鬼と族長2


 草木も眠りに着くころ、烈火の元を訪れた者がいた。


 鬼の族長。つばめの父親である鬼。名をごうと言う。


 三十路を少しすぎたころで彫りの深いいかめしい顔立ちをしていた。烈火と同様に鬼の男らしく身の丈が高くたくしい体をしている。

 獣の皮をなめしたそでのない上衣からは、隆起りゅうきした太い腕と厚い胸板が露わになっていた。

 古い傷だろうか、その胸には大きな古い傷跡が見えた。

 見る者が見ればそれが熊の爪で傷つけられたことが分かるだろう。

 彼は他者を威圧する強い空気をかもし出していた。


 それだけでも迫力があるが、今は眉間に深い皺が刻まれており明らかに怒りを押さえているのが見て取れる。


 烈火は、族長が彼の元を訪れる理由に心当たりがあった。

 なのに、烈火を前にしても族長は黙っていた。


 長い沈黙が、烈火を無言で責めている。


 口を先に開いたのは、族長の方だった。

 怒りを抑えたような低い声は、烈火の喉を締め上げるには十分だった。


「烈火、俺がなぜここに来たかわかっているな?」


 体格では引けを取らないが、族長に一言問われただけで烈火は息苦しさを覚えた。

 族長が何を言いたいのかは、予想がついた。

 かすみと会っていること、山守りであることも忘れ、人間を山へ侵入させていること。

 それとも、人間の女に心奪われていることだろうか……。


 いや、違う。かすみは友だ。


 鬼と人間が恋仲になどなれるわけがない。


 どちらにせよ、族長へ言うことは躊躇ためらわれた。

 鬼族に対する裏切りと取られても仕方がないからだ。


「…………」


 何も言えずに黙っていると、族長はますます険しい顔になった。


「俺に言うことはないか?」


 かすみの住む村の長とくらべればかなり若い族長であったが、鬼族は身を隠しながらの追われる生活が長いため、そう長生きするものも少なかった。

 年長者よりも、むしろ行動力や決断力が伴うものが族長を任されていた。


 烈火は言うべきことを、ためらった。

 族長が指しているのは、かすみのことだと思うが、それを自分の口から言うことはできなかった。


 烈火は、族長である剛をこの地に住まうようになってから兄とも思い慕ってきた。

 烈火が、この山の一族とともに暮らせるようになったのも剛のお陰だったからだ。

 裏切りではないと言いたかったが、言い訳できるものではない。


 責めを受けようと思った。しかし、同時に思う。

 なぜ人間が山に入ってはいけない?

 なぜ鬼と人間が語らってはいけない?


