第37話 バス停
片田舎のバス停。
クライアントに言われて、説明のために訪問したが、結局、建築の計画は白紙に戻ってしまった。
隣人が、三階建ての賃貸マンションを建てようとしている計画に猛反対しているというのだ。何度も、法律上の日照権は侵害していないと説明したが、見下げられていること自体が嫌なのだと、憑りつく島もなかった。
「申し訳ありませんが、計画は白紙に戻していただけませんか」
争いごとを好まない、穏やかな性格のクライアント。
クライアントに計画を進める気がないのであれば、計画は進められない。
「せっかく頑張って設計したのにな……」
紙ごみと化してしまった建築計画図面を広げてみれば、何度も推敲して設計した建物の外観図。
この地域らしさが欲しいというクライアントの意向に沿って、伝統的な絣の色合いの外壁をもうけた。住民が花火大会を見られるようにと、バルコニーの向きを工夫した。ゴミの集積場所は、地域に不快にならないように、目立たない建物の影に……。
残念だ。
建築とは、土地があっての計画だから。別の場所にこの建物は建てられない。
無理矢理建てたとしても、土地の特質とは合わないから、ちぐはぐな物になってしまう。
あの土地だから、この外壁だし、バルコニーの向きも意味がある。
どんなに時間をかけて育てた計画だったとしても、その計画が無くなれば、その計画は、ゴミとなる。
「忘れよ。次だ! 次!」
建築計画書を片付けて、ビニール袋から取り出したのは、大きな桃。
飲み物を買おうと寄ったコンビニで、どうしても欲しくなったのだ。
チェーン店とは違う、雑貨店をそのままコンビニと名前を変えただけの店舗で、見つけた見慣れぬ桃、
「蟠桃≪ばんとう≫って言うんですよ。珍しいでしょう」
そう店員のおばちゃんは言っていた。
平たい見慣れぬ形の桃は、瑞々しくって私には、とても魅力的に思えた。
一個五千円もするお財布には優しくない桃だったけれども。
それでも、気分が最底辺まで沈んでいた私は、もう半ばやけくそでその桃に手を出したのだ。
齧れば、甘酸っぱい桃の風味が口に広がる。
桃は、もう何年も食べていなかったから、その味わいは懐かしい。
桃を食べなかった理由は、双子の妹の桃李のことを思い出すから。
名前に桃の字の入った妹は、幼い頃に亡くなってしまった。
とても仲の良かった妹。その妹も亡くなった頃のことは、桃の香りと共に、どうしても蘇る。
桃李に想いをはせてバス停のベンチに座る私。
けたたましいクラクションの音に振り返れば、バスが私に向かって突っ込んでくるところだった。
あ、そうか……。私、あの時に死んだんだ。
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