鬼とオニユリ2



 血の跡をたどり、着いた先は村長の家だった。真夜中だが、松明が焚かれ人が集まっている。


 髪を絡ませ肩で息をし、裸足で駆けつけたかすみの姿を見て、家の前に集まっていた村人たちは道を開けた。

 わかっているのだ。

 今、この家にけが人がいてかすみの力が必要だということを。


 なのに、呼びに来なかったのは村長の命令があるのだろう。

 鬼の烈火の姿を見、かすみを仲間だと恐れていることも要因かもしれない。

 烈火やつばめ、剛やひたきを知ればそれが誤解だとわかると言いたかったが、今はそれよりやらなければいけないことがある。


 かすみは、前へ進んだ。

 その足取りは、ためらいはなかった。

 助けを求める者がいれば、火中ですら飛び込む決意がその背からは感じられた。



 土間に入ると、烈火が縄で柱に縛り付けられていた。

 こうべれ表情は見てとれないが、その胸元は赤黒い血で染め上げられていた。

 かすみは我を忘れ駆け寄る。


「烈火!? 烈火ッ!!」


 かすみはしがみつくように烈火の胸をまさぐり、それが彼の血でないことを確認しすかの間胸をなでおろした。

 しかし、ひたいは割れたのか乾いた血がついており、左頬は殴られ腫れ。唇も切れ血がにじんでいる。

 無抵抗で殴られたのだろう。熊と対峙したときより傷が多い。

 相手が人間だから、争いの火種を起こさぬよう自分が傷ついても人間を傷つけることはしなかったのだ。


 かすみの目に涙が浮かぶ、泣いている場合ではないと分かっていても涙は止められなかった。


「なんてひどいことを……」


 かすみがそっと口元の血をぬぐい頬に触れると、烈火が顔を上げた。


「……かす…み…?」


 かすみが、縄を解こうとすると、烈火がハッと我に返り強く制止する。


「このままでいい。俺の縄を解くとまた騒ぎになる。それより勇太をすぐに診てくれ! これは勇太の血だ」


 その言葉に、かすみは青ざめる。


 烈火ほど頑健がんけんならば、命に関わることはないが勇太はまだ子供だ。

 これほどの血を流せば、どうなるのかは考えたくはない。


「わかるな。一刻を争う。俺にかまわず行け」


 他の者に聞こえないように押し殺した烈火の声は、すべてをかすみに託すものであった、


 かすみは、気持ちを抑えて烈火の言葉に従う。


「分かったわ。すぐもどるから、それまで辛抱して」

「ああ、頼んだぞ」


 *


 奥の間に、勇太が寝せられていた。


 村人は、なすすべなく皆見ている。

 かすみの姿を見ると、みな黙って道を開いた。


 もし万が一にも、勇太を助けられる者がいるならそれは薬師くすしであるかすみだけだと、村人は分かっているからだ。


 勇太の状態は思わしくなかった。

 いつもははち切れんばかりの勢いと元気にあふれた勇太だが、同じ子どもとは思えないほど衰弱している。

 顔色は青白く、眼もとには深い影を落とす。


「勇太! わたしがわかる?」


 かすみの強い呼びかけに、勇太はうっすら目を開ける。

 返ってきたのはかすかかな声。


「か…すみ……ねえ…ちゃん……?」


 それでも、かすみは希望ととらえた。

 まだ、意識がある。まだできることがある。


「勇太、あんたは強い子なんだからこんなところで負けてはダメ!」

「……ごめんよ……おれ……」


 焦点もおぼつかない勇太の姿に、薬師として無力さに押しつぶされそうになりながらも、なんとか気持ちをふるい立たせる。


 わたしは死に水を取りにきたんじゃない。

 助けるために、ここに来たのよ。

 諦めない。

 絶対に、諦めてはいけない。


「勇太、許さない」


 いつになく厳しい言葉にまわりも息を飲む。

 かすみのこんなに険しい顔を見たものはいない。


 死に際の子供に、なにも厳しくしなくともよいのではと、周りは思っている。

 しかし、かすみは勇太をこんなところで死なすつもりはなかった。

 勇太の手をぐっと握り、心を鬼にして言うのだ。


「許さない。そんな弱気は許さないわ。

