Label(ラベル)

「流砂の狭間」

『――過去に触れないようにしてください』


 砂が降ってくる。

 白い砂は細い糸のように地面へと流れ落ち、三角錐の山を作る。


 天井から差し込む光は無数にあれど、頭上は遥か高く、白亜の洞窟から勇たちが容易に出ることは難しく思えた。

 

「前回のように、スマートフォンを使って会話をする必要は無さそうだね」


 そう答える片岡は砂に埋まった靴を引き上げる。

 周りに人の気配はなく、勇と片岡の二人のみ。


「二人だけの参加というのは今まで無かったんだが…まあ、いい。最後まで生き残れるよう頑張ろう」


 先日よりもやつれた様子の片岡を勇は横目で見つつ「ええ」と答える。


「まずは、出口を探して…」


 そう、片岡が一歩進むと同時に足元の砂が空中に舞う。


「う…」


 ――そこは、どこかで見慣れた和室。


 畳敷きの部屋に小さな子どもが腹ばいになり、手にあるのは書道用の筆。

 大量の半紙をばらまきながら子供は墨を紙にこすりつけて遊んでいる。


「こら、何をして――」


 思わず、手を出しそうになる勇に「待て」と片岡が手で制する。


「過去に触れるなと、シスターに言われたじゃないか」


「え、じゃあ…」


 思わず手を止め、目の前の子供をまじまじと見る勇。


 …そう、目の前にいるのは幼少期の勇。


 覚えのある筆は書道教室の先生であった母親の愛用品であり、子供時代の勇はそれを使って部屋いっぱいに墨と半紙を広げ、落書きをしていた。


「ああ。確かに、そんな記憶もあった気がする」


 思わずつぶやく勇。


 それに(…この子、字を書くよりも絵を描くほうが楽しいのね)と、勇の母親と思しき声もする。


(――そうだ。母親が、昔から俺が絵を描くのが好きなことを知っていたから、書道よりも絵を描く道を選ばせてくれたんだっけ)


「さっきの舞った砂…あれが、僕らと過去の時間を繋げるのか?」


 信じられないと言わんばかりの片岡の言葉。 

 彼の視線の先には喪服姿の少年と少女。


(可哀想に。これからと言う時に両親が事故で亡くなるなんて)


 大人の男性に手を引かれ、うつむく二人。


(でも、先生が引き取ってくれて良かった。お爺さんの代からの議員一家だし、懇意にしていた先生が見てくれるのなら他の人たちもついてきてくれるはずよ)


 親戚か、二人の女性の声と共に泣き腫らす少女の手を少年が握る。


「そうだ。あの日から僕が政治家になる運命は決まっていた」


 見れば、片岡の幼少期と思しき少年の手は小さく震え、周りの大人を不安そうに眺めていた。


「か弱い妹を養う、僕の人生。でも…アイツは」


 途端に目の前の景色が崩れ、勇と片岡は積もった砂によって、くるぶしあたりまで埋まっていた。


「上から砂が降るぶん、ここに長居はできないようだ」

 

 歩き出そうとする片岡だったが同時にバイブの音が聞こえ、彼はわずらわしそうに胸ポケットに手をやると「…今更、繋がるのか」とボソッとつぶやく。


「川端からだ、スピーカーにするから代わりに出てくれ。こっちは安全に進める道を探す」


 片岡の言葉に慌てて勇はスマホを受け取り、受話器ボタンを押す。


『――もしもし、聞こえているか?』


「あ、川端?…ってか、俺。片岡さんに代わってくれって言われたんだけど」


 それに川端は驚く様子もなく『そうか。じゃあ、そっちの状況をかいつまんで説明してくれ』と話をうながす。


『…というか。雰囲気から察して、まともに繋がったのは今回くらいか?』


 簡単な経緯を説明をしてからの川端の問いかけに「それ、片岡さんも同じこと言っていた」と答える勇。


「そんなに珍しいのか?前に俺らがネットで公開されるぐらいなんだから、通話ぐらいできるものと…」


「それが容易じゃ無いんだよ」と片岡。


「どちらかがプログラムに巻き込まれた場合、互いに連絡が取れないか、今まで何度も試みてはいたんだが――こうしてまともに繋がる自体、珍しいんだ」


 流れていく砂に逆らうよう、ゆっくりと前に進む片岡。


「大きく動けば体が埋まってしまうはずだ。足を引き上げつつ前進しよう」


 そうして、片岡が一歩進んだ時だった。

 

(――ゆるして、お兄ちゃん)


 その声に片岡はハッとし、流れる砂から女性の姿が立ち上がる。


(私が、何もできなくてごめんなさい。仕事ができなくて、指摘されても治せなくて、だんだんと呼吸ができなくて…)


 苦しいのか、体を縮こめて荒い息をする女性。


(痛い、体のあちこちが痛い。お医者様にもらった薬を飲まなきゃ…でも、何年も同じものを飲んでいるのに。なんで治らないの?)


 いつしか、勇たちは小さなアパートの台所におり、床には大量の薬の袋が空の状態で無造作に落ち、流しには空の弁当箱が積まれていた。


(…ごめんね。今日は施設で働いていたんだけど、職員の人の顔を見ていたら具合が悪くなっちゃって。でも、叱られた私が悪いんだ。飲まないと。そうだ、薬。吐きそうだけど、飲まないと)


 ゲボッゲボッと幾度も咳をし、立っていられないのか床へと座り込む女性。


(ごめんなさい、何もできなくて。せっかく義理叔父おじさんが勧めてくれた施設だったのに、怖くて、人の目が怖くて、動けなくて)


 そう言って、自身の頭を抱え込む女性。


(迷惑かけてごめんなさい。生きてきて、ごめんなさい。だから――)


『おい、片岡…返事をしろ!』


 そのとき、川端の言葉よりも先に片岡は動き出していた。

 流しに置かれた包丁を手に取り、彼女を床に押し倒し…


 ――その胸をめがけ、包丁を突き立てた。

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