第38話 二人の桃華

 知らなかった。

 美人が笑えば、こんなに悪の枢軸感が増すんだ。

 桃李を前にしてうろたえるだけの私。


 ――落ち着け。


 自分に言って聞かせたところで、バクバクと早まる心臓は、ペースを落とすことは無い。


「ふふふ。黙って何も知らないままで死になさい。そして私の糧となればいい。貴女は、そのためにここへ来たのよ」


 意味が分からない。

 桃李は何を言っているの?


 いや、分かっている。

 分かりたくないだけ。

 せっかく思い出して救い出したかった妹の桃李こそが、この蚩尤の国の支配者だった。そして、その桃李は、私を殺してしまおうとしている。


 なぜ?

 それも検討は付いている。

 私たちは、二つで一つの魂。

 完全な仙女の長「桃華」になろうとするならば、二つで存在してはならない。

 一つでなければならない。


「も、桃李……?」


 私の声が震える。

 冷たく冷めた視線を桃李は、私に向ける。


「下がりなさい。長牙。西王母『桃華』の命です」


 桃李の言葉に従って、長牙はノロノロと後ろに下がる。


「ちょ、ちょっと! 長牙!!」


 困る。このアウェー感しかない蚩尤の国で、長牙まで私の味方でなくなってしまうなんて!


「だって、仕方ないではないですか! 私は、桃華の使い魔。匂いも姿も魂も桃華であるならば、私に逆らうことはできません!!」


 長牙が困惑した顔でその場に伏せる。

 桃李も『桃華』の一部であるのだから、長牙には、それに逆らうことは出来ないということらしい。

 長牙が私を攻撃することはなさそうなのは、不幸中の幸いだけれども……。

 それでも、私よりも成長して蚩尤の国を治める桃李と私は、どうやって一人で戦えばいいの? 


 そもそも、私に桃李を傷つけて倒すなんてことができるの? 


「さようなら、お姉ちゃん」


 幼い時の呼び方で桃李が一言。

 聞きたくて聞きたくない言葉。

 

 周りの空気がざわつき始める。

 バキバキと音がして、何かの気配が無数に近づいてくる。


 蚩尤だ。


「どこにいたの?」


 どこから湧いて出てきたのか分からない蚩尤達が、私達に近づいてくる。

 

 逃げなきゃ! でもどうやって? 長牙が私を連れて逃げることは、桃李を倒さなければ無理だ。ここには、私の味方をしてくれる草木はない。私の力は、どう使えばいい?


 「困ったら、胡弓の弦を引っ張れ」


 私の頭の中に、仙界で水月に言われた一言が蘇る。


 胡弓。

 そうだ。胡弓だ。


 私は、慌てて胡弓の弦を引っ張る。

 

 ビィィィィン


 ひ、引っ張り過ぎたかしら。胡弓から弦が大きな音を立てながら弾けて取れてしまった。

 

 そして、……何も起こらない?

 あれ? 水月? 

 そういえば、水月は、先代の桃華を殺したではなかったっけ?

 蚩尤の国へ誘うようなことをしたのは、ひょっとして桃李に私を殺させるため?

 えっと……ちょっと信頼し始めてしたのだけれども、騙されていた??


 私の背中に嫌な汗が流れた。




 

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