鬼と桜3



 族長のもとへ行っていた『男』は、山頂から道を下り家に着く。

 歳のころは二十歳くらいだろうか。

 日に焼けたような浅黒い肌をし、背は村里むらざとの男より頭一つ分高い。

 黒い短髪と男らしい角ばった輪郭に太い眉毛。切れ長の瞳、引き結ばれた口元。精悍せいかんな顔立ちの青年である。

 ひざたけ脚衣きゃくいそでのない上衣じょういからは、鍛えられたようなたくましい四肢ししと胸板がのぞいていた。

 青年の家は、山の中腹の少し開けた場所にあり人里を見下ろすことができた。

 家というより小屋といった方がよいほどの粗末そまつな物ではあったが、それでも雨風あめかぜがしのげれば十分である。

 青年は、視界の端に普段は気にもかけない桜が映り足を止めた。一族の集落から離れたこの場所で長く一人で過ごしてきたせいか今まで花に気を向けることなどなかった。

 ただ、今日は違っていた。

 毎年、何気なく眺めていた桜が、真っ白な花弁を風に流し、その度にきらきらと鮮やかな薄紅うすべにの光を放ち彼を呼ぶ。

 青年は雲母うんもにも琥珀こはくにも見える目をふっと細め、口元をゆるませる。

 久しぶりに花見はなみというのもよいかも知れない。と、淡雪桜のもとへ足を向けた。


 その頭には人間にはない二本の角があった。


 ―― 山に住む『鬼』だ。


 その大きな影が、淡雪桜に近づいていた。


 *


 しばらくすると、鬼の目に桜の下にある人影が入る。

 目を凝らせば、桜の花びらが舞い散るなか女が倒れていた。

 白い花弁の上に広がるつややかな長い黒髪。

 美しい顔立ちの女であったが、雪のように青白い肌に長いまつげが濃い影を落し、とても儚げに見えた。

 桜の精霊だろうか?

 鬼は、目をこすった。

 今見たのは幻で次の瞬間には消えてしまうのではないかと本気でそう思ったのだ。

 しかし、瞬きをしても目の前にはやはり女が倒れていた。

 鬼族でもなく、桜の精でもない。『人間』の女が……。

 鬼の心臓が大きく跳ねる。

 なぜ、鬼の領域である山に人間がいるのだ。

 人間を見つけたならば、すぐに族長に知らせることが『山守やまもり』である彼のつとめだった。

 けれど、それを忘れるほど動揺していた。

 よく見れば、女の顔色が優れず具合が悪いのは明らかだったからだ。

 すぐに介抱かいほうしなければ死んでしまうかもしれないと思い、戸惑いながらおずおず女を抱き起した。

 女の体は柔らかく、あまりにも軽く言葉を失う。

 人間とはとは皆、こんなにも華奢きゃしゃな生き物だったかと、鬼はごくりと固唾かたずを飲む。

 そして、意を決し女に声をかけた。

「おい、しっかりしろ! 大丈夫か!?」

 普通ならほほを2、3回張ることころだが、そんなことすれば死んでしまうのではないかと思い声をかけるだけにとどめた。

 かすかに女が苦しそうにうめき、鬼は慌ててそばにおちていた水筒の水を与える。

「水だ。飲めるか?」

 小さな吐息といきと共に一口水を飲んだ女は、意識を取り戻し、うっすら目を開けた。

 ほほに赤みが差し、大きな黒い瞳がまぶしそうに鬼の顔を見返した。

 一瞬、目が合うと女は微笑んだ。

 そして、まるで安心しきったように、鬼に体を預け今度は寝入ってしまった。

 鬼は、ひどく動揺していた。

 人間は大抵、鬼を見ると悲鳴を上げ逃げるか、大勢おおぜいで追い立てるかのどちらかだからだ。

 ともあれ、安心しきって鬼に体を預ける女を放っておくわけにも行かず、壊れ物をあつかうようにそっと抱き上げ家へ連れ帰った。

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