鬼と薬師5

 烈火とかすみが鬼の集落からの帰路に着くころには、太陽は西の山に沈もうとしていた。


 夕暮れ時の山道は草も木も鮮やかな茜色に染め上げられ、その風景は二人の心を捕えしばし足を止めさせた。

 それが過ぎれば、真っ暗な闇の世界が始まる。

 長くここにとどまれないことは分かっている。

 しかし、この美しく暖かな一瞬が永遠に続けばいいと烈火とかすみは互いに願っていた。



 二人は、夜にせかされるように仕方なく足を進めた。


「すまない。今日は、嫌な思いをさせてしまったな」


 烈火は、剛がかすみを怒鳴ったことをわびた。

 彼でさえ族長から、怒声を浴びせられたら縮みあがる。

 いくら度胸がよい薬師だろうとも、か弱い女性である。

 それゆえ、かすみはさぞ怖かったと慮ってのことだった。


 けれど、彼女の顔を見た烈火はそれが思いすごしだったことを知る。


「剛さんが怒るのは無理もないわ。けれど、お互い本音で話せたと思うの」


 一歩前進した手ごたえを感じているかすみは、晴れやかな顔をしていた。

 烈火は、取り越し苦労だったと安心し、そうだな、と頷く。


「族長は、鬼族を守ることに必死だ。俺たちは、人間に追われ家族や仲間を失ってきた。これ以上、誰も失いたくないんだ」


 これから先も、族長は厳しいことを言うかもしれないがどうかわかって欲しいと烈火はう。

 剛もひたきも、逃げ暮らしやっと今の場所を手に入れた。

 烈火も鬼の村と両親を失い、この山へ逃れて来た。

 だから、多くは望まない。つつましく、ただ家族と仲間と共にこの地で一生を終えることができればそれだけで満足なのだ。


「辛い思いをたくさんしたのね……。だから、今の均衡を保つことに必死になる。それは十分分かっているけれど、今のままでは鬼にあまりにも負担が大きすぎる。少しでも、鬼が住みやすくしてあげたい。

 そういういい方は、傲慢ごうまんに聞こえるかもしれないけれど。薬師として言わせてもらうなら、鬼には生活のゆとりがもっと必要だと思う。ひたきさんの病も半分は人間への恐怖が要因でもあるわ……」


「ひたきだけでない、俺も人間が怖い。人間が皆かすみのようだとは、まだ思えない」


「そうね。わたしも、今日はじめて烈火とつばめちゃん以外の鬼と出会ったんですもの」


 かすみは、新たな鬼との出会いで希望を見いだしている。

 烈火はその姿を見ながら、ふいに、かすみが鬼を信じてくれるのは、鬼の恐ろしいほどの力を見たことがないからではという思いがよぎった。


 女の鬼は角を持っているだけで、人間の女性とさして力も容姿も変わらない。

 しかし、男の鬼は違う。人間の男より背も体格も大きい。そして、その力は熊とも狼とも戦えるほどだ。


 人間が持たない特異とくいの力ともいえる。


 口に出して、そのことを告げようかと烈火は思ったが鬼を恐ろしく思い、かすみが去って行くかもしれないと考えると言い出せずにいた。


「なぜ、神は人間と鬼を同じ土地に住まわせたのだろうな」


「そうね。ない物を補って共に生きていけるようにじゃないのかしら」


 化け物じみた怪力を見ても、今と同じことを言ってくれるだろうか?

 どこかすがすがしいかすみとは対照的に、烈火の気持ちは沈んでいった。


「烈火、どうしたの?」


 急に暗い顔を見せた烈火をかすみはのぞき込む。

 彼の方ばかりを見て、足元がおろそかになっていたかすみは石につまづく。


 ぐらりとするかすみ体を烈火は片手だがしっかりと受け止めた。


「大丈夫か?」

「あ、ありがとう……」


 抱きとめられたかすみは、転びそうになった恥ずかしさと、烈火の胸にすっぽりと納まり、肌が触れ合うほども近くにいることに照れて赤くなる。

 烈火も、顔にこそ出さなかったがかすみの柔桃やわもものような甘くたゆむ体の感触に息が止まっていた。


 それを取りつくろうように、咳払いをすると手を離した。


「時折、薄暗くなってから来ることがあるが、いつもこんな調子か?」


 烈火が子供を心配するかのように言うため、かすみはおかしくなったが笑ってはいけないと真剣に答える。


「あなたから見ればおぼつかないかもしれないけど、こんなものよ。心配しないで。

 わたしは、烈火のようにはこの山を駆けることはできないけれど時間をかければ登り降りできるわ」


 今は夜の山道の話をしただけだというのに、かすみの言葉はそれ以外のこともすべて含まれているように聞こえ、烈火の心に響いた。


 かすみは、自分のことは心配ない。自分のできることは時間をかけても自分でやると言っているのだ。


「そうだな……すまない」


 烈火は、自分がいつのまにか他人の世話を焼くようになっていたことに驚いた。

 長い間、集落から離れひとりで暮らし、自分が誰かの力に成ることなど考えたことなどなかったからだ。

 初めて感じるもどかしい思いでかすみの足取りを見守っていたが、どうしても我慢できず、前方に立つと背を向けたまま手を差し出した。


「えっ……あの?」


 突然差しのべられた烈火のたくましい腕、大きな手のひら。


 一瞬その意味を理解できなかったかすみは、戸惑いながら彼を見た。

 烈火は、恥ずかしさを隠すためぶっきらぼうに言う。


「手を取れ、少なくとも転ばない。

 お前さえ嫌でなければ……」


 かすみは、その言葉にためらわずに細くしなやかな手できゅっと強く烈火の手を握る。


 烈火はかすみの手が夜目にも白く美しく映えるを見て、胸の高鳴りを感じながら野辺に咲く花に触れるように、そっと包み返した。

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