「供物の会」

「…いや、痛い!痛い!」


 女性が部屋の中央に取り残され、喚きながら床をのたうち回る。


 隅にあった二区画分のブロックはすでに食べきられており、植物たちは残った一角を争うようにして触手を振るい、互いを潰し合っていた。


「やめて、痛い。ぎゃあ!」


 一体の植物の触手が、もう一体によって噛みちぎられる。

 次第に強くなっていく甘ったるい香り。


 勇の右腕にもビリリとした激痛が走り、女性も右腕を押さえて痙攣する。


『痛い、お腹空いた、痛い、中央、黄色。動いている…』


(…なんだ、この声?)


 細く、か弱い子供のような声。


 気づけば、女性が激しく動いたためか二箇所のライトが彼女の方を向き、その全身をスポットライトのように照らし出す。


 ――そこに向かう二体の植物。


『黄色、ごはん』


『お腹空いた』


 両手足をつかまれ、瞬く間に二体によって上下に引きちぎられる女性。


「ああああ!」

 

『美味しい』


『美味しい』


 女性の絶叫、うごめく触手。

 植物がこちらに近づくほど空腹感は増していき、甘ったるい香りも強くなる。


(あれを吸い込んじゃいけない…!)


 とっさに吸い込まないように袖で鼻を覆い隠す勇に対し、同じように鼻を覆いつつ、少女の方は腰を落とす。


(そうだ。火事のときと同じ、気体は上に向かう)


 少女に習い、身をかがめる勇の視線の先にはもう一体の植物。


 争う二体には目もくれず、ブロックをゆっくりと咀嚼する植物は勇と少女が下手に動かなければこちらに向かって襲いかかる様子は無いようにみえた。


(あの子が、私たちと話していた子よ…!)


 目で合図を出す少女に従い、勇は身を屈めながらゆっくりと近づいていく。


「…ねえ、聞こえてる?」


 カッ、コリッ、とブロックを少しずつ噛み砕く植物に語りかける少女。


 植物は口元からは唾液のような液体を垂らしながら咀嚼しているように見え、まるで自制心を保つために勢いよく噛み砕くことをためらっているかのようにも見えた。


「我慢してるんでしょ?私たちを傷つけたく無いから…でも、このままじゃイケナイことぐらい、アナタもわかってるんじゃない?」


 コリッ、コリッと噛む音。


 そこに「…私ね、嘘ついていたんだ」と少女は言葉を重ねる。


「代表なんて真っ赤な嘘。今も立場だけの存在で、語っていることも両親の言葉を代弁しているに過ぎないの」


 カリッ


「両親はね。私が幼稚園に上がるくらいに今までの自然保護のやり方じゃあダメだって。時代の流れに沿うように、時代を代表するような指導者を立てて、魅力的な情報を流すことこそ、自分たちの考えを広められる最良の手段だと信じたの」


 コリッ


「最初こそ、その考えに私も賛同していた。視聴する人が増えていくことで、多くの人の関心が集まることで私は人の役に立てているんだって思っていた…でも、人と話していくうちに、多くの人の意見を知るうちに、次第に違和感も覚えた」


 カリッ


「両親の勧めで学校を出て、二人の意見をなぞる生活が本当に正しいことなのかだんだんと分からなくなっていった…注目されて、声高に叫び続けることだけが本当に正しいことなのか、わからなくなった」


「…だからね」と、眼前まで近づいた植物の背にそっと触れる少女。


「誰の目にも止まっていない、今の素の自分が言える立場かは分からないけれど、お願いだから聞いて」


 無言でブロックを咀嚼する植物に語りかける少女。


「アナタの力を借りてここから一緒に出よう。外の世界に行こう…だから」


 そのとき少女の頭上を触手が飛び、彼女が触れていた植物を打ち倒す。


 弾みで一本の触手が天井へと伸びると、ブロックを照らしていたライトのスタンド部分に引っ掛かり、体制を崩した植物たちと共に下へと引っ張られ…


「嘘だろ?」


 ライトごと天井が崩壊していく。

 

 固定されていないブロックのように。

 天井と床に落ちたブロックはほぼ同じ材質で、大差がないようにも見え…


(いや、違う。そうじゃない。そんなことは問題じゃあ、無い) 


