鬼と桜2


 いつのまにか背負せおかごは薬草でいっぱいになっていた。


辛夷こぶしに、アケビ、かたくり、よもぎと……ゲンノショウコ」

 かすみは、木陰こかげ指折ゆびおり数え採り忘れがないか確認する。

 これらの草を干し、せんじるなどして薬とするため、ここからの仕事の方が大変だとも言える。

 今までは祖父と二人でしていた仕事だが、この冬に祖父が亡くなりかすみ一人でしなければいけない。

 薬師くすしであった祖父は、彼女に自分の仕事を継ぐことをあまり勧めなかった。

 人の助けとなる仕事だが、死と対峙たいじすることが避けられない過酷かこくな仕事でもあったからだ。

 感謝だけではない、ときには恨みごとを言われることさえある。

 患者を助けようと自分が病にかかる危険もある。


 かすみの母がそうであった。村で流行はやり病が広がったときに薬師として人々の治療にあたり、そして同じ流行り病で命を落とした。

 まだ、かすみが十にも満たないころのことである。

 そんな母のことをもっと知りたいと思ったからこそ、かすみは祖父に師事しじし薬師の仕事を学び引き継ぐことにした。

 まぶたを閉じると祖父と母の背が思いだされた。

 今、その二人の名薬師めいくすしの背を追いかけようとしていた。

 憧れと使命感、不安も焦りもある。時々、色々な気持ちがい交ぜになり押しつぶされそうな気がするときもある。

 そんなときに、薬草摘みに山に来れてよかったとかすみは思う。

 自然の息吹いぶきはかすみに元気を分けてくれた。


「あとは、ゆっくり淡雪桜あわゆきざくらを見て帰ることができそうね!」

 かすみは、気合を入れて歩みを進めた。

 薬草摘みは重要な仕事であったが、淡雪桜を見ることはもう一つの大切な目的である。


 母から何度も聞いた、桜の精の話。


 遠くからしか見ることがかなわなかった淡雪桜を間近で見ることは、幼いころからの願いであった。



 しばらくすると、大きな桜の木が目に映る。

 山の中にあって、そこだけまわりに木々がなくぽっかりと開けた平地となっていた。

 人間がここで暮らしていたこともあるのだろう。

 小さな畑をするには十分な広さがあった。


 すると、良く見ればたがやされ今でも使っている畑がある。

 そして、桜からほど近い場所に建物が建っていた。

 小屋と言ってよいほどの板作りの小さな家だが、回りは雑草もなくきよめられ手入れがされている。


 畑といい家といい、誰かが今もここにまうのは確かだ。

 人里ひとざとから離れ、山の中にある家。

 だとすれば、それは鬼の家だと気づきかすみは一瞬びくりとし、あたりを見回し息をひそめたが鬼の気配は感じなかった。


 かすみは、胸をなでおろす。

 とりあえず、もう少し近くで桜を見る時間はありそうだ。その後でここに住まう人のことを考えようと心配性な自分を笑い飛ばした。


 里から見上げる山は大きく、そこに咲く淡雪桜は白い豆粒ほどにしか見えなかったが、目の前にあるのは枝垂しだれ桜の大木だった。

 横枝の広がりは家ほどもあり、そこからけがれない新雪に似た花びらをたたえた枝が、雨のように静かに降り注いでいる。


 かすみがみきに近づきあおぐと、空が一面桜で埋め尽くされた。


 目に入るのは、真っ白な桜花おうかのみ。


 けれど、花びらがはらりと風に舞う一瞬、日の光を受け薄い紅色べにいろの輝きをはなった。


 かすみの口からは感嘆のため息がこぼれた。

 一夜で消える淡雪のような刹那せつなの美しさと同時に精霊が宿やどるという神秘的な力を感じる見事な桜である。

 かすみは、淡雪桜に心奪われ、背負子しょいこを降ろし、時間がたつのも忘れいつまでも立ち尽くした。



 どのくらいの時がたったであろうか、かすみはにぎやかな鳥の鳴き声で我に返った。

 日が頭上を越え、昼をとうに過ぎていた。

 鬼が帰って来るかもしれない。

 出会う前に、村里へ帰らなければいけない。

 名残り惜しいと思いながら、急ぎ薬草のたくさん入った籠を取ろうと身を屈めた。


 しかし、籠はうまくとれなかった。

 目の前にすうっと闇が訪れ、足元がぐらりと揺れた。

 慣れない山歩きでの疲労と鬼のいる地へ踏み入った緊張も少なからずあったのだろう。


 そのまま天地が逆さになるような感覚と共に、かすみは淡雪桜の花弁をしとねに気を失った。


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