鬼と少年7

 烈火は、静かに息を吸うと拳を構えた。


 いつもは、烈火の瞳は明るい黄味がかった琥珀こはく色をしている。

 だか、今、熊をにらみ返す彼の瞳は闇の中、雲母うんものようにギラと金色に光っていた。


 熊の血塗ちぬられた爪が頭をかすめる。

 空を切る鋭い爪から、勇太の血が滴り烈火の頬を汚した。


「グアァァァ!」


 熊は、口から泡をほとばしらせカチカチと奥歯を鳴らし、地を揺らすような低いうなりで威嚇いかくする。

 我を忘れた熊にのしかかられると、烈火の骨はギリッときしんだ。


「うぐぅ……」


 堪らず低いうめきが漏れる。

 このままでは押しつぶされてしまう!

 すかさず熊の鼻下を目がけ頭突きを繰り出す。


 烈火の角が刺さると、熊は闇を裂かんばかりの咆哮ほうこうを上げた。

 烈火は、足で熊の腹を蹴り上げ、体の上からはがすと素早く後ろに回り、羽交い絞めで熊を締め上げる。


 ――― 逃してなるか! ここでとどめを刺す!


 熊は四足しそくをばたつかせもがき、烈火の腕は傷つき血が流れたがいましめは固く、かれる気配はなかった。


 烈火は、満身の力をその腕に込めた。


 熊の胸骨、背骨がきしみ、そのまま骨が砕けた。

 熊は、血泡ちあわを吹いてひくひくと痙攣けいれんし絶命する。


 烈火は、それを確認すると肩で息をしながら地面に両膝を着きうずくまった。

 がたがたと震える傷だらけの両腕を見ながら、体の中でけものの血がかけまわっているのを感じ、ぞくりとする。


 体が、もっと戦いをほっするような気がし、恍惚こうこつとした眩暈めまいに襲われたのだ。


 意識が遠のいた瞬間、不意にかすみの声が聞こえた。


『烈火! 隠さないで傷を見せなさいっ!』


 ビクリとし、顔を上げる。


 先日、腕に傷を負ったときに言われた言葉が烈火を現実に引き戻した。


「しっかりしろ! なぜ戦った? 戦いを欲したわけではないだろ。守るために戦ったんだろ!」


 ――― ほうけている場合ではない。


 腕に走る熊の爪の傷跡をぐいと握った。


「うぐっ!」


 鋭い痛みが、腕だけでなく全身を駆けめぐる。

 しかし、そのことでしっかりと自分を取り戻した。


 勇太はもっとひどい怪我を負っているはずだ。  

 烈火はよろけながら、倒れている勇太の傍へ行く。


「勇太! しっかりしろ」


 助け起こすとべったりと、烈火の手に鮮血がつく。

 汚れた勇太の顔色は、血の気を失い青白い。


 うっすらと目を開ける勇太。

 その目はうつろに泳ぎ烈火をとらえることがなかなかできない。


「れっ…か……」


「話さなくていい。今、血止めをするから我慢しろ」


 烈火は、勇太の背の傷に自分のさらしをはずし勇太の止血をしながら、これはかすみに頼るしかないと考え、すばやく勇太を背負い山を下り始める。


「ごめん……。俺のせいで、俺が告げ口したせいでかすみ姉ちゃんが見張られていて、家から出られないんだ。

 烈火に、姉ちゃんのこと頼まれたのに、俺、姉ちゃんを独り占めしたくて……。ごめんよ。烈火」


 勇太が何の話をしているのか、烈火にはよくわからなかったが自分にびるため一人で山に来たことだけはわかった。


「気に病まなくていい。すぐにかすみのところへ連れて行くから、辛抱しんぼうするんだぞ!」


 勇太を背負い、烈火は鬼族のおきてをやぶりかすみのいる人里へ向かった。


 人間の住むところに鬼が踏み入ることは、烈火にとって危険なことであった。


 それでも、迷っている暇はなかった。


 勇太を救えるのは、かすみしかいないからだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る