第5章 鬼と薬師

鬼と薬師1


 季節は移り、深緑から降りそそぐ木漏れ日がまぶしい初夏になった。

 森林の香りをまとう風は、たっぷりと水が張られた水田にきらきらとしたさざ波を立てながら吹き抜けていく。


 それは、田植えをするかすみたち早乙女の額の汗を優しくぬぐってくれるようだった。

 膝までたくしあげた着物の裾からのぞくかすみのすらりとした白い足は、今はひんやりとした泥につかっている。

 それでも、里の若者たちはわずかに見える早乙女ら足見たさに、張り切って田植えを手伝うのであった。


 しのぶの里では、夏への準備が始まっていた。


 *


 風に乗り、早乙女らの楽しげな田植え唄が山間に響く。


 歌声は、外で薪割りをしていた烈火の耳にも届いていた。

 その中にかすみの声を聞いた気がし、烈火はどきりとした。

 いくら耳がよいとはいえ、風に乗る歌が聞き分けられるほど、かすみのことを意識していたのだろうか?

 烈火は、その思いを振り払うかのように二度ほど頬を叩き、再び斧を振り下ろした。


 人里は忙しい時期になり、かすみは前ほど頻繁には来なくなった。

 その分、僅かでも時間があればと夕刻に来ることもある。

 女の一人歩きは危ないため、烈火はかすみをたしなめた。


「あまり無茶をするな。昼間でさえ腹をすかせた熊が出るというのに、夜は足元が見えにくくて危険だ」


 かといって、烈火は来るなとも言い難く。


「どうしても一人で来ると言うならなるべく昼間に、藪を棒でがさがさと音を立てながら歩け。少しは、熊と鉢合わせしなくて済む」


 と、来られる方法を教えてしまうのだった


 *


 その日、かすみが来たのも日が暮れてからだった。


「暗くなってからの山道は危険だ。わかっているのか?」


「日が長くなったし、ここに着く道すがらは夕焼けで明るかったのよ」


 悪びれもなく言い訳をしたかすみに、烈火は眉根を寄せた。

 来てくれるのはうれしいが、怪我などして欲しくはないことをどう伝えればいいのか。


「……帰りのことは考えているのか? 月明かりがあってもお前の足で山を下るのは難しいだろう」

「ごめんなさい……」

「まあいい。帰りは途中まで送ろう」


 しゅんと肩を落とすかすみを見ると、烈火は強く物を言えず溜息を吐くと助け舟を出した。


「こんな時分に来るのは何か話したいことがあったのだろう? 家の中より、今日は外の方が月明かりで明るい」


 かすみはうなずくと、烈火に付いて外へ出た。


 美しい白い満月が、あたりを柔らかく照らしていた。


「どうしても烈火に聞いて欲しいことがあって……」


 いつもなら、烈火に断ることなくおしゃべりを楽しむかすみが神妙な面持ちで聞く。


「長い話になるか?」


 烈火が聞いたのは、時間がないからではなく立ち話ではかすみが辛いだろうと思ったからだ。

 かすみが、こくりと頷くと烈火は薪割台にようととっておいた丸太を持ってきた。

 烈火は手で表面を払うと座るように促した。


「烈火はどうするの?」

「俺はこのまま立っているからいい」

「ならわたしもそうするわ」


 烈火は、弱ったと頭を掻き、思いついたように地に胡坐をかいた。


「これでいいだろ? かすみもそこに座れ」


 かすみは、烈火の強引さが可笑しく笑いをこらえながら言われたとおりにした。

 しばらく、淡い月光が二人に降り注ぐ。


「話とはなんだ?」


「あなたに出会ってから、ずっと思っていたんだけど『人間』と『鬼』は共存できるのではないかと……」


 かすみの熱い視線は烈火にまっすぐに向けられていた。

 かすみとて、この言葉を言うのは勇気がいった。

 けれど、烈火はもう否定しない。

 烈火もまた、そうであったらと何度となく考えたからだ。


「それは、容易なことではない」


「分かってるわ。でも、烈火やつばめちゃんを見て、なんとかできないかとずっと思っていたの」


