第6章 鬼と少年

鬼と少年1


 山間にある村は、しっとりとした朝霧のなか目覚めようとしていた。


 きらきらとした雫が青々とした笹の葉をついとすべり落ち輝く。

 山道の入り口に、小さな影があった。

 昨晩、帰らなかったかすみを心配し様子を見に来た勇太である。

 ここのところ留守の時は決まって、烈火のところに行っていることを勇太は知っていた。


 しかし、今回は往診用の用具一式がなかったところを見ると、なにか今までとは違う用向きで鬼の山へ行っていることが想像できた。

 勇太は、自分がまだ子供でかすみの相談相手になれないことが悔しかった。

 確かに、かすみから見ればやんちゃ盛りの子供にしか見えないだろうが、自分は弟妹の面倒もよく見ているし、無口な父親の変わりに近所付き合いもしている。

 いつも明るく、元気だけがとりえのように見えるかもしれないが、一人前の男だと勇太は思っている。

 かすみと話、遊ぶことは何にも代えがたい楽しみだが、それだけでなく祖父を亡くしたばかりのかすみを元気付けようとしている彼なりの心遣いなのだ。


 なのに、最近では山に行ってばかりで相手にしてもらえない。

 昨日もそうだ。しかも、戻ってこない。

 かすみが慎重そうに見えて、実は平気で無茶をすることを知っている勇太は心配でならなかった。

 かすみには、山に入ってはいけないと言われているが以前に後をつけて行ったことがある。

 勇太は、まだ村人たちが起きてないことを確認し烈火の家へ行くため山を登った。


 しばらくすると、人が山から降りてくる気配がし、慌てて木陰に隠れる。

 知らない鬼であったらどうしようと、勇太の胸は跳ねあがった。

 しかし、その人影は探していたかすみと鬼の烈火の姿と分かりほっと胸をなでおろす。

 二人に声をかけようとした勇太だったが声は喉もとで引っかかり出ることはなかった。


 見れば、勇太の知るかすみとは様子が違ったからだ。

 里へ下る山道を、かすみは烈火に手を引かれ歩いて来たのだ。

 そして、今まさに別れるところだったようだ。

 たしかに、これ以上は村に近すぎて烈火は村人に姿を見られてしまうだろう。

 鬼が村里へ近づける限界のところまでかすみを送って来たことがうかがえる。


 烈火が、かすみを気遣ってのことだとはわかる。それは分かるが、なぜ手を固く結び、名残惜しそうに見つめ会う必要がある?


 勇太は、固唾かたずを飲む。

 嫌な汗が背中を流れた。


 鬼と人間という特異な組み合わせとしても、二人の様子はまぎれもなく想い合っていると気づいてしまった。

 目を逸らし逃げ出したい気持ちとは裏腹に、頬を染め潤んだ瞳のかすみから目が離せなかった。

  そんな無防備な顔を見るのは初めてだったから。


「また、明日ね……」


 かすみは、烈火を見上げ幸せそうに目を細め微笑んだ。

 烈火の白い包帯がまかれた無骨ぶこつそうな大きな手が、かすみのほほにふれつややかな黒髪をやさしく撫でた。


「ああ、気をつけて帰るんだぞ」


 かすみはこくりと頷くと里へ向かい歩き出し、名残惜しいのか数回、烈火を振り返った。


 そして、烈火は……。

 小さくなるかすみの影が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。


  *


 勇太は頭から冷や水をかぶせられたように、身が冷たくなるのを感じた。


 それを我慢するように、奥歯をぎりりと噛む。


 なんだ!


 なんなんだよ。これは!


 烈火とかすみ姉ちゃんが恋仲!?

 そんなことあるわけない。あっちゃいけないんだぞ!


 自分が知らないうちに二人の仲が急速に進展していたことに、勇太は腹を立てた。

 自分だけの、かすみのはずだった。

 村の子供たちの中でも自分が一番かすみと親しいことを自慢に思っていた。

 美しく賢い優しいかすみ姉ちゃんをいつかお嫁さんにするんだ!

 勇太はそう思っていた。


 ずっとずっと、物心ついたときからかすみは勇太の先生であり母であり、姉であり、憧れの女性だった。

 かすみの隣は、勇太の場所であると信じて疑ったことはなかった。

 勇太が母を亡くし一番辛い時に、かすみはずっとそばにいてくれた。

 だから、かすみが辛いときはそばにいようと源斎が亡くなった冬からはかすみの支えに成れるよう笑ってくれるように元気づけていたつもりだ。


 それが、ここ数カ月あまりで現れた男に自分の場所を奪われるなんて。


 しかも、鬼だ。


 人間が、恐れみ嫌う鬼。


 そんな、男がかすみを幸せにすることができるのか?


