鬼と桜4


 どのくらい桜の下で気を失っていたのだろうか。

 かすみは、聞きなれない男の声と口元に運ばれた水で目を覚ました。


「ん……」

 朦朧もうろうとする意識の中、かすみが見たのはゆっくりと降る桜の花弁かべんと大きな人影だった。

 桜のえだしに降り注ぐ日の光りが逆光ぎゃつこうとなりその人物の顔はよく見えなかったが、二本の角と、輝く黄金色こがね双眸そうぼうだけは見て取れた。


 ――― 村の人間が恐れる鬼。


 しかし、かすみは自分を心配そうにのぞき込むその瞳を美しいと思った。


 助け起こされ、鬼の胸に抱かれているというのにかすみは少しも恐ろしいとは思わなかった。

 むしろ、自分の背に回る力強い暖かなかいなに安心した。

 不器用ながら、介抱してくれようとしていることが感じられたからだ。

 そう思うと自然と笑みがこぼれ、安堵あんどと共に再び眠りについた。




 かすみが次に気がつくと、布団に寝かされていた。

 見慣れた天井ではないのはどうしてだろうかとぼんやりと考え、疲労と貧血で倒れたことを思い出した。


 かすみは、助けてくれた鬼の影を探し室内に目を向ける。

 ここは桜の脇にあった家であり、鬼の青年の住まいであった。

 狭い室内ではあったが、必要最低限の物しか置いてないせいかひどくがらんとして見えた。

 かすみの家が影干かげぼしのための薬草などが所狭ところせまししとるされ、薬草の香りなどするのと比べるとひどく寂しげだ。

 そんな取り留めのないことを考えていると、暖かな飯の湯気ゆげかおってきた。

 それに誘われるように土間のかまどに目を向けると人影があった。

 かがんでなべのぞんでいるが、たくましい男の背だ。


「あなたがわたしを助けてくれたの?」


 かすみが問いかけると、その背が驚いたようにバッと立ち上がり振り返る。


「気がついたのか!?」


 その瞳の色は、かすみの知っているものとは違っていた。


 雲母うんものような琥珀こはくのような金目きんめだった。

 肌も、少し日に焼けたような褐色かっしょくをしており、身長も里の者より、頭一つは大きい。

 歳は二十にはならないだろう。かすみとそう変わらないように見えた。


 しかし、決定的に違っていたのは、彼が二本の角を持っていたことだ。

 山に住む鬼族。

 荒々しく野蛮やばんで、熊をも素手すでで締め殺すことが出来ると聞く。

 時に、人間を食らうとも言われるが……。

 けれど、かすみは彼がそのような恐ろしい者とは思えなかった。

 心配そうにかすみを見る金色の瞳、暖かな腕の感触を覚えていたから。


 かすみに見つめられた鬼は、ばつが悪そうに渋い顔をしたが、彼女は気にせずに鬼に伝えるべき言葉を伝えた。

 心を込めて。


「助けてくれて、ありがとう」


 その言葉を聞き、鬼はわずかばかり目を細めたようだがすぐにかすみに麦粥むぎがゆのどんぶりとさじを押し付けると背をむけた。

 かすみは、うつわの大きさに驚きながらもありがたくかゆを口にした。

「美味しい……」

 麦とせりが入っただけの簡素なものではあるが、暖かさがかすみの体に染み渡るように感じた。


「今回だけは見逃してやる。それを食ったら早く里へ帰れ」

「そうしたいところなんだけど、もうすぐ日が暮れるわ。不慣れな山道だし、夜目も効かないから、これから戻るのはわたしの足では無理だわ」

 粥を食べすすめながら、かすみは返事をした。そして、自分の言った言葉は正しかったが少なからず驚く。

 自分は、鬼に一晩の宿を借りようとしていると。


 かすみの言い分に、鬼も面食らった。


 起きさえすれば、鬼を怖がって一目散に逃げるだろうと考えていたのに、まるっきり逆の申し出だったからだ。

 とんでもないものを拾ってしまったという後悔がありありとにじみ、ため息を吐きながら肩を落とした。


「もう一度言う。鬼に食われたくなければおとなしく山を下りろ」

「本当に鬼は、人間を食らうの?」


 恐れを知らない率直な質問に、鬼はたじたじになる。

 噂とは違い、鬼は人を食らうことはない。

 かすみを脅かして、村へ返すために噂を利用しただけだ。それを見透みすかされたような気がした鬼は、怒ったように『そんなまずそうなものを俺たちが食うわけがないだろう』と、言い捨てた。


「変なことを聞いてごめんなさい。今日は、灯火とうかも持ってないし……。持っていたとしても、やはりもう少し明るくないと道がわからないわ。申し訳ないけれど一晩とめてもらえないでしょうか?」


 鬼は、ひどく動揺した様子で答える。


「何を考えている。鬼の家で夜を明かそうなど……」

「そうね。少し反省しているわ」

「少しか……」


 なんと肝のわった娘なのかと、鬼はあきれ果てた。


「俺が怖くないなら、勝手にしろ」

「ありがとう!」

 かすみは、にっこり笑った。


 彼女は里では、浮いた存在だった。

 それは、女だてらに薬師くすしという職を持ち里の者たちに認められているという自信と度胸があるからかもしれない。

 かすみの年頃ならすでに嫁に行くのが村では当たり前であり、女が学を持ち、職を持つなど考えられなかった。

 村の者たちはかすみを頼りにし、同時にあつかいに困っていることをよく自覚していた。

 鬼でなくとも、かすみのどんな相手にもひるまない言いように怒るものも少なくない。

 それらの反応に比べれば、この鬼の態度は良いほうだった。



 鬼はかすみとのやりとりの後、思いだしたように表へ出て行き、薬草積み用の籠を持って帰ってきた。

 わざわざ拾ってきてくれたのだ。

「おかえりなさい」


 かすみが迎えると鬼は不愉快そうな、困ったような難しい顔をした。


 けれど、拾ってきたかすみの薬草籠やくそうは板間にそっと置いた。


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