第19話 「踏め」
「おっ。来たか、茜」
空気がぴりぴりと張りつめた教室に、茜やほかの女子たちも戻ってきた。
だが、そこにまふゆの姿はない。一人でトイレに行っていた。
「ほら、お待ちかねの証拠だぜ」
急にシューッと足元にフユをパスされて、茜はびっくりした。
操真を囲むようにして、教室は異様な雰囲気に包まれていた。
嵐山は一人でぺらぺらとしゃべりながら、茜に近寄ってくる。
「囲井操真は、人形をポケットに入れて持ち歩くような、きもちわるい変態だったんだよ。こんなヤバいやつが、まふゆの隣の席にいるなんて最悪だよな。一緒にぶっ倒そうぜ」
「え。……え?」
嵐山に指さされている操真と、足元に転がっているお人形とを見比べ、茜は混乱した。
だが、それまで感じていたかすかな違和感と、まふゆとのなかよしな様子が、線となってつながっていく。嵐山の言葉を疑う理由はなかった。
「あぁ? なんだ、今度は女みたいに泣くのか?」
両手で顔を覆った操真の動きの意味を、その場でわかったのは茜だけだった。
それは、まふゆがよくやる、あのおまじないだ。
お人形の気持ち。茜にはわからずじまいだったけれど。
あの雪の日に、操真はまふゆからそれを教わっていた。
お椀のかたちを両手で作り、その手をぴったりと顔に合わせる。
心の中で、ゆっくり五つ数える。
『気持ちが落ち着くの。お人形みたいに、なんにも怖くなくなる。お人形は喋ることも動くこともできないけど、だからこそ人間より、ずっと強いんだよ』
まふゆの言った通りだった。
間違いなく、そのおまじないは操真に効いた。
顔から手を離した操真は、やっと呼吸を整えられた。
暗くふさがっていた視界が開け、目の前のものがすべてクリアに見える。
茜は、そんな彼の様子を見て、はっと我に返った。
自分にはわからなかったお人形の気持ちがわかるのだとしたら、操真はきっとまふゆと同じなのだ。茜がそれを守らない理由はない。
「嵐山、もうやめな。こんなこと」
「はあ?」
「人にはみんな事情があるんだよ。何を持ち歩いていたって、あんたが良いとか悪いとか、とやかく言うようなことじゃない」
そう言いながら茜は、こいつには何を言っても無駄だとわかっていた。
案の定、嵐山は「なに言ってんだ、おまえ」と両手を広げる。
「俺が、あんなきもちわるいやつの事情なんか知るわけないだろ」
「あんたねえ……」
「おかしいのはあっちだ。学校に変なもん持ってくるなって話だし」
茜は絶句した。
どう考えたって、ヒキガエルを持ってきたやつの言えたことではない。
「まあ茜がそう言うなら、チャンスくらいやるか」
嵐山は、やれやれとでも言いたげに肩をすくめ、フユを蹴飛ばした。
フユは再び操真の足元に転がっていく。操真が拾うより先に、嵐山は言った。
「踏め」
その言葉の強さに、教室中が慄いた。
「ゴミかなんかをポケットに入れっぱなしにしてたってことだったら、まあ、許してやるよ。ゴミなら踏めるよな。踏め。早く」
茜はこんなにひどい言葉をスラスラと吐ける嵐山に、寒気がした。
おまけに彼は、大人たちが居酒屋でするように、手を叩いてコールまでする。
「早く踏め! 手が痛い! コールをするのもめんどくさい!」
恐ろしいことに、このコールに、嵐山軍団の数名が乗ってくる。
声こそ上げないが、手を叩きはじめる者まで出てきた。
こんなことはおかしいと感じている人は他にもいるはずなのに、誰も声を上げられない。
今やクラス中が嵐山に飲み込まれているのだ。
そして、ただお人形が好きなだけの操真に向かって、鋭い牙を剝いている。
もはや白馬の王子様を待つどころの騒ぎではない。
だが、茜にはもう嵐山を止められない。
操真は殴りつけてくるように響くコールの中で立っているのがやっとだ。
ひょっとして、そうすれば、本当に楽になれるのだろうかと思った。フユを、踏めば。
「みんな、何してるの?」
そこに現れたのが、まふゆだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます