鬼と族長4


 一番鶏すら鳴いていない、夜と朝の狭間。

 村はまだ眠っていた。


 まだ夜が明けきらない時分から勇太はこっそりと家を抜け出し、かすみのことを見張っていた。

 山から下りてくる空気は深い緑の香りがしひんやりとして、木の陰に隠れている勇太の眠気を誘いうとうとさせる。


 しばらくすると、戸を開けそっとかすみが家から出てきた。

 いつもは緩やかに編まれ背に垂らしている長い黒髪が、今日は念入りに櫛でといだのかまっすぐと流れており、とても美しい。

 勇太はその姿見惚れた後、息をひそめ後を追った。



 東の空がだんだんと白く明るくなっていく。


 辺りをきょろきょろとしたあと山裾から迷いなく山道へ入るかすみの様子に、勇太はかすみが掟を破り山に入っていたことを確信した。

 慣れた足取りで山道を登るかすみに引き離されないよう、勇太はつけて行った。


 すると、かすみは一軒の小さな家の戸を叩き、中に消えて行った。

 こんな山の中に家があるなんて、まさか鬼の家だろうか? と勇太は想像し身震いした。

 恐ろしい鬼の家にかすみが入っていったならば、救い出さなくてはいけないと思ったが、鬼が恐ろしくかすみの後を追って家の中へ飛び込むことはできなかった。

 代わりに、戸の隙間から中をこっそりのぞき込む。


 すると、かすみともう一人大きな人影があった。

 かすみねえちゃんが男と一緒にいるなんて……。


 勇太は、どんな奴か見定めてやろうと戸の隙間に顔をこすりつける。

 よく見れば、軒まで頭が着くのではないかと思われるほど上背がある逞しい男であり、その頭上には二本の白い角が見てとれた。


 ――― 村人が恐れる鬼。


 その鬼とともに、かすみは朝餉を食べていた。

 ただ、勇太が面白くないのはそのかすみの顔が村では見たことがないほどの笑顔だったことだ。

 なんの憂いも見せず、屈託なく笑う姿。


 もちろん、勇太にも笑顔は見せる。しかし、それは烈火に向けているものとは明らかに違う。

 勇太の知っているかすみの顔は、母であり、姉であり、先生であるものだ。


(かすみ姉ちゃんにとって、あの鬼は特別なんだ……)


 自分の場所が取られたような気がし、勇太の胸はチクリと傷んだ。




 勇太の背に小さな影が迫っていることを、彼は気づきもしなかった。

 その小さな影は勇太を見つけるとぐいと首根っこを捕まえて、戸を開け放ち突き出した。


「こいつ覗き見してたよ!」


 勇太と共に、入ってきたのは子鬼のつばめだ。

 つばめは、勇太が同じ年頃の人間のためか怯える様子もなく、頬を膨らまし仁王立ちで見据えている。


「痛ってえ。なにすんだよ!」


 土間に転がった勇太も負けじとにらみ返す。

 勇太とつばめの火花が見えそうな様子に烈火は目を丸くし、かすみは勇太が追って来たことに驚き真っ青になった。


「勇太!? どうしてここに」


 かすみは、言葉が出ずに口元を押さえ茫然と勇太の姿を見ている。

 村では、鬼とのいさかいを避け鬼の山へ立ち入ることは禁じられている。


 もっとも、人間を食らうと噂される恐ろしい鬼に会いたいという人間はいない。

 それなのに、勇太はここまで来てしまったのだ。


 ――― それは、なぜか?


 かすみが烈火のもとへ、鬼の領域へ踏み入ったからだ。


 かすみは禁を犯していると自覚していた。


 だからこそ、誰にも話さず見つからない時間を考え密やかにしていたつもりだったが、いつもかすみと一緒にいる勇太には今までにない行動を悟られていたのだ。


 自分一人だけなら罰せられても構わないが、勇太まで罰せられるとなると話は違う。

 軽率だったことを今更ながらかすみは悔やんだ。

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