第36話 支配者

蚩尤の国の天を駆ける長牙。

往来に出ていた人々が、長牙の巻き起こす風の音に驚いて顔をあげる。


「普通の人達……」


 あの化け物のような蚩尤で溢れた国なのかと思っていた。

 ほら、地獄絵図にあるような真っ暗で鬼だらけの場所。それが蚩尤の国だと。


 私達とは全く違わないように見える普通の街の人々が、蚩尤の国の家々から顔を出す。闇の風の仙術で輝く長牙を見て、少し怯えているようだ。


 こんな太陽も届かない場所に、住まう人々。こんなにも、普通だなんて。


「私も初めてこの国へ参りましたが、これは予想外でした」

「長牙も知らなかったんだ」

「ええ。蚩尤の国へ入ったのは、これが初めてですから」


 永遠に夜が続く国。

 この国の人たちは、作物はどのようにして手に入れているのだろう。

 あの化け物のような蚩尤と、この普通の人たちは、どんな関りがあるのだろう。


「ほら、目の前です。あれが蚩尤の国の中心。その支配者……名前は存じ上げないのですが。その方が住まう場所」


 長牙に促されて前を見れば、石でできた大きな建物が立っている。


――似ている。桃源郷の私が今住んでいる場所と。


 鏡写し。

 シンメトリー、左右対称の建物だから、分からないけれども、細かく見れば、レリーフの向き、窓の位置。そんな物が、そっくり真逆に付いている。


「なんだか不気味ね」

「ええ。私もそう思います」


 目的の建物にあっさりと私たちは降り立つ。

 長牙の速度についてこられる蚩尤は存在しない。


「遅かったのね」


 女の声に振り返れば、そこには美しい女性が立ってた。

 

――なにこれ。夢の中で見た桃華そっくり。


 艶然と笑う美女は、夢の中で泣いていた女性そっくりだ。


「え……桃華様?」


 長牙が混乱している。


「どうして? 桃華様の匂い……まさか私の鼻が?」


 一生懸命に鼻を拭って匂いを嗅ぎ直す長牙。

 何度も私の匂いを嗅ぎ、女性に鼻を向けて慌てている。


「そうよ。長牙。私こそが、桃源郷の正しい支配者。そんな軟弱な子どもでは無くてね」


 長牙の反応に、女性は満足そうだ。


「まさか……桃李なの……?」

「そうよ、美華」


 ああ、そうよね。

 桃李が亡くなったのは、私よりも二十年ほど前。

 すっかりこの世界で成長した桃李。私よりも大人なのは、当然かもしれない。


「桃李……どういうことなの?」

「それ、貴女に説明する必要がある?」


 桃李がクスクスと笑う。

 この状況に全く余裕なく混乱している私と長牙と違って、桃李は何もかもを知っているようだ。

 ずいぶんと余裕そうだ。


 私を見下げる桃李の目線に私は、忘れていた記憶がよみがえる。


 

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