鬼と族長7

 初めて、かすみと出会ったのは満開の淡雪桜の下だった。

 白雪のような花弁の舞う中に、かすみは倒れていた。


 烈火は『桜の精』と見間違えたことを思い出し苦笑した。

 すぐにそれは、間違いで人間の女だとわかったが彼女の青白い頬、あまりにもか細い肩にこのまま雪のごとく消えてしまうのではないかと、困惑したものだ


 そう、鬼族の族長に人間を見つけたことを告げなかったのはひとえにかすみを介抱することだけに気をとられて、人間が鬼の領分である山へ入った事実を忘れたからだ。

 これほと、烈火が取り乱すことなど誰も見たことはないだろう。

 集落から離れて過ごすだけでも異例なこと。これ以上、集落の決まりから反するようなことを烈火はするつもりもないし、したことがなかった。

 山守りという仕事を全うしなければ、鬼族の集落からも追われる可能性がある。

 倒れていた人間がかすみでなければ、烈火は間違いなく族長に報告し引き渡したはずだ。

 しかし、かすみだったからできなかった……。

 それは、かすみにとって幸運なめぐり合わせであった。

 そして、烈火にとっても幸運だった。

 止まっていた、何かが動き出したようだったから……。



 儚げな容姿と裏腹に、かすみは芯の強い娘だった。

 鬼を、烈火を恐れることなくいつも真っ直ぐに見つめた。

 彼は、そんなかすみからいつも視線を逸らしていた。

 見つめられるという事になれていなかったからだ


 柔らかなかすみの視線に包まれると、烈火はやすらぎよりもむしろ胸が騒いだ。

 揺れ動く心を隠すのが、精一杯だった彼が無口になるのは仕方のないことだ。


(もう一度、かすみが来たら俺は、笑い返すことができるだろうか?)


 烈火は、考えた。


(そうだな、そんな奇跡のようなことがあったら……。できるかも知れないな)


 烈火は、かすみがもう二度と訪れることはない戸口を見つめた。





 すると、がたがたと扉が動いた。

 烈火は、落雷にあったかのように瞬きをした。

 かすみが来るなんて、あるわけがない……そう思いながら、心の底でそうであって欲しいと願う自分がいる事にやっと気がついた。


「よいしょっと……」


 そして、戸を少し引く白い手が見えた。

 つばめでも、軽く開ける戸だというのにかすみはいつも重そうにその戸を開けるのだ。

 そう、いまのような掛け声とともに……。


「かすみぃーっ!!」


 つばめが、戸口に立つかすみに飛びついた。


「つばめちゃん、これ勇太からお土産」


 ひとつかみのすみれの花だった。


「勇太が、この前はひどいこと言ってごめんってつばめちゃんと烈火にだって。

 これはね、里の龍神池にしか咲かないすみれなのよ。龍神様と生贄の村娘が恋に落ちたという伝説があるのよ」


 それを、聞いてつばめは少し頬を赤らめた。


「ありがとう、かすみ」

「勇太にも伝えておくわね」

「うん!」


 つばめと話すかすみの姿を見て、幻を見ているかのように烈火は目をこすった。


「かすみ……なぜここへ……」


「いやだ。お化けでも出たかのようね?」

「もう、二度とここへは来ないと言ったじゃないか!」

「確かに、あなたは『来るな』と言ったわ」

「ああ、言った……」


 身を切る思いで言ったはずだ。


「でも、わたしは来ないなんて約束はしなかったわ。

 それだけ」


「……すごい理屈だな」


 かすみのへ理屈に、烈火は閉口しながらも胸が熱くなる思いがした。


「生意気でごめんなさい」


 そういって、かすみが真っ直ぐに烈火を見つめて照れたように笑う。


「かすみには、かなわん」


 それを見て、烈火は目をそらすことなく心から笑った。

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