鬼と薬師4


 三人は、意気投合ししばらく話し込んでしまった。

 

 時間は思いのほか立つのがはやくひたきの夫、鬼の族長が見回りから帰って来た。

 族長のごうは、烈火と同じくらいの上背であったが一族をまとめ上げる者の威圧感なのか、どこか張り詰めた空気をまとっているようにかすみは感じた。

 鬼であることを強く主張する角は、牛の角のように鋭く、金色に茶の斑点が入った瞳は射抜くようにかすみを見据えていた。


 鬼族をまとめ上げる族長だ。


 人間のかすみを見てもただ不快そうに睨みつける姿は、虎のような獰猛どうもうな獣にも似ていた。

 ただ、かすみはその目と正面から対峙しても、不思議と危険を感じなかった。


 不必要に牙や爪をひけらかす男ではないとかすみの勘が告げていた。

 その証拠に、ごうはかすみに対して声を荒げたりはしなかったからだ。


 怒りを押し殺しながら、族長が口を開いたのは烈火に対してだった。


「烈火、お前が連れてきたのか? 人間の女を連れてくるなどと、何を考えているんだ」

「剛! かすみは薬師でひたきの具合を見にきただけだ」

「人間の力など借りん。はやく連れて行け 。

 そして、二度と来るな」

「聞いてくれ。かすみは、人間だが違うんだ」

「何が違うというのだ。人間は所詮人間だ。鬼とは違う」


『所詮、人間は人間だ』という言葉で、かすみは口を開いた。


 怒ったわけではなく、族長の人間に対する諦めの気持ちを少しでも変えて欲しいと思ったためであった。

 人間も、鬼は荒くれた獣のように言うものがいるが、それが違うのと同じだ。

 互いの溝を埋めるためには、凝り固まった考えをほぐし理解しあわなければいけない。

 そのために、かすみは動いたのだから。


「あなたが、そう思うには理由があるのでしょう。しかし、わたしは薬師くすしです。人間でも鬼でも救いが必要な者がいれば力になりたいのです」

「人間ごときに何ができる。そういうところが、人間は傲慢ごうまんだというのだ」


 剛に腕組をし見据えられたら、誰しも恐れをなして逃げ出すだろう。


 しかし、かすみは、食い下がった。


 ひるまなかったといえば嘘になるだろう。ただ、振り返れば烈火がいた。

 自分を支えてくれる人がいる。そう思うと力が湧いてくるのだ。

 かすみを必要としているひたきもいる。


 薬師として、見捨てて逃げ帰るなどできやしない。したくもなかった。


「確かに、傲慢かもしれません。けれど、微力ですが力になれると思うのです。奥様の具合がよくなるまで、ここを訪れることをお許しください」


 かすみの勇気に、ひたきも気持ちをふるい立たされたのか口添えをする。 


「あなた、わたしからもおねがいします。かすみさんは優しい人間なのです」

「烈火、ひたき。我々には、その娘がどういう人間かは関係ない。誰であっても人間が山へ踏み込んではならないのだ。これは人間と鬼の双方のためだ。

 そして、女、お前のためでもある。どういう意味か分かるな」

「分かります。けれど、わたしは恐れません! わたしたちはもっと歩み寄れます」

「女一人で何ができる」

「何も大きなことはできません。しかし些細なことからはじめればきっと!」


 にらみ合う両者。

 ゆずれない強い思いが交錯する。

 二人と親しい烈火ですら、間に入ることはできない。


 むしろ、かすみと剛の思いが分かるからこそ烈火は声をかけることができなかった。

 これは人間であるかすみが、鬼の族長である剛を説き伏せるしかないからだ。


 歯がゆく見守る烈火の脇を、何かがかすめた。


 窓からトビのひなが飛び込んできたのだ。

 そして、こともあろうかピィと鳴いて、そこが定位置とばかりにごうの頭に止まった。


 一同が唖然あぜんとする中、次につばめがころがり込んできた。


「父さん、ごめんなさい。ピィ子が言うこと聞かなくて」


 剛は、追い払うこともせず憮然ぶぜんとしながらひざまずいて頭をつばめに向けた。

 つばめは、トビをすくいあげる。


「邪魔してごめんなさい……」

「いいから、しばらく外で遊んでいなさい。父さんはまだ話がある」


 つばめは『はーい』と長い返事をし、かすみに手を振りながら外へ駆けて行った。


 かすみは、ちらりと族長の剛を見やり笑いをこらえた。


「なにが可笑しい」


 剛は、いかつい顔をさらにしかめかすみを睨みつける。


「いいえ。なんでもないです」


 かすみは、もう二度と彼を怖いと思うことはないだろう。

 彼が、つばめに愛情を注ぐ優しい父親だと分かったからだ。

 目の端に、笑い涙を浮かべながらかすみは剛の言葉に耳を傾ける。


「だいたい、あんなに人に馴らしてしまっては山に帰すのは無理だ」

「まだ、わかりません」

「無理だと言っている」

「いいえ、大空を飛べるようになります!」


 かすみのまっすぐな目に押され、剛は目をそらした。


「夢を見て傷つくのはお前たちのような女、子供だ」


 かすみの心は強く打たれた。


 言葉づかいは荒っぽいが、剛の本心はまさにこの言葉に尽きるからだ。


「あなたは、それを守っているのですね」

「知った風な口をきくな!」

「おかげでよく女のくせに生意気だといわれます」


 かすみは、剛に笑いかけた。

 心から、この鬼の族長に好意を持った。

 鬼の族長だからとか、つばめの父だから、ひたきの夫だから、烈火の兄貴分だからという理由だけではない。

 鬼族の剛という人物を信頼できると思った安堵からくるものだった。


 この人が怒るのは、自分の立場のためではなく守るべき家族と鬼族のためだ。

 剛は、今日はこれ以上言っても無駄だと悟ったのか、あきれたように烈火に言う。


「烈火。かすみを送ってこい。話しはそのあとだ」


 烈火が頷き、かすみに帰りを促す。

 去り際のかすみの背に、剛が声をかけた。

 感情を抑えたものだったが、かすみは何度となくこんな声を聞いている。

 病気の家族を持つ者の懇願する声。


「……薬師、ひたきは良くなるのか?」

「よくなるように努めます」


 かすみは振り返り、薬師として力強く返事をする。


 鬼でも、人間でも関係ない。


 病んだ者、傷ついた者を全力で救うのが薬師だからだ。

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