「恩赦」

「アイツのさ…片岡の妹が自殺したってのは、聞いているよな?」


 前回のプログラムの直後、片岡が家から出て行くのを見送った後。

 川端は勇にコーヒーを淹れつつ、ため息をつく。


「アイツは代々政治家の家でな。両親は自動車事故で死んじまったんだが、その代わり親身になってくれた政治家先生が身寄りになってここまで来れたらしい…で、それとは別に妹さんが就職先でいじめに遭ってな」


 そう言って、自分のカップにミルクを淹れる川端。


「それ以来、トラウマが抜けきれず、職を転々とするようになって。精神科に勧められた自立支援の施設に通うようになったんだが――」



「苦しめるなよ…これ以上、僕を苦しめるなよぉ!」


 片岡は手にした包丁を何度も胸に刺し、刺された女性は(あぐぅ、げぼっ)と不明瞭な言葉を吐きながら、反動で体を揺らす。


「お前がさあ。弱音を吐くたびに、こっちも辛くなるんだよ」


 抜いた包丁を振りかぶり、さらに女性の胸に深く刺す片岡。


「弱音を吐けば、楽になると思ってるんだろ?自分はできないと主張して、僕が何かしてくれると思っているんだろ、そうなんだろ?」


(あ…ああ…)


 段々と生気の無くなっていく女性の目。


「もう、その言葉は聞き飽きてるんだよ」


 引き抜いた包丁を手に、目元を拭う片岡。


「こっちだってさ、必死に働いて。夜遅くまで仕事をして。施設に行くこともおじさんとの相談の末に決まったことで。やるだけのことはやってたはずで――」


(ひゅー…ひゅー…)


「したい仕事でなくても、生活のために働くのは当たり前のことで。辛くとも、顔に出さないようにして。それが出来ない、うまく立ち回れない性質の人間は、社会の中で生き残れないのが当たり前で――」


 血に塗れた、片岡の顔に涙が伝う。


「でも、それがおかしいことは分かっていた。政治でそれを変えたいとも思っていた。そのために僕も出来うる限りのことはしていたのに…」


(…)


 血に塗れた床の上、物言わぬ死体の上に座り込む片岡。


「良かれと思って送った施設でいじめに遭って、自殺して。友人だったユイちゃんも、世間の誹謗中傷が原因で自殺をして。もう僕は、どう世の中を治せば良いかわからない。死ぬ運命のお前を見て。どうしてやることもできない――」


 ボロボロと涙を流しながら、膝の上で拳をにぎる片岡。


「だから、せめて僕は――!」


『…片岡。お前は一人で背負い混みすぎたんだよ』


 気がつけば、勇の手にあるスマホから川端がつぶやく。 


『会った時から、薄々気づいていたよ。根を詰めて、妹さんの代わりとして俺たちにまで気をかけて――思えば、お前さんは責任感の塊で何もかもを自分で抱え込む性格タチだったからな』


「何がわかるんだよ…川端!」


 噛み付くように声を上げる片岡に『妹さんの転職。今まで向こうの会社からの打診で辞めさせられてきたんだろ?』と川端。


『本来だったらパワハラで裁判を起こしても良い立場。それをお前さんに迷惑がかかると思った妹さんは自分で抱え込んだ。そうして我慢した挙句に周りの連中からさらに追い詰められて、自殺するまでになってしまったんだろ?』


 その言葉に「それは…」と詰まる片岡。


『政治家の周りには必ず応援する連中がいる。そんな連中の中には一人二人くらい古臭い考えでマウントを取ろうとする人間もいる。妹さんもそんな連中に目をつけられて、人知れずいじめられていたんじゃないのか?』


(可哀想に。これからと言う時に両親が事故で亡くなるなんて)


 勇は、片岡の記憶の中で複数の女性が話していた様子を思い出す。

 確かに、彼女らは親戚というよりは賛同者のような口ぶりだった。


『それに、あの時期は会社側としても経営難からの人員削減で各社員への負担が増加していたからな。ストレスの捌け口に新人が標的としていじめられるというのは、どこの会社でもよくある話さ』


「どうして、それを…」


 言い淀む片岡に『おいおい。俺は最初、就職氷河期で転職を続けていて。お前さんのおかげで政治部の記者になったのを忘れたのか?』と声を上げる川端。


『不景気になった企業の噂なんかもよく聞くし、そんな態度を取る企業が当たり前になった社会も異常。お前も、そう思っていたクチだろ?』


「それは、そうだが…」


 言い淀む片岡。

 その声が、ほんの少し高めに聞こえる。


『だからこそ、社会全体を変える必要があると。仕組みを変えて一人一人の負担を軽くするのが目標だと、それがお前さんの目的だっただろ?』


 川端の言葉に「…そうだったな」と、うなだれる片岡。


「俺も、いつしか視野が狭くなっていた。政治家一家というラベルから自分なりの答えを探そうと必死にもがいていたのに――でも、ここまでなんだろうな」


 ――崩れた砂に半ば埋もれるように立った子供。


 それは背丈の縮んだ片岡自身で間違いなく、彼は先ほどまで倒れていた女性のいた場所に目を落とし「ごめんな」と、つぶやいた。


「俺は、過去を変えてしまった」


 女性のいた辺りには人型の砂。

 それも、縮みゆく片岡の下で脆く崩れていく。


「片岡さん!」


 埋まった半身で、勇は手を伸ばそうとするも間に合わない。 

 崩れる砂に埋もれていく、片岡の衣類と胎児の姿。


「人のことは言えない…妹と同じ、僕も我慢をすることができなかった』


 薄く目を開け、か弱い声をあげる胎児。


「何事にも耐え忍ぶことが…僕には、できなかった」


 それは、片岡が口にした最初にして最後の言葉であり――


『切るなよ、勇』


 勇の手にあるスマートフォン。

 川端の言葉に、勇はハッとする。


『おそらく、生き残るのはお前さんだけだ』


 すでに勇も胸のあたりまで砂に埋まった状態。

 このまま沈む覚悟をし、勇はスマートフォンを強く握りしめる。


『バカヤロウ』


 悲しそうに、小さくつぶやく川端。


『片岡…アイツに必要だったのは我慢じゃなくて協力だったのに。何もかも一人で抱えて、無理をして――俺たちにも相談してくれれば良かったのに』


 そんな川端の言葉を耳にしつつ、勇は砂の中へと埋もれていった――



『一名の方、お疲れ様でした』


 目を開けた勇は、いつしか教会の中に立っていた。


『…どうして、今回は通話ができた?』

 

 川端の声に目を落とせば、勇の手には繋がったスマートフォン。


『通話できているということは、俺も今回のプログラムの参加者と同等の扱いを受ける権利があるということだ――違うか?』


 川端の指摘にシスターは無言でうなずくと『ええ。当教会では、必要に応じて外部との接触を行うことを許可しておりますので』と答える。


『それにより、治療が円滑に進むことをドクターは希望しておりますから』


「――じゃあ、俺が最初の参加でネットに繋がったのも…」


 勇の言葉に『ええ、治療の一環です』と両手を広げるシスター。


『プログラムを受ける権利のある患者は、公私共に私どもの管轄にあると考えて結構です。私どもはあなた方を、いつ何時なんどきとも見つめているのですから』


 無表情で語るシスターに、勇の背筋を冷たいものが走る。


『お前らは、んだ?』


 川端の質問に答えず、ゆっくり頭を垂れるシスター。


『本日のプログラムを終了させていただきます――それでは、またの機会に』

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