鬼と領主4
人間のくせに、鬼の自分に生きろと言った男。
朝霞守信という男がどういう人間なのか烈火は、しばらく様子を見ることにした。
折れた足は痛んだが、飯が日に三度も運ばれ、厠に行くにも朝霞の家来だというものが手を貸してくれるという好待遇に体が力を取り戻しつつあったからだ。
彼以外の人間は明らかに烈火への嫌悪を感じるため、慣れ合おうとは思わなかったが朝霞が母を寺へ葬ってくれたと聞き、変わった人間だと戸惑いを隠せなかった。
夕食だけは遅い時間に朝霞が自ら運んで来た。
朝食、昼食は鬼に怯える者か蔑むような不躾な眼差しの者が来るため、心が落ち着かず食事に箸をつける程度だが、夕食は朝霞が持って来るためたらふく食べることができた。
なぜだが分からないが、朝霞の持ってくる飯だけはおいしく感じられたのだ。
彼は、烈火が食べている間、近くの縁側に座り庭などをぼんやりと眺め待っている。
無防備に晒す背は、多くの家臣を持つものにしてはあまりにもさびしく孤独に見えた。
人間であり富も名声も家臣もすべてを持っている館の主が、なぜ『鬼』の自分をかまうのだろうか?
はじめは、めずらしい動物を構っている程度のことなのかと思っていた。
それならば数日であきるだろう。
しかし、朝霞はもう1ヶ月近く烈火の元に通っているのだ。
そして、ぽつりぽつりと自分の話をしたり烈火の今までのくらしを聞いたりするのだった。
烈火の心は揺れていた。
人間のしたことは決して許せない。
けれども、朝霞には恩義も感じる。
人間とはどんな生き物なのか、烈火には分からなくなった。
今わかることは、朝霞は烈火の知っている人間とは違うということだけだった。
鬼におびえたり、追い立てたり、憎んだりしない。
だから、その背に問いかけたくなったのだろう。
「人間は、なぜ鬼を殺すんだ?」
答えが返ってくることを期待してはいなかった。
ただ朝霞という人間が鬼をどう思っているのか、烈火をどうするのか知りたかった。
足は、三ヶ月で治ると言われていたが一ヶ月がたった今でもだいぶ歩けるようになり、逃げようと思えば逃げることもできたからだ。
朝霞は、煌々と輝く満月を見上げながら答える。
「鬼が、怖いからだろう」
意外なほど、あっさりと答えが返ってきた。
さびしげに見えていた背が、急に大きく見え抗わなければいけない衝動に駆られる。
むしろ人間の方が恐ろしい。
鬼を追い、消し去ろうとした。
「鬼は怖くなんかない! 人間を傷つけることなんてないし、何もしやしない!」
烈火が噛みつかんばかりに声を荒げると、朝霞は振り返り烈火を見た。
彼の顔は、烈火が知っているどんな人間とも違っていた。
烈火の知っている人間の顔は、蔑み嗤うか驚き慄くかのどちらかだった。
目の前の男の表情は、月の光に照らされて青白く澄んでいた。
「人間は、臆病な動物なのだよ。
鬼は、人間を惑わし、殺し、食らう化け物であるという昔話が多くある。雷神の眷属であるという説もあるな。
鬼が獣であっても、神であっても、人間では敵わない力を持っていると考えただけで恐ろしく思うのだよ。怯える心がさらに禍々しいものを呼んでいるとも知らずに」
淡々と語られる言葉に、烈火の怒りの熱は冷めてきた。
「そんな勝手で、村も父さんと母さんも……」
あまりにも単純で理不尽な理屈に、呆れてなにも言えない。
人間は、恐れと不安だけで他の者を傷つけられるのか?
毒がある草花ならすべて引き抜くというのか?
害のある蛇を片っ端から狩るのか?
歯向かう熊や狼はすべて殺すのか?
こちらから危害を加えなければ何もしてこない動物にさえ人間は手を下すのか?
――― 人間はそんなに愚かなのか?
幼い烈火でさえ分かることを人間が分からないことに困惑する。
百歩譲って、人間が仮にそこまで愚かだとして朝霞はなぜ烈火を助けたのか。
朝霞は鬼を恐れないのか?
その疑問を恐る恐る聞いてみる。
「では、なぜ人間のお前が俺を助けた? 飯まで食わせて、放っておけばあのままなぶり殺されるか、飢え死にしていた。お前は鬼が怖くないのか?」
「鬼へ対する畏怖は、町の者もわたしもそう変わらん」
「お前も俺が怖いのか? 殺したいと思うのか?」
そうだと言われたら……足が治ってももう歩けないかもしれない。
烈火は、その気持ちに気づき愕然とした。命を救われたことへの恩義だけでなく、人間のこの男を心の底では信頼しきっていたことに。
「お前のことを怖いとは思わない。子鬼だからだというわけではない。私は、うわさ話や昔話が真実ばかりではないことをよく知っているからだ。
そして、鬼より恐ろしいものがこの世の中にはいくらでもあることを知っている」
鬼よりも恐ろしいもの……。烈火がそれは何かを考えていると朝霞は言葉を続けた。
「お前を助けたのはもうひとつ理由がある。
私の子供が生きていればちょうどお前くらいの歳だと思ったのだ」
朝霞が、帯に留めている鈴に触れると烈火の耳に聞き覚えのある澄んだ音が届く。
時折聞こえた音色は、朝霞が帯に挟む根付の鈴のものだった。
銀色の鈴には、桔梗の模様が浮き彫りされていた。
彼はその鈴を大事そうに触れると、昔を懐かしむような、自分の無力さを嘆くような、笑みというにも曖昧な表情を浮かべた。
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