第4章 鬼と族長

鬼と族長1


 かすみは村へ戻り一日の仕事を終え、疲れた体で床についたが様々なことが思い浮かび眠ることが出来ずにいた。


 数度寝がえりを打ち、目を閉じたが目はさえる一方で、結局、布団から出ると気分を切り替えるようにひしゃくで水を少し汲み飲み干した。

 喉が潤うと自然に大きな長い息が出て体の緊張がほぐれる。


 季節は、春から初夏へ移ろうとしていた。

 戸を開け夜闇よやみに満ちる新緑の香りを吸い込むと、言い知れぬ懐かしさがこみ上げてきた。

 昨年の今頃は、伏せりがちとは言え、祖父がまだ薬師くすしとして仕事をしていたことを思い出し、視界が涙でかすんだ。


 今、一人でしている薬草を摘み、乾す作業も供にしていた。


 部屋一杯に吊るされた薬草の香りに、祖父が静かに語る声が聞こえる気がした。


 *


 かすみは、祖父に山について鬼について問うたことがあった。

 今から、二、三年前のことだ。まだそのころは源斎げんさいも元気であった。


「おじい様はあの山にいるという、鬼に会ったことがありますか?」


 かすみは、目を輝かせて祖父に問う。

 源斎げんさいは、うむと返事をしながらあごひげをで考え込んだ。


「そんなことを聞いて、どうするのだ。かすみ」


 かすみが女だてらに薬師を継ごうとしていることは前から察していたが、源斎はためらっていた。かすみの母親、つまりは源斎の娘にあたる桔梗ききょうは薬師であったために、辛い恋をした。


 恋した相手とは身分違であり、かすみを身ごもったまま仲を引き裂かれ、村に戻り女手ひとつでかすみを育てたのだ。

 苦労も楽しみに変える明るい娘であったが、かすみがまだ幼いころに、村ではやり病が蔓延しその治療に心血を注ぎ、同じく病で亡くなった。


 かすみは、祖父がすんなり教えてくれそうもないことを悟り落胆しながら、ぽつりぽつりと思っていたことを口にした。


「いえ、そんなに恐ろしいものかと思って。角があるだけでそんなに違いがあるのかしらと気になったのです。人間だって、顔形は人それぞれ、耳が大きな人もいれば牙のような八重歯を持つ人間だっています。角だってそれとそんなに変わらないのではと思ったのです」


「そうか……」


 源斎は、娘の桔梗ときと同様に孫のかすみのあふれる好奇心を満たすのは薬師になるしかないとどこかで感じていた。

 ここ数年体の不調を感じていたが、それは歳のせいだけでないこともうすうす感じている。


 持てる知識を、すべてかすみに託すことは重荷になるかもしれない……。まだ、覚悟を決めかねていた。 


「お前は、薬師くすしになりたいのか?」


 そのことと、鬼の話とどうかかわりがあるのかは分からなかったが祖父の問いにはいつも意味がある。

 かすみは、真剣な面持ちで源斎に答えた。


  *


 三年前、かすみが薬師になりたいと伝えたとき、祖父の源斎は遂にその時が来てしまったというような、あきらめに似た複雑な表情をした。

 白いひげをさすり、源斎はかすみと向き合った。


「はい。ずっとそのつもりで、おじい様の手伝いをして参りました」


 かすみが薬師を継ごうとしていることは前から察していたが、源斎はためらっていた。

 かすみの母親である源斎の娘桔梗は、薬師であったために村で蔓延した流行病の治療に心血を注ぎ亡くなった。幼子のかすみを残して……。


 そのことを源斎は悔やんでいた。


「母のように道半みちなかばで命を失うこともある。それでもやるのか?」


 祖父の問いに、かすみは自分の決意が固いことを伝える。


「わたしは、幼い時から薬師であるおじい様の姿、お母さんの背を見て参りました。

 生と死……薬師は、辛い場面に出くわすことが多いことを知っています。

 だからと言って、避けてしまっては助かる命さえ失ってしまうではありませんか!

 わたしは一人前の薬師になり、一人でも多くの命をつなぎたいのです」


 かすみの瞳は、やる気と希望で輝いていた。

 娘と同じように、孫娘もまた己が選んだ道を進む。誰も止めることなどできないならば、持てるだけの物を持たせてやるのが親心というものではないだろうか?

 源斎もまた、覚悟を決め目を閉じ息を吐いた。 


「お前の気持ちは分かった。

 薬師としてお前に大切なことを教えよう。


 ――― 命は等しいのだ。


 神・鬼・人間の誰が尊く誰が軽んじられていいものではない。獣も植物もだ。


 しかし、人間は動植物を食い、神は時として気まぐれに人間の命を奪う。人間と鬼はすれ違い傷つけあう。

 人間同士でさえも殺し合うことがある」



 かすみは、口を結び黙って聞いていた。

 今まで、薬学のことを問えば答えをくれる祖父だったが、自ら薬師としての教えを与えることはなかったからだ。


「かすみ、お前は今日から見習い薬師だ。

 ならば、これらの矛盾から目をそらさず、立ち止まるたびに矛盾むじゅんあらがいなさい。

 それが、薬師としてわしがお前に教えてやれる最初の事だ」

 かすみは、その言葉を胸に刻みつけた。

 そして、それは今ではかすみの薬師としての信念である。


   *


「おじい様は、鬼のことを知っていたのかしら……」


 かすみは、灯火とうかを付け祖父の残した地図を広げた。

 今となっては聞くことは叶わないが、薬草の分布図を見ると不自然な空白がいくつかある。

 その一つは、淡雪桜のある烈火の家であり、さらに上にも大きな空白があった。


 考えられることは、そこが鬼族の集落だということだ。


 知っていて、あえて記さなかったとしか考えられない。

 鬼は恐ろしい者ではないのに、なぜ記してはくれなかったのか……。

 かすみは、祖父の残した問いの答えを探すように揺れる炎を見つめたが答えは出ず、溜息だけが出た。


 なぜ、人間と同じ言葉を話し、同じように仲間と生活を営む者たちが、人間に疎まれるようになったのか、かすみはこの誤解を解くことができたらと考えた。


 愛らしい子鬼のつばめと出会い、つばめも勇太も同じ子供なのに、角があるかないかで人間に差別されることは間違っているとかすみは思わずにはいられなかった。


 そして、烈火に惹かれていることが、鬼が怖くないと言うことを村人に知って欲しい大きな理由であった。

 鬼と人のわだかまりがなくなれば、村人に隠れてこそこそと山へ行く必要もない。いつでも烈火に会えるようになる。


 はにかんだような、困ったような彼の笑顔を毎日見ることができたら、もっとがんばれるのに……。


 そう考えるとかすみの頬は火照ほてった。


 出会ってまだわずかだと言うのに、烈火のことをもっと知りたいという気持ちは止められなかった。

 つばめが烈火に言った言葉も本当は気になって仕方がなかった。


 人間に助けられたというのは、どういうことなのだろうか。そのことが原因で鬼の村からも離れて住んでいるのはさびしくはないのか。


 もっと聞きたかったが、烈火が物思いにふける姿を見たとき、詮索していいことではないと感じた。


 きっと、今の烈火を作る重要な出来事なのだろう。


 いつか話すときもあるだろうと言ってくれた、その時まで待とうとかすみは思った。


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