第35話 門を開けろ

  陽もささない世界。

 陽がなければ、当然樹木も生えず、ただ岩山があるばかり。

 火山なのだろうか?

 所々、山頂が赤く光って見えている。

 河のように流れる溶岩。ドロリとした流れは、どこまでも続いている。


「火の河と火の山……聞いていた通りの世界ですね」


 長牙が周囲を見渡しながら感心する。

 そういう前情報は、私にも教えておいてほしい。

 

「こんなので、住人はどうやって生活するの……?」

「まあ……蚩尤は知っているでしょう? あいつらは、この世界に適応した生き物なんですよ」

「そう?」

「ええ。火の河の水を飲み、岩を喰う……いいですか? 彼らは、私達とはまた違った法則で生きているんです。ですから、我々に快適な環境が、彼らにも快適とは限りません」


 ふうん。

 でも、一理あるかも。

 人間同士でも文化の違いがあって、快適な環境の定義は違うのだから、ましてや蚩尤のような生物が、私達と同じ環境を好むのかどうかと問われれば、確かに違う方が自然なのかもしれない。


「じゃあ、どうして桃源郷に攻めてきて、人々を襲うのよ? この世界で快適に過ごせばいいじゃない」

「知りませんよ。なぜ蚩尤やその蚩尤の長が、外の世界を欲しがるのかなんて。私は、蚩尤ではありませんから!」


 長牙がムッとする。

 そうよね。長牙だって、蚩尤の全てを知っている訳ではないのだから、聞かれても困るよね。


「それよりも、ほら!! 胡弓を早く」

「へ? 何、何をするの?」

「もう! 何のためにもらってきたんですか! 使い方を分かって持ってきたのではなかったのですか?」


 ええっと。そんなことを言われましても。

 確か、門があって、門番がいるのよね……。

 水月が、そう言っていたような気がする。


 この胡弓の音色で、門番の気を反らすことができるとか……。

 門どこだ。門番はどこ?

 周囲を見渡しても、それっぽい物は見当たらない。


「いいから、早く!! 私は、準備できているんですから!!」


 どう使うのだろう?

 音で気を反らすと言っていた。

 じゃあ、鳴らせばいいのかしら?


 弓を構えて、胡弓を見る。

 こんなの弾いたことないよ。


 えっと前世の音楽の成績ってどうだっけ?

 よく覚えていないけども、そう目立って良かった記憶はない。もしも、音楽が得意だったのならば、流石に何かしら覚えているだろう。

 楽器を弾いていた記憶なんて皆無だ。


 そんな私に、こんな難しそうな楽器が使いこなせるのか?


「どうしたんですか!!」


 長牙に急かされて弓を動かせば、黒板に爪を立てたような音が響く。

 私を乗せた長牙が、呆れた顔で振り返る。


「し、しようがないでしょ?」


 前世、日本で普通の女性だった時の記憶だっておぼろげで、ましてや生まれ変わる前の桃華の記憶なんて皆無だ。

 こんな難しそうな楽器を弾けなんて、いきなり言われても困るのだ。


「……はい、深呼吸!!」


 長牙に言われるままに深呼吸する。


「目を閉じて、丹田に気を集中して……」


 丹田。確か、お腹のへそ下辺りのことよね。

 私は、そこに気を集中する。


「必要なことは、全て。深い深い魂の底に眠っています。それを呼び起こすのです」


 魂の底……。

 意識を集中すれば、仙人の国で聞いた胡弓の音色が心に響いてくる。


 誰が? 水月が弾いているの?

 風に舞う桃の花。


 自然と手が動き出す。

 知らないはずの動きを指が始める。


 弓が弦を撫でれば、得もいれぬ音が響き始める。


 大きな二つの頭を持つ黒い犬がぬっと目の前に現れて、そこで大人しく伏せて目を閉じる。


「いたんだ。見えなかっただけで」


 大きな犬。前足を揃えて伏せている姿は可愛らしくも見えるが、これが襲ってきた時を考えれば、恐ろしい。


「さあ、続けて。門番が音色に気を取られている内に門も開いて一気に通り抜けますよ」


 長牙に言われて弾き続ければ、空間に亀裂が入る。

 ギギギギギ……。

 軋む音を立てて、何もないはずの所が開く。

 開いた先に見えるのは、夜の街並み。

 これが……蚩尤の国?

 どういうことよ?

 私の脳裏に浮かぶあの怪物のような蚩尤。

 その蚩尤が住んでいるとは思い難い、普通の街並みが広がっている。


「行きますよ!」


 長牙が空を蹴って風となって走り出す。



 

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