「終末への待機」
『勇くんは他にプログラムを受けた人のことを覚えているかい?』
片岡のメールに『俺たちとさっき亡くなった男性を除けば、あと一人…女性がいた気がします』と自信なく返信をする勇。
メールでの会話なら声をあげてはいけないという制約には引っかからないことに片岡は早めに気づいていたらしく、以降、話をするときには、このような形を取るようにと言われていた。
『通信はメールのみなら出来るが、通話はできないみたいだね』
試しに勇も警察にかけてみるも、残念ながら不通。
一階の端まで行く頃には窓の外は暗くなっており、公共施設と思わしき広大な建物には半透明の人々が通路も階段も関係なく、ひしめき合うように笑みを浮かべて歩いていた。
『おそらく、この場にいる人間同士でしか会話できないのかも知れない』
そう文を送る片岡だったが――ふと、顔を上げると廊下の先。
左右に開かれたドアを凝視する。
『見つけた、トモエさんだ』
(…女性の名前、知っているのか?)
送られてきた文に勇はいぶかしむも、続く言葉にハッとする。
『彼女は自殺した女性――平田さんの母親…僕もケアとサポートのために何度か顔を合わせているから、知っているんだ』
スマートフォンから指を離さず、目の前の女性を追うように歩みを進める片岡。
『もし、彼女が何か話しそうになったら口を
半透明の人を掻き分け、ドアの外へと歩き出す。
勇もそれに従い、スマートフォンを手に持ちながら彼の後に続いていく。
『僕も何か話しそうになったら、肩をタップして
送信と同時に女性の間近まで行く片岡。
(――あれ?)
その時、勇は気がつく。
ドアをくぐった先――その空に浮かぶ巨大な赤い月。
その前で半透明な人々が地平線のようにひしめき合い、上を向いていた。
*
『少なくとも、ここは僕らの知る世界ではないのかもしれない』
呆然とする勇に送られてきた片岡のメール。
見れば、彼はスマートフォンを操作して目の前の女性に文を見せているようで、彼の書いた文章がこちらにも送信されたのだと勇は察する。
(――彼女を落ち着かせるための説明か?)
確かに、川端の話では治療プログラムが行われた場所が正確に特定できた事例は今までないらしく、そのため参加させられた人々が亡くなってしまったとしても遺体が回収できないことを勇は聞いていた。
『それだけに平田さんの娘さん――ユイさんがプログラムから生還した後に亡くなってしまったことはとても残念に思えるんだ』
(そうか、彼女。あの飛び降りた女性は平田ユイさんというのか)
共に初めて参加し、死んでしまった女性の名前を知り、勇は唇を引き結ぶ。
『しかも、中継された動画の誹謗中傷はひどいもので、ユイさんが亡くなった後トモエさんも住んでいた
(――動画がついている?)
ついで送られてきた文と一本の映像。
『だが、彼女も可哀想だった』
同時に再生される動画。
『離婚後に体調を崩した母親のケアを学生時代から行っていた彼女。必死に勉学して入った就職先でいじめを受け、そのときに同僚から無理やり勧められた病院の診断のため選択の自由さえも奪われてしまった』
画面には見覚えのある医者と椅子に腰掛ける彼女。
《薬の問題ではありません…あなたの場合、然るべき施設に入って訓練を受ける必要があると診断が出ました》
それを聞き、びくりと女性は肩を震わせる。
『彼女が一番怯えていたのは、将来、自身が父親と同じ疾患を抱え、社会で生きていくことが出来なくなってしまうのではないのかという恐怖。両親が離婚する原因となった病を自身も発症してしまうのではないのかという恐怖だった』
薬を飲むも、彼女はすぐに流しに吐き戻してしまう。
『診断により、渡された薬も彼女には合わなかった。いや、投薬さえも、根本的な解決にはならず、それどころか今回の診断で強制的に施設に行かされるかもしれない事実に彼女はさらに恐怖した』
(…やめて)
ふと顔を上げれば、青い顔をした片岡の横でトモエさんが口を動かしていた。
(もう、やめて。あの子のことを――)
声を上げずとも、何を言っているかはわかる。
『診断が下されて以降、彼女は家から出れなくなった。ネットが、社会が、彼女の症状を自ら公にするべきだと。自身をさらけだし、社会で然るべき扱いの人生を送るように脅迫してくるように感じられた』
――勇は、ふと思い出す。
始めてのプログラムで会った日。
彼女は人と決して目を合わせず、ただ座り込み、顔を隠していた。
『それを臆病だと人は言うのだろうか…と、彼女は感じた』
みれば、片岡の指はスマートフォンの上に置かれていない。
それなのに画面には彼の書いたであろう
『自身のことを公にし、医者による正確な診断に従う形で、自身の
(…そうだ、彼女は人に怯えていた)
勇は医療プログラムでの体験を思い出す。
真実を語らねば、崩れ去る足元。
