鬼とオニユリ10


 山を駆け下りる烈火は、体力の限界が近づいているのを感じていた。


 足の踏ん張りが効かず、何度も頭から転倒したからだ。

 確かに鬼の烈火は人間よりは夜目が効き足も速かったが、失血と疲れはすべてをおとろえさせていた。

 しばらく前に転倒した際に、手にしていた灯りも消えている。


 もう、何も見えはしなかった。


 族長のごうに手助けされ、せると思っていた。

 角を折ってまで勇太を救いたい気持ちは本物だった。


 ――― なのに、このざまはなんだ!


 ひざわらい、すねもしびれ、体の筋肉の一つ一つが烈火の意思にしたがわず悲鳴を上げている。


 一呼吸ごとにのどが炎で焼かれているように熱い。


(これは鬼であることを捨てようとした、俺への罰なのか?)


 倒れた体を起こす気力が烈火にはなかった。

 気力だけでなく、失血のために体が思うように動かないことは事実でもある。


 精根尽せいこんつてて地べたに倒れこみながら、烈火は地をいた。


(……これまでなのか?)


 指先の痛みと共に、先日かすみが白百合のような手で傷ついた拳を拭ってくれたことを思い出した。


 はじめて口づけを交わしたあの日、かすみは烈火にこう言った。


『あなたが疎んでいる力もきっと必要なときがくるわ。無駄なことなど、一つもないわ。

 ほら、大丈夫』


 今、この時に鬼であることが役に立たなければいつ役に立つというのだ。

 勇太を救うには今しかない。

 次などないのだ。


 かすみは、信じて待っている。

 そうだ、俺を待っている者がいる。


 絶望で冷え固まった魂に、再び火がともる。


 熱く激しい消えることのないほのお


 心が体が、再び息を吹き返すと、彼を後押しするように月があわく道を照らす。

 烈火は、残された力を片膝かたひざに込めて立ち上がり、村を目指して再び歩き出した。


 *


 烈火は足元もおぼつかないままなんとか山を下り、いつもかすみと別れる大きな杉の木の元までたどり着く。

 村はもう目の前だ。


 あと一息と、泥だらけの顔を上げると闇の中にだいだい色の暖かな花が、列をなして浮かんでいるのが見えた。


 この時期に咲くだいだい色の大きな花と言えば、花弁かべんまだらの模様のある鬼百合おにゆりに他ならない。


 ――― 鬼百合おにゆりの花がなぜこんなところに咲いているんだ?


 烈火は、わが目をうたがい目をこする。


 まぼろし?


 いや違う。



 烈火が鬼百合だと思ったのは、灯火とうかであった。


 村人が協力し、烈火が迷わず薬草を届けられるように道を照らしていたのだ。

 彼の帰りを待ちわびるかのように、その灯りはかすみの家まで続いていた。


 烈火を信じ待っていたのは、かすみだけではなかった。

 村人は皆、彼の帰りを、勇太を救ってくれることを願っていた。


 熱くなった目がしらを押さえながら、温かな光の道を烈火は最後の力を振り絞り駆け抜けた。



 息を切らし倒れこむように、烈火はかすみの家の土間どまへ入る。

 あらわになった上半身は、泥と擦り傷だらけであり、頭に巻かれた手ぬぐいが、出発したときとは別物のように血で真っ赤に染め上げられていた。


 かすみはその姿を見るなり手に持っていた包帯を取り落とし、着物が汚れるのも気にせず、烈火の胸にすがった。


「烈火っ! れっ…か…」


 彼の帰りを確かめるように、何度も名前を呼んだがこみあげてくる嗚咽おえつでうまく言葉にはならない。


 烈火は、かすみを強く抱きしめた。

 待たれていたのは薬草だけでなかった。


 そのことを強く感じ、烈火は体の痛みがしばしやわらぐ気がした。


「俺は大丈夫だ。それより薬草の確認を頼む」


 かすみは、その言葉に我に返った。

 涙をぐいとぬぐうと自らのほほをパンとあたりに響く渡るほど強くたたく。

 烈火の目の前には、先程すがりついて泣いたか弱い娘の姿はなく、一人の薬師としての使命を背負った者の顔があった。


 彼が、まだ土の付く薬草を広げるとかすみは、それを丁寧に手に取り吟味ぎんみする。


 見ているのは、葉の形、色、匂い。灯火のもとでは陽の光のもとより慎重に見なければならない。

 時間にすればわずかな間のことだったが、烈火には長く感じられた。


 間違っていれば、もう一度引き返さなければならない。しかし、それだけの時間はもう残されてはいない。

 固唾かたずを飲み見守っていると、かすみが力強くうなずいた。


「間違いないわ! すぐに、浸剤しんざいを作ります」


 薬師としての使命に燃え、強く輝くかすみの姿を見て、烈火は安堵あんどした。

 これで、勇太は助かるだろう。


「後は、任せ…た……」


 それだけ言うと烈火は、緊張の糸が切れたのか意識を失い体がぐらりとかしいだ。


 大木のような烈火の体を細腕のかすみが抱きとめられるわけがなかったが、かすみは夢中で彼の体を支えようとした。


 これ以上、烈火に傷ついて欲しくない。守りたかったのだ。

 ほとんど押し倒されるようにではあったが、かすみは確かに烈火を受け止めた。

 すぐ近くにある烈火の顔を見れば、疲れきっているはずなのにどこか清々しい頬笑ほほえみを浮かべていた。


「……ありがとう、烈火」


 泣きながら、烈火を抱きしめるかすみに村人が手を差し伸べる。

 村人も烈火が勇太のために大事な角を折る様を見て、胸を打たれたのだ。


「こいつのことは任せろ。息子のためにここまでしてくれた奴だ。しっかり面倒は見る」


 勇太の父大吾が、烈火の脇を抱え世話を申し出た。

 薬師を目の敵にしていた勇太の父もまた、息子の命を繋ごうと諦めずに戦ってくれたかすみと烈火を見て心が動かされたのだ。


「大吾さん、ありがとう!」


「礼はいい。今まで色々すまなかったな……。勇太のこと、頼む」


「はいっ!」


 人間と鬼。


 どこまで歩み寄れるものかは、誰にも分からなかったがかすかな光がさしこみ、それがかすみにはとてもまぶしく暖かく感じられた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る