第20話 怒り
「早く踏め! 手が痛い! コールをするのもめんどくさい!」
教室の騒ぎは、廊下を歩いていてさえ聞こえるほどだった。
トイレを済ませたまふゆは、不思議に思いながら声のするほうへ歩いていく。
もう昼休みだから、みんなで盛り上がっているのかな、とはじめは思った。
男女間の摩擦こそあるものの、コミュニケーション超人の茜がいるおかげで、一年二組のクラス仲はかなり良い。
団結力のあるクラスだった。だからこそ一人が作った波に、みんなが乗ってしまう。
仲の良さがこんな風に裏目に出るなんて、誰も思ってもみなかったのだが。
クラスメイトの足の間にフユが転がっているのを見たまふゆは、思わず声をあげた。
「みんな、何してるの?」
慌ててクラスメイトをかきわけ、輪の中心にまで入っていく。
そこに嵐山がいて、茜がいて、顔面蒼白になった操真がいた。
(『早く踏め』って、フユを? どうして)
まふゆは、床から、かわいそうなフユを両手で拾い上げた。
どんな目にあわされたのだろうか。
かわいい顔ときれいな髪が埃で汚れて、お洋服のはしは、破れている。
(どうしてそんな、ひどいことを……)
まふゆが見上げると、操真は大きな体を震わせていた。
まふゆは、その胸に押し当てるようにして、フユを操真へ返した。
操真は、ぎこちない手つきで受け取る。
やっと戻ってきたフユを、ぎゅっと抱きしめていた。
その痛々しい姿を目の当たりにしたまふゆは、きっと嵐山に向き直った。
「なんてことするの。嵐山くん」
知り合ってから初めて、自分から嵐山に話しかけた。
嵐山は驚いた。
名前を呼ばれることさえ、初めてだ。
本当に自分に話しかけているのか。
横にいる茜に話しかけているのではないかと、疑うほどだ。
だが、まふゆは、足音が響いてくるかのような力強い足どりで、ずんずん嵐山に向かって歩いてくる。お人形のような顔にまともに見上げられ、嵐山はたじろいだ。
思わず、後ずさってしまう。今、まふゆは嵐山など、怖くもなんともなかった。
こんなに怒るのは、生まれて初めてだった。
「どうして操真くんに、お人形を踏ませようとしたの」
「な、なにをそんなに怒ってんだよ」
「お人形のことを蹴ったの」
「あっ……ああ、蹴ってやったよ。だからなんだよ。たかが人形だろ」
まふゆは、こんなに大きな声を上げたのも、生まれて初めてだった。
「抵抗もできないのに、自分より大きな人からいきなり蹴られたら、どんな気持ちがする。そのうえ、踏ませようとするなんて、ひどい。そんなことしていいと、本当に思う」
「お、俺はただ」
「卑怯者」
まふゆはまっすぐに嵐山を睨みつけて、彼を罵った。
嵐山は顔が真っ赤になる。
「たかが人形だろ!」
「嵐山くんは、心が貧しい。あなたは、価値のあるものを何ひとつとして持ってないんだ」
「あ……っ?」
「そうでしょう。だから人が大切にしているものに、こんなにひどいことができるんだよ」
糾弾すればするほど、まふゆの心には怒りの火が灯った。
この場で操真とフユを守れるのは、まふゆだけだ。
ほかの誰も二人のために戦えないだろう。この怒りは、まふゆにしかわからない。
男子が怖いとか意見を言うのが恥ずかしいとか、そんなことはもうどうでもよかった。
絶対に、こんなにひどいことが許されていいはずがない。
まふゆのお父さんとお母さんは、離婚する前、よくケンカをした。
それを見ていたまふゆは、怒るのは良くないことだと思った。
お互いにただ、相手に自分の言うことを聞かせようとしているように見えたからだ。
でも、本当にかけがえのないものを守りたい時には、今は、怒るしかなかった。
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