肉体が変化し、医者と動画投稿の女性が亡くなった、あのとき。
『あの日、プログラムで起きた結果は残酷だった。彼女は周りの傲慢さと外部の好奇心により見世物となり、詮索され、追い詰められ――生き残った末に自らを天秤にかけることにした』
(私は、あの二人以上の価値なんて。生きる価値なんて、ないはずなのに…)
最後に呟いた彼女の言葉。
その時、床は崩れなかった。
真実を語らねば、崩れ去る足元。
彼女はそのカラクリにいち早く気づいていた。
だからこそ、自身の未来をかけて問い、そして――
「でも、私は死んだあの子を許さない」
気がつけば、トモエ氏が声を発していた。
「どれほど、酷い目に遭おうとも、どれほど、生活が苦しくなっても。私より先に死んだあの娘を私は決して許さない」
その瞳は怒りに燃え、片岡が手で口を塞ぐ間も無く、手に持つスマートフォンの画面に釘付けとなっていた。
『呼気感知、要救済者・捕捉』
半透明の人間が無数に手をかけ、彼女を透過をさせていく。
「あの子を育てるのに、私がどれほど苦しんだか。どれほど辛い思いをしたか。あれくらいの苦しみに耐えられないなんて、死ぬなんて許さない」
体が透過しようとも、吠えるように呪詛の言葉を吐き続ける母親。
「苦しんで、苦しんで、私の一生を終えるまであの子は生きる必要が――!」
同時に、透過した首がガクンと垂れる。
『生体反応消失、
――それは、ものの十秒程度の出来事。
片岡も勇も、何もできずにその場で立ち尽くす。
そして、勇は気づく。
頭上に浮かぶ赤い月。
それが次第に巨大になり、顔に熱気を感じる。
(――あれは!)
それは月ではなく、巨大な赤い火球。
迫り来る火球に半透明の人々は物おじせず、笑顔を向ける。
『プロトコルに従い、待機状態を維持。外部接触による破壊まであと十秒』
記号のような笑顔でカウントダウンを始める人々。
声は勇や片岡のスマートフォンからも流れ、画面に文字が浮かぶ。
それは、顔が画面のようになってしまったトモエ氏も同様で――
「――!」
とっさに声を上げ、彼女を静止しようとする片岡。
その肩を勇はタップし――地鳴りのような音とともに光が辺りを包み込んだ。
*
(――お二方とも、お疲れ様でした)
「まさか、スマートフォンを操作されるとは思っていなかったよ」
川端の家で
机の上に載せられたタブレットの画面には宗教団体で自殺を強要させられたというブロンド女性の写真が載せられており、その横には今回のプログラムについて説明をする瓜二つの顔をしたシスターの動画が流れていた。
「…あの場に送られたメールの内容の真偽について気になっているだろう?」
ふと、片岡から指摘された言葉に思わず麦茶を飲む手を止める勇。
片岡は顔を上げず、どこか投げやりな口調で「――結論から言おう。あの内容は正しい」と答える。
「自殺した彼女。平田ユイは僕の妹の友人でもあったんだ」
思わず息を呑む勇に「妹が自殺して、ユイや平田さんまで亡くなるとは思っても見なかった」とポツリポツリと続ける片岡。
「妹の自殺は半年前。アイツは人生に行き詰まって、アパートで首を吊って…」
「もう、やめろ!」
そこに麦茶がこぼれるにも構わず、片岡の胸ぐらつかむ川端。
「これ以上を話をしても、勇が混乱するだけだろ。少しは頭を冷やせ」
それに「――知らないよりは知った方が良いだろ?」と片岡は皮肉げに笑う。
「だって、お前は最近プログラムに参加していないじゃ無いか」
その言葉に川端は何かを言いかけ、グッと堪える。
「あと数日。それで何もなければ、晴れてお前はお役御免の【安定】状態。僕らとは住む世界が違う人間になるんだよ」
それに「違うだろ!」と川端は声を荒げる。
「それだけじゃあ何の解決にもならないと最初に言い出したのは他でも無いお前だろ?こうなってしまう根本の原因は社会にあると、せめてもと、俺や他のプログラムを受けた人間の将来に向けての職業斡旋も進んでするようになって…!」
片岡はそれには答えず「―― 飛び降りた彼女の遺体が行方不明になっている」と、ネクタイを締め直す。
「トモエさんには損傷が激しくて渡せないと説明したが、解剖を行った翌日には遺体が消えていた…まさか、それから数日も経たないうちに彼女がプログラムに巻き込まれてしまうとは思ってもみなかったが…」
「おい、そんな話は聞いていないぞ――それに、まだ俺は」
だが、川端の静止を振り切り、片岡は玄関へと向かう。
「だからこそ、残された僕らはするべきことをしなければならない…向こうの、教会のセオリーに従う形で生き残り、情報を集めるしか出来ることはないんだ」
そして引き戸が閉まる音がし、片岡は川端家を出て行った。
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