鬼と領主3

 烈火は、目を覚ますとやわらかな寝具しんぐで寝かされていることに気付いた。


 体の泥もぬぐわれ、頬の傷も足の怪我も治療がされている。

 寝巻も自分が着ていた衣より清潔で上等なものに代えられていた。


 訳が分からない烈火は、とにかく何があったのか思い出そうと身を起こした。

 あちらこちら痛んだが、とりわけ左足に激痛が走り体をくの字にして歯を食いしばる。


 痛みと同時に、まざまざと思い出したくない記憶が呼び起こされた。

 村が焼かれ父と母が殺され、自分も死んだはずだった……。


 温かな真綿まわがの詰まった布団に包まれながらも、烈火の背には冷たい汗が流れた。


「気がついたか?」


 水の張ったおけを持った朝霞が、ふすまを開け入ってきた。


 かける声は烈火を気遣い静かで小さなものだったが、烈火は男の声に弾かれたように身をすくめ、布団で身を隠した。

 人間を見ておびえるのは当然だろうという心構えがあったのか、領主の朝霞は気を悪くした様子はなかった。

 むしろ、傷ついた足で逃げ出そうとしなかったことに安堵した様子だ。


「熱はだいぶ下がったが足が痛むだろう? 薬師くすしは骨が折れていると申しておった」


 足にえ木がされているのはそのせいだ。そう説明しながら、朝霞は烈火の布団のかたわらにゆっくりと腰を下ろした。


 烈火は、困惑しながら朝霞をのぞき見た。

 おぼろげだが顔を見た記憶がある。自分に手を差し伸べた初めての人間。


 あれから何日たっているのだろう。なぜ、人間が鬼の自分を助けたのか?

 聞きたかったが、人間と口などききたくなかった。 


 それに、聞いたところでどうなるものでもない。

 何日たっていようと誰も迎えには来ない。


 死んだ者は帰ってはこない。もう会えないのだ……。


 烈火はそう思うと、急に胸に苦いものが込み上げて来て嗚咽おえつれた。


 涙が琥珀こはくともきんともいえるような瞳からとめどなくあふれる。

 足の痛みで泣くことができなかったのに、どうして心の痛みは我慢できないのか腹立たしい気持ちで涙をぬぐったが、後から後から涙はあふれて来る。


 自分は、人間にらわれたのだ。そして、父も母も仲間も誰もいない………。

 烈火は、そっぽを向き布団をかぶり泣き声を押し殺した。

 人間には、この男には弱った姿を見られたくなかったからだ。


「鬼よ。お前の名はなんと言う?」


 朝霞の問いを、烈火は無視した。

 だまされるものか、誰が人間などと口を聞くものか!


 そう思ったとき、急に四方から闇が迫ってくるような気がし息が苦しくなった。

 目の前がちかちかと瞬き強いめまいを感じ、烈火はもがく。そして、どうしてよいか分からずに思わず空をつかもうと手を伸ばした。


 誰もその手を取り、助けてくれる者がいないと知りながら……。


 けれども、朝霞の大きな手が受け止めた。


「大丈夫か? まだ無理をするな」


 泣きながら苦しそうに息を継ぐ烈火の小さな背を、朝霞はわが子をあやす様にさすった。


 烈火は手を振り払おうとしたが、体は言うことを聞かずうながされるまま横たわると、すうと意識が薄れてきた。


「私は領主の朝霞守信あさかもりのぶだ。お前は、私の客として扱うように家臣には言ってある。安心して休むといい。もっとも、そんな言葉は信じてもらえないだろうが……」


 まぶたを閉じながら聞いたその声は、どこか寂しそうで烈火は間違いだと思った。


 鬼を追って殺すような『人間』にそんな感情などありやしないのだから。


 *


 烈火は、朝霞の言葉を信じることはできなかった。


 気まぐれに助けられたのだから気まぐれに殺されるだろう。早く逃げ出さなくてはと頭では分かっていながらも心の傷は深く何もする気力がわかなかった。


 足の怪我も両親のことも、目の前にもやがかかったような、どこか対岸たいがんの事のような気がし、ただうつろに天井を見つめ横たわるだけで数日が過ぎた。

 飯と薬が日に三度も運ばれて来ても、手つかずのままが続き、体は日に日に弱っていく。

 何も食べずに衰弱すいじゃくしていく烈火に、朝霞はいきどおりを感じていた。


 何もできない自分に、そして、ただ死を待とうとする烈火に。


 朝霞は、顔色が悪く目元に影を落とす烈火の枕元で訴える。


「こんな風に死なすために連れて帰ったのではないぞ! 少しでもいいから食え」


 温かな湯気ゆげの立つ粥を差し出すが、烈火はちらと見ただけで興味を示さず目を閉じた。


「食わねば死ぬぞ!」


 朦朧もうろうとする意識の中で、烈火は朝霞の怒っているのか泣いているのか分からない声を聞いた。


 なぜ、人間が鬼の心配などしているのだろう? 烈火は、あり得ないと思いながらもそうであったらいいのにとも思った。


 朝霞は、烈火を呼び戻そうと身を乗り出し枕元で呼ぶと、おびに差していた根付ねつけの鈴がリンと鳴った。


「生きろ。そして、あらがえ!

 鬼だとか人間だとかそんなことは関係ない。

 子供は成長し生きねばならぬ」


 それは彼の願いなのだろうか、怒声どせいともとれるほどの大声だと言うのに烈火の耳に心地よく響いた。


 うっすらと目を開け朝霞の顔を見れば、親と同じようにただ無心に子供を心配する大人の顔がそこにあった。


「食え! 人間が憎いなら、まずは飯を食ってその足を治せ。治った足で気が済むまで私をればいい」


 朝霞はそう言うと、烈火の体を抱え起こし、さじで口を開き強引にかゆを含ませる。


 数日ぶりの飯に体がうまくついていかず、烈火は激しくむせたがわずかながら粥を飲み下すことができた。


 口の中にとろみのあるかゆの甘い味が広がると、烈火の体は粥を欲した。

 朦朧もうろうとしていた瞳の焦点しょうてんが合い烈火の魂に火がついたことを確認すると、朝霞は粥の器と匙を手渡てわたした。

 湯気ゆげほほをつつむと烈火は、むさぼるようにそれを食った。


 うまかった。粥で腹が満たされると体の隅々まで温かくなる。

 白米はくまいの粥などなんと贅沢ぜいたくなことか。山での生活では、麦すらごちそうだったと言うのに……。


 烈火は、親にも食べさせたかったと思うと、次々に両親のことや村のことが思い出された。


「とうさん……。かあさん…っ…!」


 烈火は、朝霞にすがり大声で泣いた。




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