 不思議とスローに見える部屋の景色。


 中央には食べ捨てられた女性の遺体。

 その隣には争いに負け、ぐにゃりと潰れた植物の遺体。


 四隅のライトは天井が崩れていく一角を照らし――その中心にある、勇の顔を目がけて全てのライトが収束していく。


(死ぬ直前に、全てが遅く見えるって…本当なんだな)


 勇の前には巨大な口。

 先ほど、相手を倒したばかりの植物がライトを浴びる勇を飲み込もうとする。


「弱肉強食。この場で死ぬのは、一番弱い私」


 少女に押される勇の体。

 植物へと飲まれていく少女。


「ある意味、これで自由よ…さよなら」


 最期に見えたのは少女の笑顔。

 そして、植物が口を閉じた瞬間――何もかもが、上へと舞い上がっていく。


『やはり、私たちはアナタ方と共存できないのですね』


 鼻をつく甘い香り。

 見れば、勇の近くにいる植物が傷を負った状態で天井へと吸い込まれていく。


『ここは私たちが生き延びるため、環境が整えられた小さな宇宙船。ドクターは私たちが人間と共存できるよう対話をするよう、この場所を設定しました』


 次々と連鎖するように崩壊していく天井。

 その先は星々の見える銀河。


 ――空気が吸い出される中、植物の言葉だけが頭に響く。


『でも、もうお終い。酸素がなくなってしまってはアナタも私も生きられない』


 少女を飲み込んだ植物は先に宇宙空間へと放り出され、勇に語りかける植物は触手を使い、自身を壁面に固定させながら大きく口を開く。


『せめて…最期は』


 吸い出される空気に耐えきれず、勇はそのまま中空から植物の口の中へと入る。


『本能ではなく、自我エゴでアナタを生かしたかった』



「――大丈夫か、顔色が悪いぞ」


 気づけば、勇は川端にあてがわれた部屋で引越し用の段ボールの中に囲まれてたたずんでいた。


『先ほど、国際的な活動をしているエコ団体**からの声明があり、現在行方不明となっている代表の**に対して、捜索願を出すとともに今後の活動内容の変更は無いことと、代理として彼女の両親である*氏と*夫人が代表として今後を』


 一階の廊下から聞こえてくる、テレビのニュース。


 勇は自身が大学生活を送っていたアパートを引き払い、家財道具のいくつかを川端に手伝ってもらいながら運んできたことを思い出す。


「しばらくのあいだ、部屋が静かだったが…まさか、お前?」


 何かに気づいたのか声をかける川端に『彼女は私たちの大切な娘です』と団体の代表である、夫妻のどちらかの翻訳された声が重なる。


『今も行方が分からないことを私たちは悲しむとともに、彼女の意思を汲む形で今後も団体の活動を続けていくことを決めました』


「…今、ニュースでやっている行方不明の子に俺は会ったかもしれない」


 そうつぶやく勇に「そうか」と天を仰ぐ川端。


「先日、お前さんに渡したカメラ型ボタンに映像が撮れていれば、少しは状況がわかるはずだ…お前さんが会った彼女が当人かどうかも」


 それに勇は首を振り「でも。生き残ったのは俺だけで」と項垂うなだれる。


「そのあと、シスターに会って。この前とは違う、金髪のシスターで…」


 カメラ入りのボタンを外そうとするも段々と立っていられなくなる勇に「先に病院に行ったほうが良いかもな」と川端はスマホを取り出す。


「向こうに行った以上、ストレスがかかるのは当然だ。バックアップはこっちで取る。お前は病院で検査を受けて、しばらく休むことだ」


「けれど…!」と、うめく勇の耳に悲鳴が届く。


『たった今、団体の代表を務める夫妻がカメラの前で消失しました。私にもわかりませんが、突然目の前から消えたようで。番組では追って状況の説明を…』


「いいか、こんなことは日常茶飯事だ」


 電話をかけつつも、勇に目を向ける川端。


「お前さんが知らないところで【治療プログラム】に参加させられている人間は世界にごまんといる。生き延びられた人間だけが、この世界に戻ってこられる…弱肉強食の世界なんだ」


「…クソッ」


 最期に悪態あくたいを吐き、床に倒れ込む勇。


 ――その後、夫婦は還らず、団体も政府により解体されたことを勇は知った。

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