 ――― 俺のかすみ姉ちゃんに触るな!


 焦りと苛立ち、そして独占欲。

 勇太の幼い心は、自分の居場所を取り戻したいという気持ち、ただそれだけが占めていた。


 *


 勇太は戻り、村の子供たちや弟妹と遊んでいても、かすみのことが気になり遊びに夢中になれなかった。


 もやもやとした気持ちをぬぐうために、遊びの輪を抜け出しかすみの元へ向かう。

 今朝がたの二人の姿を問い詰めてやる! と勇んで歩いて行くが、あっさりとかすみと烈火が恋仲であると肯定されたらと考えると、どうしてよいのか分からず頭を振った。

 まずは聞いてみないことには始まらない。

 何も見なかったフリをして昨晩のことを尋ねてみよう。


 いつもなら、勢いよく戸を開け土間に飛び込むがそんな気になれず、勇太は戸口の前で生唾を飲んだ。

 そして、気持ちを奮い立たせてからあたかも今駆けて来たかのように勢いよく扉を開け土間に入った。 


「か、かすみ姉ちゃん! 昨日、どこに行ってたんだよ!」


 心配してたんだぞと頬を膨らますと、かすみは先日摘んだ薬草の乾燥具合を確かめていた手を止めて、造作もないことのように返事をした。


「つばめちゃんのお父さんとお母さんに会ってきたの」

「はぁ? だってあいつ鬼だろ。その父さん母さんだって鬼じゃないか」

「そうよ。お母さんが病気だって聞いたから、往診に行ってたのよ」

「あいつも苦労してるんだな」


 勝気で生意気そうに見えた子鬼のつばめが、自分と同じように苦労していたと知り親近感を持ったが、 聞かなければいけないのはつばめのことではなく烈火のことだ。

 しかし、かすみは続けて言う。


「つばめちゃんも頑張ってるから、勇太も仲良くしてね」

「鬼となんか仲良くできるかよ」

「そう? 勇太ならお兄ちゃんだししっかりしてるから、仲良くできると思ったんだけど」

「かすみ姉ちゃんがそんなに言うなら、たまにはつばめと遊んでやってもいいけどさ」


 かすみに褒められ満更ではない気分になったが、聞きたいのは、烈火との逢引きについてだと思い出す。

 はぐらかされたこともあり、聞きにくかった言葉がうまく飛び出した。


「そんなことより、昨日の晩はどうして帰らなかったんだよ!」


 勇太の直球の問いに面食らいながら、かすみは少し頬を赤らめ、おもむろに熊が出た話を始めた。


「山に熊ぁ? いるのかよ」

「ええ、それで烈火がわたしをかばって怪我をしたから帰れなかったのよ」

「ふうん」


 勇太には分かっていた。

 かすみは嘘をついていないが、すべてを話したわけでないことも。


 自分が子供で相談相手にならないために、真実を聞けないのだと勇太は、自分の幼さが疎ましかった。

 勇太は、かすみのことばで今朝の二人の様子を思い返す。確かに、烈火の右腕には白い布が巻かれていた。

 たくましい彼は、包帯をしていても決して弱っているように見えず怪我のためとは思いもしなかった。


 ――― くやしい、烈火は大人の男で、自分はちっぽけな子供だ。


 勇太は、胸が墨で塗りつぶされていく気がした。


 *


 翌日、勇太は山へ向かった。


 かすみには嫌われたくなかったためしつこく話は聞けなかったが、烈火になら別に嫌われてもいいし、本当のことが聞けるだろうと勇太は思ったのだ。


 人目につかぬように、あたりを見回し息を潜めて山道に入る。

 かすみの後をつけながら登った時は、夢中で怖いとは思わなかったがこうして一人で登ると、どこからか鬼が出るのではないか、熊がでるのではないかと、木々の梢にさえ怯えていた。


 晴れた気持ちの良い日であっても、鬼というもの山と言うものに対する畏怖いふは簡単にぬぐえるものではなかった。


 おびえながらやっと烈火の家に辿たどり着くと、仇敵きゅてきと思い乗り込んできたというのになぜか勇太の心は安堵あんどしたのだった。


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