 烈火は、他の鬼たちより人間のことを分かっていた。

 それは、人間に両親を殺されたことであり、領主の朝霞あさかに救われたこと かすみに出会ったことである。

 人間の弱さと優しさを烈火は、十分に知っていた。


 無言で抵抗するといういつにない烈火の様子に、驚きながら溜息をつく族長。


「お前の口から聞きたかったのだが、いた仕方ないようだな」


 すべて話して許しを請いたいが、それはかすみの存在を否定することになる。

 かすみと会うことが悪いとはどうしても思えない烈火は、口唇を噛んだ。


「お前の家に、人間が出入りしているな?」


 族長は、烈火とさほど変わらぬ背丈、体つきのだったが、この時ばかりははるかに大きく見えた。


 やはり知られていた。

 烈火はうつむいた。

 つばめが話を漏らしたとは思えないが、いつもと違う気配を感じたのだろう。無骨な自分と違い、少しの変化も見逃さず周りに気を配る族長のこまやかさには驚かされる。

 そうでなければ、一族を守ることはできない。烈火と同じ年の頃には先代の族長の名代を務めていたのを知っている烈火は、自分はあまりにも無力な気がし、情けなく思った。


「つばめは何も言わないが、黙っていても分かる。あれから人間の匂いがする。お前に様子もここのところおかしかったな。

 そして、お前からも人間の匂いがする」


「俺は、決してかすみに触れたりなどしてはない」


 そこまでいって、墓穴を掘ったことを悟る。

 族長は、人間と言っただけで女と言っていない。


「愚か者。人間の女にたぶらかされおって!」


 烈火は、鋭くむちで打たれたような気持ちがした。

 剛に知られることを一番に恐れていた。兄とも慕う剛の信頼を裏切りかすみと会っていることに、後ろめたい気持ちがずっとあった。

 ただ、その負い目を差し引いてもかすみという気兼ねなく話せる同じ年頃の友を得た喜びは何物にも代えがたかったのだ。

 決してたぶらかされているわけではないが、日に日にかれていることは事実だった。


「里の人間は我々鬼を恐れている。人間を食らうなどというありもしない事を小さな集落の人間どもは都合よく信じ、手出しをしてこない。鬼は、うわさのように人を食らったり暴れたりはしない。

 しかし、人間が我々鬼族に抗うことがあれば話は別だ。我々は数では人に負けるが、力では人の倍はある。戦えば、双方に痛手を食う。

 争いを避けるためにはどうすることが一番いいか、お前は覚えているか!?」


 それは、鬼族なら何度となく教えられてきたことだ


「人間と鬼が距離を置くこと……」


「そうだ、異種族同士が接触しなければ争いは起こらない。

 お前が、娘をかどわかしてきたとは俺は思わないが、人間たちはそう思うだろう。そして争いが起きる……。

 その娘、話がわかるようなら二度と来ないように言え。どうしようもないなら、怖がらせて二度と来たくないように仕向けろ。いいな」


 剛の口調は、反論は許さないと告げていた。


 そうしながらも、烈火の了承の返事を待つ。

 無言で促されても烈火は素直に従えなかった。

 かすみと二度と会えなくなると覚悟しようとしたその時、胸の中にひどく冷たい風が吹いた。


 空虚な体を凍てつく空気が通り抜ける感覚に、息を詰める。


 ただ、元の生活に戻るだけだと言い聞かせようとしても、息苦しさはぬぐえなかった。

 一人で過ごしたこの十数年は、淡々と過ぎたように思っていたがかすみと出会ってからの日々と比べるとあまりにもさびしいものだった。


 剛がいてつばめがいても、家に戻れば烈火は一人だった。


 烈火は、鬼族の中でもよそ者あつかいで友と呼べるようなものもいなかった。

 彼にとってかすみは、はじめて友と呼べる存在であったと気付く。


「烈火、お前は『鬼』なのだ。それを忘れるな」


 烈火は、族長を信頼していた。

 しかし、この言葉にいつも引っかかりを感じるのも事実だった。


 族長は人間に関して話すときへりくだった言い方をする。

 相手が、人間だから会うなともいえるのに、族長はそうは言わない。


 ――― 鬼であることを忘れるな。


 その言葉には、鬼であることを卑下ひげするような意味合いを感じる。


 なぜ、人間と鬼は対等ではないのか。

 なぜ鬼は、こんなにもうとまれる存在なのか?


 人間を憎みながら、同時に好ましい物もいることを知っている烈火には納得できなかった。


 かすみと一緒にいるときだけは、鬼であることも孤独であることも忘れられた。

 ただ暖かく楽しかった。

 それは、望んではいけないことなのか?


「……剛、俺はもう少しかすみといたいんだ」


 烈火は絞り出すようにいった。それが叶わないことだと知っていても言わずにいられなかった。


 剛は、今度は頭ごなしに叱りつけはしなかった。


 いつも寡黙かもくな烈火が、自分の意見を口にすることなどめったにないからだ。


 ただ、二人の仲を族長として認めるわけにはいかなかった。

 烈火だけでない、すべての鬼族を危険にさらすこととなるからだ。


「烈火、悪いな。その娘がどんな者かは知らんが、相手は人間だ。あきらめろ」


 静かな声には、烈火を気遣きづかう温かさがあった。


 だから、烈火は何も言えずただももの上で強くこぶしを握りしめた。


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