 いいこと、わたしがそばにいるからがんばりなさい!」


 勇太の目から涙があふれる。

 それは、勇太には母の声のように聞こえた。


 かすみの手をしがみつくように握る勇太の手から、生きたいという叫びが聞こえる。

 それを全力で手助けするのが薬師の役目だ。


「勇太の手伝いなしでは困るのよ。さあ、気をしっかり持って」


 勇太は、弱々しくだが確かにうなずいた。


 *


 かすみは、慎重に勇太の背の傷を確認する。

 傷口からはまだ、じわじわと血が染み出している。


 鋭い爪で肉をえぐるように走る三本の傷。

 そのままでは、容易には治らないだろう。


 傷を洗い清潔にし、縫い合わすことが必要だ。

 特に、獣に傷つけられた傷は念入りに洗わなければならない。

 傷口からよくないものが入ったり、膿んだりし、それが死につながるからだ。

 今までは、このような診断や指示は祖父がしてくれていた。


 もちろん、薬師をこころざすと伝えてからは持てる知識をすべてかすみに託すように源斎は孫のかすみに教え込んだ。

 しかし、かすみにとってこの春が薬師としての独り立ち。

 祖父に頼り二人で成していたことを独りで成すことは難しいが、今はやるしかない。


「誰か手伝って! 清潔な布と水を準備して。わたしは家から薬と道具を取ってくるから、その間、お湯を沸かしてちょうだい。部屋を潤わせたいの」


 薬を取りに行ったかすみは、傷口を縫うための痛み止めの薬草と熱冷ましの薬を探す。

 そして、熱冷ましの薬がわずかしかないことに愕然がくぜんとする。

 どうすれば……。


 今は、考えている暇がない。

 とにかく、できることからやって行くしかない。


 *


 もどると、かすみの願っていたことは村人が協力し成してくれていた。

 湯も布も十分ある。

 かすみは、しっかり髪を束ね直し、動きやすいようにたすきを掛けた。 

 痛み止めの薬草を煎じて勇太に飲ませると、もうろうとし感覚が麻痺する。

 多く与えれば痛みは感じないが、量を間違えると取り返しがつかない。

 今の状態で多くを与えると、命取りになるため痛みは拭いきれない。


(勇太、辛抱してね……)


 針と糸を煮沸消毒し、傷を縫う。

 子供の柔らかい肌に針を刺すのは心が痛い。

 どうか、傷が早くふさがり血が止まりますように……と、祈りながら縫う。

 勇太は時折、痛みでうめき暴れたが村人が押さえ手伝ったおかげで、早く傷は縫えた。

 最後に膿み防止と傷の治りを助ける軟膏を塗り、包帯を巻く。

 傷の手当ては終わった。


 ひとまず、かすみは額の汗をぬぐう。

 傷はこれでいい。しかし油断はできない。

 血が流れすぎていることと、獣に傷つけられた者は高熱が続き死にいたることがあるからだ。


 熱さましが多く必要だ。

 しかし、熱さましの薬草は冬に熱の出る風邪が流行ったために、もう残りわずかであった。


 これだけでは薬が足りない……。


 しかも、かすみは勇太から目を離せない。

 山へはいって薬草を摘むことはできない。


 村人も、血だらけの烈火を見たことで鬼への恐怖心が募っている、山へ入ることは不可能だ。

 勇太のことは誰かに頼み、山へ入ることを考えるかすみだが、かすみの足で山を駆けて薬草を持ってくるまで勇太が持つか……。


 何か手立てを考えなければ、きっと何か方法が……。

 考えても考えても気ばかり焦り答えがでず、不安で押しつぶされそうになる。


 その時、烈火のことを思い出した。


 突然差しのべられた烈火の大きくて逞しい腕、大きな手のひら。


『手を取れ、少なくとも転ばない。お前さえ嫌でなければ……』


 彼を頼ってもいいだろうか。

 いや、烈火にしか勇太を救うことはできない。


 山を熟知する山守りであり、頑健な鬼。


 烈火の足ならば、山を駆けることができ、夜目でも薬草が見つけられるだろう。


 かすみは、その考えを皆に伝えた。


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