第3章 鬼と領主

鬼と領主1 ※残酷描写あり


 鬼の集落が人間に襲われた日のことを、烈火は何度も忘れようとした。


 臆病だとも意気地なしだとののしられてもかまわない。

 それで忘れられるものならば忘れたかった。

 思い出すたびに体中がきしみ、無力だった自分を責め、人間に対する恨みと恐怖で息ができなくなるからだ。


 それは一人前の鬼となり、立派な体躯たいくとなった今でも変わらない。


 *


 あの日もいつもと同じように幼い烈火は日暮れまで野山を駆けて遊びまわり、帰る頃には大きな赤い月が東の空に顔を出していた。


 ぼんやりとその月を眺めながら、手負いの獣の目のようだと思うと急に怖くなり慌てて家の中へ入る。

 中では、夕餉ゆうげが準備してあった。


 温かい湯気の向こうに立つ母が振り返り『おかえり』と笑顔で迎える。

 暮らしは苦しいものであったが、いつも柔和に微笑む母が烈火は大好きだった。

 山の草花のことをよく知っており、薬草や山菜を探す名人でもある。

 父の方は、日が暮れてから帰った烈火を一言『遅いぞ』と諭しただけだった。いつもなら、もっと大目玉を食らってもおかしくなかったが今日の父は機嫌がいいらしい。

 こんな日は、決まって人里で物が売れて金が入ったか、狩りで大物を仕留めたかだと烈火は知っていた。


 烈火の父は、体が大きく力も強かった。とりわけ弓の腕が良くウサギから鹿まで何でも仕留めることができた。

 いつか、父のようにたくましくなって、狩りの名人と呼ばれることが少年の夢であった。


「父さん、何かいいことがあったの!」


 答えを聞くまでもなかった。

 食欲をそそる肉の焼ける香ばしい匂いが鼻腔びこうをくすぐったからだ。


「鹿を仕留しとめたんだね。すごいや!」


 烈火は、はしゃぎながら父の背に飛び乗った。

 炉端ろばたでは、串に刺した鹿肉があぶられ食べられるのを待っている。

 焼かれている肉が一頭の分に満たないのは集落で分けたためと、干し肉にするため取り分けたからだ。


 干し肉は、冬を越すための貴重な食糧である。

 そんなことまでは気づかない烈火が、単純に目の前のご馳走によだれを垂らすと『焼けるまで待ちなさい』と母にたしなめられる。


 父は珍しく声を上げて笑った。

 温かい団欒だんらんと食事に心も体も満たされる。

 幼い頃は、貧しいながらも暖かく幸せだった。

 しかし、これが烈火にとって家族と楽しく過ごした最後の思い出となった。


 *


 血の色をした月はすべてを見ていた。


 寝静まった鬼の村。ふくろうすら息をひそめる夜更けに、無数の足音と松明のぜる音が不気味に響く。


 数にしておよそ二百人はいるだろう人間の群れ。

 手には、禍々まがまがしく燃え上がる松明たいまつと刀に槍。武器となるものなら何でもよいとばかりに農具を持つ者さえいる。


 夜陰やいんにまぎれての鬼の村への襲撃は、山の土地を取り返そうとした人間や鬼への恐怖を抑えきれない者、土地に眠る鉱石などを手に入れたい欲深な商人が人々をあおったものであった。


 きょかれた鬼達は為すすべもなく家を焼かれ、逃げまどううちに人間に切られ、叩きのめされた。


 鬼族の女や子供の悲鳴。


 人間に抗おうとする鬼族の男らの怒声どせい

 それらに浮かされたように人間たちは更に血を求め、一人残らず鬼を根絶やしにしようと執拗しつように追いたてていた。


 家屋の焼ける煙と炎で、あたりは濛々もうもうとしていた。

 口をふさぎ転がるように表へ出た烈火の目に映ったのは、人間たちがたずさえる無数の松明たいまつの灯りとそれを映し禍々まがまがしく光るやいばだった。

 そして、暗がり中で立ち上る大きな火柱が見えた。


 闇をめ、死を告げながら天へ昇る赤い龍。


 烈火は、赤龍の咆哮ほうこうが聞こえるような気がし、身震いしながら母にすがった。


 仲間を探しあたりを進むと、長老が頭から血を流し息絶いきたえていた。

 幼子を守ろうと覆いかぶさり亡くなっている母親。

 山守り達は腹をいくつもの槍や剣にかれ、地にい止められていた。


 歩くほどに惨劇さんげきの広さが浮き彫りになり、烈火は体の内からたたくくように鳴る心臓を強く押さえつけた。

 けれど、血だまりに目をうつろにあけたまま倒れる幼馴染の姿を見つけ耐えられずに叫び声を上げる。


「小鉄っ!! どうして!?」

 何があったか理解できない烈火は、友に駆け寄ろうとし父に止められる。


「見るな。行くぞ」

 父の腕に抱えられながらも、目には凄惨せいさんな様子が流れ込む。見ないように目をつぶりたいのに、なぜかそうできず、ただ涙だけがこぼれ続けた。


 突然の襲撃しゅうげき素手すでで戦うしかすべのない鬼たちは数においても道具においても、かなうはずなどなかった。


 鬼は力が強く体が頑健がんけんではあるが、無益な殺生せっしょうはしない。

 山の獣も、自分たちが食する数しか殺さない。それが当たり前なのだ。

 鬼は、多くを殺せる武器などは持っていない。


 イノシシがいれば、弓で仕留めることもあるが熊と出会えば素手で戦う。

 一対一での対峙たいじならば、どんな獣より強いからだ。


「アキ、烈火と逃げろ」


 煙と血の臭いに頭の中がしびれ、何も考えられなくなった烈火の耳に父の低い声が聞こえた。

 ハッと顔を上げると、そこにはすべてを覚悟した男の姿があった。


「生き残った男衆おとこしゅうで時間をかせぐ。その隙に女子供は散り散りに逃げろ。いいか、固まるな散れ。他の者にもそう伝えろ。その方が逃げおおせる」


 自分も残って戦うと烈火は言おうとしたが、体が震え何も言えなかった。


 いっぺんに大切なものが失われていくことに、恐れを通り越し心が、体が麻痺まひしていた

 今生こんじょうの別れを悟った母が父の胸にすがると、一瞬きつく抱きしめられた。


「時間がない。さあ、行け」


 母は、黙ってうなずき烈火の手を強く引いた。


「烈火! 母さんを頼むぞ。

 振り向かず一気に山を下れ!」


 烈火もまた、泣きながらうなずいた。


 山を駆けるように下りながら、烈火は父の雄叫おたけびびを耳にしたまらず振り返った。


 武器を持つ人間たちに囲まれていても、ひるむことなく素手で投げ散らし闘っている。

 角を折られ顔を血で染めても、戦い続けるのは妻と子と仲間を逃がすためだ。

 刀と対峙しても一歩も怯むことなく向かっていく様は猛々たけだけしく、鬼としての誇りを感じる。


 熊にも負けない父さんが、人間なんかに負けるわけがない。


 烈火は、父の背に刀が突き立てられてもそう信じ、信じなければ先に進めなかった。


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