「人間に鬼を忌み嫌うものがいるように、鬼もまた人間をひどく恐れるものもいる」


「でも、誰かが何かを始めなければ、溝は埋まらないわ」


「それを、お前がやろうというのか?」


 かすみは、烈火の金の瞳を見つめ力強く頷いた。


 彼女の黒く大きな瞳は、月の光を抱き輝いていた。

 無謀な戦いにのぞむ者の目ではなかった。かすみの双眸には、希望が、何かを成そうとするものが持つ信念の光が宿っていた。


 負けるために挑むのではない、勝つために、挑む者の目だ。


 力になりたい。

 烈火はそう思った。


 自分に失うものなどなにもない。協力できることは何でもしたい。

 人間と鬼がともに生きることは、烈火の願いでもあるから。


 ただ、即答はできなかった。

 なぜその役目をかすみがしなければならないのか?


 鬼たちは、薬師が診てくれるようになればはじめは抵抗してもいずれその存在を受け入れるだろう。 

 薬師という人間を通して、人間への理解を深める。かすみにしかできない繋がりの作り方だ。だがかすみはどうなる?

 鬼と親しくなったとしても、里の人間たちからかすみが疎まれれば辛いのは彼女だ。

 かすみの立場が悪くなると分かっていながら、その手助けをできるわけがない。


「俺は、賛成できない……。なぜ、お前ばかりが辛い目に合わなければいけない?」


「わたしのことを心配してくれるの?」


 かすみは、一瞬泣きそうな顔をした。

 そんな不安な顔をさせたくはないのに、どう伝えればいいのか烈火はもどかしく声が大きくなる。


「あたりまえだ! お前は人間だ。いくら鬼に受け入れられても、人里から追われては……それに、お前は女じゃないか、なぜ辛い道ばかり行こうとする?」


「確かに、薬師になったときにも似たようなことを言われたわ。辛いことはあるけれど、そればかりではないの。

 薬師になったのも、烈火に出会ったことも、辛いことではなく幸せなことよ。

 今度の考えも、何かを失うつもりで言ったことではないの。

 わたしは、ただあなたとともに胸を張って生きたいと思ったの」


 かすみ言葉に、烈火は胸が締め付けられた。

 素直にうれしかった。誰かに必要とされることなど今まで生きてきてなかったからだ。

 けれど、その気持ちや考えを受け入れればかすみを傷つけることになる。 

 かすみのやろうとしていることは、下手をすれば人間からも鬼からも受け入れられない。

 烈火は、かすみを守るために強く反対するつもりだった。

 止められるのは、自分しかいない。

 なのに、止める言葉が見つからず黙り込むしかなかった。


「わたしは烈火のことを知りたいの、鬼のことを。

 ううん、知って欲しいの。人間のことを……」


 澄んだ美しい瞳が、月を映している。


 烈火は、その言葉と目に言い知れぬ懐かしさを覚えた。

 かつて、彼に同じ言葉を語った者がいた。


 朝霞守信あさかもりのぶ。山を越えた都の領主だ。


 月明かりのもと、烈火にそう語る人間が確かにいたからこそ、人間を恐ろしいと思っても憎むことができないのだ。

 暗闇の中、彼に灯火を与えてくれるのは人間であった。

 かすみの願いは、烈火の願いでもあった。


『強くなるさ!

 いつか、あんたのように鬼も人も関係ないと言えるように』


 烈火は幼き日、朝霞の言葉を聞きそう心に誓った。

 しかし、自分一人ではどうにもならず、あきらめずっと目をそむけていた。

 かすみはどうして、あきらめずに言うことができるのだろう。


 月を見上げるかすみの背が、烈火に昔の記憶を思い起こさせた。


 またしても、人間に救われる。


 かすみの存在で、烈火は明るい場所へ引き上げられるような気がしていた。





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