第21話 軽蔑

「……わたしみたいにちっぽけな子が怒ったって、なにも怖くないと思ってるんでしょう」


 まふゆから静かな声で詰め寄られて、嵐山はむしろ、その反対だった。


 問題児で、大人からは誰よりも多く怒られている。


 だが、怒られたところで別に何も感じなかった。


 うるさいなあ、邪魔するなよ、とか。せいぜいそれくらいだ。


 それが今、まふゆに、掴みかかってきそうな勢いで見上げられて、怖い。


 全身がぶるぶる震えてしまっている。


「わたしにだって、あなたを軽蔑することはできるんだよ」


 軽蔑。それは恐ろしい言葉だった。


 いや、違う。いまや、まふゆの口にするすべての言葉が、嵐山には恐ろしかった。


 いつも喋らないからだ。言葉の重みが、自分とはまるで比べ物にならない。


「ま……待てよ、おい、まふゆ」


 嵐山は、まふゆの小さな体に、思わず、すがりついてしまいそうになった。


「人に軽蔑されるって、どういうことかわかる?」


 まふゆはよく知っている。まふゆのお母さんはお父さんに、ずっとそれをしている。


 お父さんが結婚しているのに、ほかの女の人を好きになって。


 まふゆとお母さんのことを捨ててしまったからだ。


「これから先、嵐山くんがどんなに偉くなっても、良いことをしても、たとえ、みんなから尊敬されるようなことになったとしても、わたしは絶対に、あなたが今日、どんなにひどいことをしたのか忘れないってことだよ」


 嵐山の、焦点の定まらない目を、まふゆはじっと見つめ返した。


「嵐山くんが、どんなに卑怯で、ずるくて、心の貧しい人間かってことを、わたしは」


 視界の中にいる嵐山が、急に潤み、ゆがんでいく。


 まふゆは泣いてしまっていた。


 人にこんなにひどいことを言うのは、初めてだった。

 

 感情が高ぶるあまり、目から勝手に涙がぼろぼろとあふれてくる。


「わたしだけは、絶対に、一生、死ぬまで……」


 許さない、と言い切るより先に、操真は思わず前に出ていた。


「そ……そんなことしなくていい、まふゆさん」


 まふゆの背中をさするために、やっと体が動いた。


「まふゆさん。まふゆさんが、こんなやつのために、一生なんて、そんなことしちゃだめだ」


 背中をさすられると嗚咽が後から後から出てきて、まふゆは言い終われない。


(だめだ、だめだ、嵐山くんを、絶対に許しちゃいけない、だってフユちゃんは、わたしは)


 嵐山は、ショックのあまり、その場に両手をついてへたりこんでいる。


(わたしは……)


 そうだ、わたしは、嵐山くんを無視しつづけていた。そう、まふゆは思い出す。


 嵐山が、なぜこんなことをしでかしたのか、まふゆは知らない。


 だが、『怖い』。ただその一心で彼に向き合うこともできず、無視しつづけてきた、そんな自分に、彼を責める資格などあるのか、急に疑わしく思えてきた。


 まふゆは、はたと周囲を見回してしまった。


 クラス中の視線が、まふゆに集まっている。


 先ほどまで、怒りまかせに口から吐き出したすべての言葉が、今、ひどく的外れなことのように思えてくる。


 床に手をついた嵐山の口から、ぶつぶつと言葉が漏れ出していた。


「オレは、ただ、まふゆのことが……」


 まふゆは、最後まで聞けなかった。その場から逃げ出した。


 何も知らずにいい気になって人前で怒り散らし、急に泣き出すような自分が、嫌で嫌で、恥ずかしくてたまらなかったのだ。


「まふゆ!」


 茜はその背中を呼び止めたが、まふゆは立ち止まらない。


 操真は後を追いかけて行った。教室に満ちていた緊張もそれで解けた。


 終わってみれば、ただの昼休みだ。


 誰もが気まずさを軽口でごまかしながら、遅くなった昼食をとることになる。


 修羅場の後には、ダンゴムシのように丸まった嵐山と、茜だけが残された。


 嵐山にかける言葉を、茜はもはや一つも持っていない。


『いい加減にしろ』『やめろ』とは、友達としてずっと言ってきたことだからだ。


 ここで『だから言っただろうが!』と怒るほど、茜も鬼ではない。


 だが、励ましの言葉をかけてやるほど、優しくもない。


 ただそのダンゴムシの横にしばらく立っていたのは、自分も反省するためだ。


 白馬の王子様など、はじめから必要なかったのだ。


 茜はつぶやいた。


「まふゆは、強いなあ」


「オレの惚れた女だからな……」


 勝手に返事が返ってきたが、これは励ましたうちに入らない、と茜は思う。

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