鬼とオニユリ6


 人里の騒ぎは、鬼の族長、ごうの耳にまで届いていた。


 いつもならば人の集落も鬼の集落も、夕餉ゆうげが終わり夜のとばりと共に静かに村も眠りにつくはずだが、今晩に限って人里は祭りの夜のように火がかれ明るい。


 赤い松明の灯りが、右へ左へとゆらゆらと闇を泳いでいる。

 風に乗り途切れ途切れに聞こえる喧騒けんそうと張り詰めた空気を肌で感じ、剛は初夏だというのに背筋が粟立あわだった。


 ――― 何かよくないことが起きている。


 それは、つばめやひたきも同様に感じていた。


「お父さん、なんだか怖い……。烈火は一人で大丈夫かな?」


 つばめが不安げに、父の手をとりあおぎ見た。


「烈火は強い男だ。心配はいらぬ」


 そう剛は返事をしたが、この人里の騒ぎが烈火とは無関係とは考えられず、妻のひたきに娘をたくすと見回りに出た。

 気がかりはやはり烈火のことであり、まずは彼の元へと向かう。

 剛は、はじめはかすみが鬼の集落へ入ることを反対したものの、かすみという人物を知るほどに人としても薬師としても鬼に理解がある稀有けうな者だとわかりその態度をゆるめていた。


 烈火とかすみは、鬼と人との垣根をなくしたいと言う点で似ているだけでなく、弱音を吐かず他人に頼るのが苦手だというところがひどく似ていた。

 それゆえに、烈火がかすみにかれるのはしごく当然のことのように剛には思えた。だからこそ心配でならなかった。


 腕っぷしが強いということと、心が強いということは別だ。

 烈火は、鬼族のなかでもひときわ強い。いくら鬼が強いとはいえ熊と戦い勝ちを納められるものなど烈火と剛くらいなものだ。


 しかし、烈火は剛と決定的に違うところがある。

 烈火は、優しすぎるのだ。優しいと言ってしまえば聞こえはいいが、甘いということ。

 つばめの面倒を見てくれるのは助かるが、そのつばめが拾ってきたトビの雛まで世話するなど剛には理解できなかった。もし、あのまま雛が死んでいたら烈火はつばめと共に墓を作り、泣きやむまで慰めたことだろう。


 山で暮らす者にとって、鳥など食料にすぎない。獲物の死をいちいちあわれんでどうするというのだ。

 それに、烈火はかすみが人間だということで、人間全部を信じたい、信じてみようと思い始めている。

 それが自らを傷つける結果になるかもしれないことに気づいているのだろうか。

 剛は烈火の行く末を案じ、深い溜息ためをついた。


 ほどなく烈火の家へ到着するが、家は空であった。

 剛は嫌な予感が確信に代わり、あたりを歩き見ると絶命した熊と血の跡を見つけた。

 その点々とした血の跡は、山をくだり村の方へ続いている。


「烈火……。いったい何があったんだ」


 剛は人里に続く山道を見やりながら、烈火の身を案じ絞り出すようにつぶやいた。


 *


 剛が山道で立ち尽くしていると、闇の中から近づく足音が聞こえた。

 まだ月も登ったばかりで、あたりも暗い。この山道を走り登ることができる人間などいない。


 鬼くらいなものだ。

 予想通り、息を切らした烈火がやって来た。


「剛……」


 烈火からすれば、剛が不意に現れたように感じたのだろう呆然と名を呼ぶ。

 しかし、それよりももっと驚いたのは剛の方だった。


「烈火、角はどうした!?」


 烈火の両の角はもうなかった。




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