第7章 鬼とオニユリ
鬼とオニユリ1
夜空を雲が飛ぶように流れて行く。
あわせて、木々の梢のざわめく音がかすみの不安な心を
そとで何があったのか、かすみが耳をそばだてわかったことは、烈火が村に来たこと、勇太が怪我をしているようだということだけだった。
しばらくすると家の前で起きていた喧騒が一気に鎮まり、不気味なほどの静寂が残った。
それは、烈火が人間の手に捕えられたことを意味していた。
かすみは、なんとか扉を開けようと力の限り戸を引いてみたが心張り棒があてがわれ戸は微動だにしなかった。
怪我人が出ているのに、なぜ自分が呼ばれないのか、かすみはもどかしかった。
助けを待つ者がいるのに、駆けつけることを許されないほど、自分は間違ったことをしていたのだろうか……。
かすみは自問したが 止まらない涙は何も答えてはくれない。
鬼と人間の争いに、病人やけが人が巻き込まれていいはずがない。
争えばそういった者たちが増えるだけであることは、誰もがわかることなのに。
恐れが誤解を呼び、いもしない『鬼』という人を食らう鬼の像を作り上げている。
疑心暗鬼……。
疑う心にこそ鬼が、魔が潜むもの。
いつも物言わぬ『病』という魔物と戦っているせいだろうか、かすみは言葉が通じ意思を通じるものを不必要に恐れない。
しかし、周りの者は違う。
鬼に会い、山に行っていただけでかすみまで鬼になってしまったような
そもそも、鬼がどういうものか噂でしか知らない者たちが、なぜ鬼を悪と決め付けているのか、かすみには分からなかった。
分からないことがすでに、村の中で異質だったことにいまさらながら気づく。
けれど、このまま終わるわけにはいかない。
烈火と勇太を助けなければ!
なのに、今のかすみにはどうすることもできなかった。
自分は、薬師として一人前であると思いあがっていたのだろうか。
人間と鬼との領域を侵し、自ら踏み込みそして村人に不安を種を撒いてしまった。
けれども、元来そのような住み分けは無かったはず。
境などなければ、皆が豊かに暮らせると思うことは間違いだったのだろうか。
ただの夢物語でしかなかったのだろうか……。
こんなことになるなんて、何もかもが過ちだったのか。
村長で博学だった祖父ですらあえてしなかったことをしてしまったことは、回りにとってはただ迷惑だっただけだったのかもしれない……。
かすみは、暗い洞窟にでも閉じ込められたような、息苦しさと絶望感を感じた。
そのとき、不意に烈火の言葉を思い出した。
――― 『うまいことは言えないが、俺はいつでも待ってるから。あきらめるな』
烈火の真摯な眼差しを感じ、胸に火が灯る。
烈火は、今もきっとわたしが来ることを信じて待っているはず。
行かなければ!
扉の隙間から外を
試しに戸を引いてみたがびくともしない。
棒がつかえているのだ。
かすみは、自分の両頬をパンと張ると、意を決して戸に体当たりした。
大きな音がしたものの、棒が外れた気配はない。
再び助走をつけ繰り返し体当たりを試みると、 強い衝撃が肩から頭の先まで駆け抜ける。
肩が軋み悲鳴を上げているが、やめようとは思わなかった。
最後の最後まで、諦めない。
それは、薬師の本分でもあった。
乱れる息を大きく深呼吸をして整えると、かすみはもう一度、もう一度と戸板にぶつかってゆく。
烈火が、危険を冒してかすみを頼りに来たことを思うと体の痛みなど気にしてはいられなかった。
薬師でなければ、わたしでなければできないことがある。
こんなことで、負けてはいられない!
満身の力を込めて、体当たりする。
肩を痛めることなど恐れずに、痛みすら忘れてぶつかる。
すると、ガランという音がし、扉を開かないようにしていた筋交の棒が外れた!
かすみは、髪のほつれも着物の乱れも気にせず裸足で表へ出た。
まだ月が昇り始めたばかりで、あたりは薄ぼんやりとしか見えない。
その闇の中、真っ先に血の匂いを感じる。
口の中が苦くなりむせそうなほどの、錆びた鉄の匂い。
足元を見ればポツポツと墨をこぼしたような大きな染みが見える。
光がないため、そう見えたがこれは血の滴った跡だ。
かすみは、息を飲んだ。
この血は、烈火のだろうか、それとも勇太の?
背筋がざわっと泡立つ。
真っ暗な闇の中、落雷の前触れのような肌を逆撫でする張り詰めた空気が漂っていた。
急がなければ!
かすみは、血の跡を追って走り出す。
束ねていた長い髪が解け、闇に流れた。
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