第23話 まふゆは、


 操真がやっと近くまで来てしゃがむと、なんと、まふゆは泣いてしがみついてきた。


 さすがに抱きつかれるのは初めてで、操真は驚いて尻もちをつく。


 そのうえ、なんと足まで腰に巻きついてくる。


 まふゆから文字通り全身で抱きつかれ、操真の心拍数は跳ね上がった。


 いや、こんな時にこんな風に思ってはいけない、操真はもちろんそう思った。


 だが、実際には、そうだった。操真は天にも昇る心地だった。


「う……わぁ……」


 本当にそんなことをして許されるのかわからなくて、操真の両手は大いに迷った。


 だが手はおのずと引き寄せられるかのように、まふゆの髪に触った。


 お人形のようにやわらかい。


 でもお人形は、自分から抱きついてきたりしない。


 まふゆは、温かくて息をしている、一人の人間の女の子だった。


「ま、まふゆさん……」


 その、今さらのような事実に、操真は頭をぶん殴られたかのような衝撃を受ける。


「生まれてきてくれて、ありがとう……」


「え……?」


 急にそんなことを言われて、まふゆはびっくりした。


「わ、わたしは、そんな、なにも……そんな……え? ええ?」


 戸惑うまふゆを、操真はぎゅっと腕の中に閉じ込めるように抱きしめる。


 まふゆはびっくりして、ますます涙が止まらなくなる。


 きっと何か誤解されていると思った。操真の胸に額を押し付けるように、首を振る。


「だってわたし、そんなふうに言ってもらえるようなこと、なんにもできないよ。本当に、すごくダメな子なんだ。操真くんは、きっとよく知らないんだよ……」


「フユを助けてくれた」


 必死に誤解を解こうとするまふゆの髪を、操真は一生懸命に撫でた。


「おれをきもちわるく思わないでいてくれた。フユに服を作りたいって言ってくれた」


 抱きついてきてくれた、とは、操真は恥ずかしくてとても言えない。


 きっと言ったらまふゆは逃げて行ってしまうような気がした。


「家に上げてくれた。お茶を淹れてくれた。ポケットも直してくれた」


 振り返るほど、操真はまふゆに与えてもらってばかりだと思った。


「フユに名前をわけてくれた。おまじないを教えてくれた。日誌も代わりに書いてくれた。教科書もずっと見せてくれてた」


 まだまだ言えるのに、まふゆは「違うよ」と頑なに否定しようとする。


「そんなの、普通だよ。当たり前のことだよ……」


「……それが当たり前なら。おれは、まふゆさんがいてくれるだけで、十分だと思う」


 まふゆは人形がいいのに、操真はそんなことを言う。


 そんなふうに言われたら、まふゆは何もかも肯定しなくてはならなくなるのに。


 嵐山にちょっかいをかけられたから、裁縫がうまくなった。


 引っ越したから、茜と知り合えた。


 引っ越せたのは、お父さんとお母さんが離婚したからだ。


 だから、優しいおばあちゃんがずっと一緒にいてくれた。


 人形がたくさんいる家に住んで、積もる雪か積もらない雪か見分けがつくようになった。


 たとえ両親が別れると初めから決まっていたとしても、二人は一度は結婚して、だから。


 それで、まふゆは生まれてきたから。操真に今こうして髪を撫でてもらえるのだと。


 そんな巻き戻し方で、なにもかもが幸福な記憶へとひっくりかえされてしまう。


 まふゆはあんなに、人形になりたいくらい、しんどい思いをしてきたのに。


「雪だよ。まふゆさん」


 そう言われて操真の胸から顔を離すと、彼の息は白かった。


 まふゆの目尻に浮かんだ最後の涙を親指でぬぐい、いかにも気弱そうに微笑む。


 その優しい顔に、まふゆは目を奪われる。


 天からひらひらと舞い下りる雪は、大地を少しずつ白く染めあげていくようだった。

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