル巻きにして捕らえたことが、功を奏してくれていれば良いのだけれど。


 私の力が及んでいる植物に捕らえられて、桃李の力は無力化した。

 桃李の支配していた蚩尤達は、桃李の力を失って、本来のただ静かに眠るべき存在に戻った。


「呂秀、呂秀!」


 桃李の力の支配から離れた蚩尤は、元の姿に戻っている。

 あの夫婦は、自分の息子の遺体を前に泣き崩れている。


 絞るような声で我が子を呼んでいる。


 私、この光景は、見たことがあるの。

 仙界の記憶が戻った桃李は、現世では、あっさりと自分の人生を捨てた。

 幼い桃李を失った現世の両親は、今、目の前にいる夫婦と同じように、見ているのも辛い様子だった。慟哭し、泣き崩れ、意識朦朧としてそのまま二人とも死んでしまうかと思う状態だった。


 時間が解決?

 そんなの嘘。


 何度も何度も桃李の写真の前で泣き崩れ、何年経っても桃李の亡くなったことは、昨日のことのように鮮明だった。


 今、目の前でミノムシみたいな姿でもがく桃李は、そんな両親の嘆きなんて一瞬でも想像したかしら。いいや、涙一欠片分も想像していないだろう。


 我が子を失う親の苦しみなんて、桃李には思いもよらないに違いない。


 

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