鬼とオニユリ5

 烈火は確かに、人間が怖いとも憎いとも思っていた。


 しかし、かすみのように鬼を信じ助けてくれる人間がいることも知っている。

 両親の敵に対する憎しみは消えなくとも、人間全体へ対する憎しみはもうずいぶんと薄らいでいた。

 けれど、人間の方は烈火への憎しみをあらわにする。


 たかが、鬼一人にでも……。

 同じ憎しみの目が、脅威きょういの目が、かすみにも向けられていることが烈火には一番耐えがたかった。


 ただ、大切なものを守りたいだけなのに……。


 自分が『鬼』だから、かすみに迷惑をかけるのか?

 自分が『鬼』だから、こんなにも多くの者に疎まれるのか?

『鬼』だから、勇太を救えないのか!?


 ――― あなたがうとんでいる力もきっと必要なときがくるわ。無駄なことなど、一つもないわ。


 かすみは、そう言ってくれたではないか、今がその時だ。

 鬼だから、俺だからこそ、勇太を救えるのではないか!!

 夜目が利き、足は頑健。仮にまた熊が襲ってきても、自分なら問題ない。

 俺にしかできないなら、やるまでだ。

 言葉で伝わらないなら、行動で示すしか道はない。


 ――― 心は決まった。


 烈火は、自分をしばっている縄を満身の力を込め引きちぎり、立ち上がった。

 幾重にも巻かれていた縄であったが、ぶちぶちと音を立て足元に落ちる。


 いつでもそうすることはできた。

 しかし、烈火はこらえていたのだ。

 無駄な恐怖を人間に与えれば、人間と鬼の関係が悪くなると慮ったからだ。

 烈火の迫力に一同が後ずさる。


 異形なのは角だけではなかった、その体は村人の誰よりも大きく、背も頭一つ分は高い。

 初めて鬼を見たものは、山が動いたほども驚いたようだった。

 けれど姿など関係ない。勇太を救いたい気持ちはひとつだ。

 烈火は、人間を目の前にしても恐れることなく顔を上げた。

 鬼は鬼、人間は人間だとしても、人間に心があるように鬼にも心があり人間と同じように、子を思う心があることを知ってほしい。伝えたいのだ。


「皆、よく見ろ!」


 自由になった手を自らの頭上に置くと、無造作むぞうさに角をにぎる。

 どうか、どうか分かってくれ!!


 そして、躊躇ためらいもなく自らの角を圧し折ったのだ。


 生木なまきを裂くような音が響き渡り、一同が息を飲む。


 角のあった場所からは血があふれ烈火のひたいを赤々と染める。

 何が起きたのか理解できないかすみは、口元を押さえ真っ青になり呆然ぼうぜんと立ち尽くした。


 しかし、烈火がもう一方の角にも手をかけると我に返った。


「ダメ! 烈火、そんなことをしては!」


 烈火の腕にすがりつき、止めようとするかすみを空いている左手でぐいと胸に抱き寄せた。

 烈火は思う。自分を案じるこの声、温もりがあれば、たとえ角がなくとも生きていける。


 他者を愛し、心配し、大切に思うことは、鬼だとか人間だとかは関係ないのだ。

 それを分かって欲しい。ただ、それだけなのだ。

 烈火に、迷いはなかった。


「これが、俺の意思だ。鬼であるから勇太を救えないというなら、鬼であることを捨てよう」


 胸をえぐるような、するど破裂音はれつおんと共に烈火は二つ目の角ももぎ取った。

 頭の先から、つま先までしびれるような鋭い痛みが走り、ひざが折れそうになる。

 すると、かすみが烈火をぎゅうと抱きしめ支えた。

 烈火は、人間と同じ赤い血で染まった顔を上げると、その場にいる者に呼び掛ける。


「俺を信じてくれ!!」


 そこにいるのは、人間でも鬼でもなく『烈火』という名の男だった。

 角が無くなっても、人間にれるわけでもないことを烈火は分かっていた。

 角を折り、人間にまぎれようとした鬼の話はいくつもあったが幸せになれないのが物語の常だった。


 それでも今この一瞬、勇太のために、小さな人間の友のためにできることがこれしかないと思えた。

 その場が、水を打ったように静まり返ったのを、なんらかの理解が得られたと烈火は解釈し、かすみに言う。


「俺は、行く。お前は、ここで勇太の看病かんびょうを。必ず帰るから待っていろ」

「はい!! 待っています!! あなたのことを、あなたの帰りを勇太と共に待っています!!」


 そういうと、かすみはきびすをかえし村長をにらみつけた。


「烈火しか勇太を救えない!! あなたは、村長として彼に頭を下げて願うのが筋というもの」

「何を!! 小娘に何がわかる!!」


 自分の子よりも若いかすみに指摘されて、村長は激昂げっこうしこぶしを振り上げた。

 かすみは、避けようとはしなかったが、そのこぶしはすんでのところで止まる。

 村長の手を、村人が押さえつけ止めたのだ。それも一人ではない。


「何をする!! 止めぬか!!」

 村長は、もんどりうって倒れこみ皆に抑えられる。


「頼む。勇太を、息子を救ってくれ!」


 真っ先に村長を止めたのは、勇太の父大吾だいごだった。

 今まで、村で一番に薬師をうとみ、鬼を敬遠していた男だ。


 しかし、烈火が自らを犠牲にしてまで勇太を助けようとする姿に心が動いた。

 血まみれの勇太を見たとき、大吾は妻と同様に息子もあっけなく失われる命だと思った。

 そう諦めた方が楽だからだ。


 けれども、かすみも烈火も諦めなかった。

 薬師とはそういうものなのか?

 大吾は、時を経てようやく薬師というものの本当の姿を見せつけられた気がした。


 他の村人もそうだ。

 鬼は非情ひじょうで人間すら食うというのは、ただのうわさであり真実ではないと烈火の姿を見て知ったのだ。

 自分の命であろう角を折ってまで、人間の子を救おうとする鬼を誰が憎むことができようか。

 見えない垣根かきねが消えて新しい絆が生まれようとしていた。


「烈火さん。ここはいいですから速く山へ!! 薬草をお願いします!!」

「あの子は、いい子なんです。助けてやってください」

「あなたのことを信じます。早く行ってください」

 村人からかかる励ましの声の中、烈火に恐る恐る手ぬぐいを渡したものがいた。


 勇太の双子の弟妹ていまいだ。

 紅葉もみじのような小さな手で差し出される白い手ぬぐいが、眩しく見え烈火の目頭は熱くなる。


 烈火は、それを希望のようにありがたく受け取ると、止血のために頭に巻き山へけて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る