鬼と領主5

「子供がいたのか?」

 烈火は、朝霞に聞く。この屋敷で子供など見たことはなかったからだ。


「そうだな、無事に生まれていればお前くらいだろう。愛した女は身分違いと言われ、身重にも関わらず家臣らにどこかへ追いやられた。強い女だから悲嘆にくれて自害することはないだろうが、お産は気持ちの強さだけではどうにもならないからな……」


 烈火の耳にも、家臣たちの心ないうわさ話は聞こえていた。

 領主であるのに、妻を娶り後継ぎを作るつもりもなく、あまつさえ鬼の子を連れて帰る変わり者だと蔑む声。


「それで妻がいないのか?」

「ああ、彼女以外を愛するつもりはない。側室は持たない。それが、身分だのなんだのと人をより分けることしかできぬ者たちへの、ささやかな抵抗だ」


「鬼の俺を助けたのも、周りへのあてつけか?」


「……いや、それは違う。後継がいないだけで十分周りには迷惑をかけているからな」


 朝霞は、意地悪くわらった。


 何かに利用しようと思って拾ったのでないならば、いったいどういうつもりなのか烈火は考えたが思い浮かばず朝霞を見つめ返した。

 すると朝霞はそれを察し、言葉を続けた。


「深い理由などない。身分の低い者がそれを理由に虐げられるのは間違っていると思ったからだ」


「では、父さんと母さんも間に合えば助けたというのか!? 鬼でも助けたと偽りなく言えるのか!?」


 烈火は、噛みつかんばかりの勢いで朝霞に食ってかかる。

 朝霞の言葉が信じられなかった。烈火の両親になんの落ち度もなかった、それなのに殺されたのだ。


「できることなら、そうしただろう」

「信じられるか! お前の言うことなんか口ばかりだ!」


「そういわれても仕方がない。実際、お前の両親を救うことはできなかった」


 責める烈火の視線を、朝霞は正面から受け止める。

 烈火は、そんな朝霞を憎らしく思った。


 人間を恨み、罵り、怒りをぶつけたいのに、朝霞はそうさせてはくれない。

 他の人間たちとは違う。鬼を怖がらないし、烈火を人間と同じように扱う。

 目を逸らさずに、自分たち人間の弱さ、罪を理解している。

 そんな朝霞を人間だからという理由で責めることなどできやしない……。


 烈火は、ぶつけようのない怒りの拳を床に叩きつけた。

 苦悶する烈火に、朝霞は自分の考えを告げる。


「私は、人間を身分で分けることは間違っていると思っている。それと同じように、同じ言葉を話す者に角があるというだけで分け隔てられているのは違うのではないかと思うのだ」


 真摯な眼差しで語られる、夢物語のような甘い言葉。


 しかし、烈火が鬼たちが望んでいたたったひとつのこと。


 誰に許しを請うことなく、身をひそめることなく陽の光の下で人間と同じように暮らしたい。


「なあ、子鬼よ。鬼と人間とは、何がそんなに違うのだろう?」


「俺に分かるわけがないだろう!」


「私は知りたいと思うのだ、鬼のことを。

 いや、知って欲しいと思うのだ。人間のことを……」


 朝霞は言う。人間が弱く愚かなことを知って欲しい。

 罪を許してくれとは言えないが、互いを理解して進めるようになればいいと。


 烈火は、泣きたくなった。

 こんな人間がいることなど知りたくなかった。

 知ってしまっては人間を憎めない。


 どうして、もっと早くこんな人間に出会わなかったのか。

 どうして、この朝霞がもっと早く鬼の村を救ってくれなかったのか。


「俺を利用しようとしても無駄だぞ。俺は人間を許さない」


 首を大きく横に振り、涙をこらえながら再び『許さない』と言葉にしたがそこに力は宿ってはいなかった。

 朝霞は、そのことに気づいてないようにそっと烈火の言葉を肯定する。


「そうだな、当然だ」

「お前は言っていることが、矛盾している。命令するでもなく、怒るのでもなく。理解できない」


 烈火は、そっぽを向いた。


 人間を殴り倒したいのに、体が言うことを聞かないばかりか、目の前の相手は同じ人間でも敵ではない。


「私は自分が無力だということを知っているからだ。だから、口で言うほどのことはできん。まあ、それでもお前の足を治し山へ返すことは約束しよう」

「俺は、人間の世話などにはなりたくない」

「それでも、生きるために辛抱するのだな」


 不意に烈火は、朦朧とした意識のなかで聞いた朝霞の声を思い出した。


『生きろ。そして、抗え。鬼だとか人間だとかそんなことは関係ない。子供は成長し生きねばならぬ』


 鬼である自分に、人間である朝霞は必死に『生きろと』叫んでいた。

 それが、届いたから朝霞と言葉を交わしたくなったのだ。

 人間に命を救われたことを認めるしかなかった。


 朝霞の見上げる月を烈火も振り仰いだ。


 村が襲われた晩に見た月は赤く禍々しかったが、今見上げる月は淡く優しい光を鬼にも人間にも等しく注いでいた。


「……れっか…だ…」

「ん?」


「朝霞。俺の名前は烈火だ」


 烈火がまっすぐに目を見て名前を告げると、朝霞は目を細め笑った。 


「そうか、烈火か。燃えあがり明るくあたりを照らす強い炎。強そうだな」


「強くなるさ!」


 いつか朝霞のように、鬼も人も関係ないと言えるように……。




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