4:受難

第18話 きもちわるい

 体育の授業のあと、跳び箱の踏み切り板を片づけていた操真は先生に呼び止められた。


「なあ囲井、部活はもう決めたのか?」


 男子は体育館で跳び箱をする日だった。


 使い終えたマットや跳び箱を倉庫に片づけ、他の男子たちはどんどん帰っていく。


 体育の先生は、ちょっと期待のこもった目をして、操真に話しかけていた。


「試しに、陸上部に入ってみないか?」


 来た、と操真は思った。


 操真は昔から運動系の活動に誘われることが多い。


 身長が高くて運動がよくできるためだ。人と接するのが怖いので入ったことはないが。


 運動ができるのは、いつも一人で走ったり筋トレをしたりして、体を鍛えているからだ。


 ではなぜ鍛えているかといえば、なんと、病院に行きたくないからだった。


 中でも行きたくないのは歯医者と耳鼻科だが、もちろん内科も怖い。


 カゼをひいたりして「どんな風につらいですか」とか、「それはいつからですか」とか、聞かれると、自分がとても重い病気にかかってしまった気がして、怖くてたまらなくなる。


 注射どころか聴診器だって嫌だ。診察を受けると、かえって具合が悪くなった。


 だからケガや病気とは無縁な、元気な体を維持するために自主的に運動している。


 運動部になんて入れば、むしろケガは増えるだろう。入りたいと思うわけがなかった。


 操真は必死に首を横に振るのだが、体育の先生は「囲井は足が速いから、陸上部に入ればきっと活躍できるぞ」と言って、なかなか諦めてくれない。


「どうしてダメなんだ。うちの陸上部はけっこう強いんだぞ。それに部員もみんな仲よくて、休みの日には遊びに行ったりもする。カラオケとか、ボーリングとか」


 そんな部活に入るなんてとんでもない、と操真は思う。


 学校にだって仕方なく、やっとの思いで来ているのだ。


 なぜ休みの日にまでそんな拷問みたいな目に合わなければならないのか。


 どうしてどうして、と聞かれても、操真は、ムリですムリです、と返すほかなかった。


「まあ、急な話だったからな。でも、ちょっと考えてみてくれよな」


 体育館に誰もいなくなって、操真はようやく解放してもらえた。


 昼休みまで、もうあまり間がなかった。


 着替えは教室だ。


 女子が外体育から戻ってくれば、トイレの個室で着替えることになるだろう。


 こんな時こそフユに励ましてほしいのに、今ははなればなれだった。


 着替えと一緒に、教室に置いてきていた。


 体育で体を動かしている時に、落としたり壊したりしたら大変だからだ。


 まふゆにも早く会いたい。


 前の開いたジャージをそよがせながら、操真は急いで教室に行った。


 女子はまだ来ていなかったが、教室はなんだか変な雰囲気だった。


 じろじろ見られる中、一人で着替える気にもなれず、操真は自分の席から着替えを取る。


 すると、いつものカーディガンのポケットのふくらみが、ない。


 フユがいない。


「よぉ、なんか探してる?」


 親しげに肩を叩いてきたのは、嵐山だった。


 これ見よがしに持ち上げた片手に、小さなフユをころころともてあそんでいる。


 操真の喉で、ヒュッと息の音が鳴った。


 その音を最後に、自分が息を吸っているのか吐いているのか、それとも止めているのか、わからなくなった。ただただパニックになって、嵐山を見つめ返すことしかできない。


 嵐山の笑いようときたら、まるで悪魔だった。


「あははっ。本当にきもちわるいなあ、おまえ」


 操真の手の中から、フユが跳ねる。


 高く投げ上げられ、操真は反射的に掴みとろうとする。


 だがその手を嵐山がはじいた。フユは二人の足元に音を立てて落ちる。


「おいおい必死かよ。じゃあ、本当に囲井のなんだ」


 操真は、全身から自分の血が下がっていくのを感じた。


 周囲の男子たちは固唾を飲んで二人を見守っている。


 嵐山の仲間たちも、この異常事態に、からかいの声をあげることができなかった。


 みんな、嵐山が鼻歌交じりに操真のカーディガンのポケットを漁るところを見ていた。


 すると、あのかわいいお人形が出てきたのだ。


 操真が、そこにずっと手を入れていたことも知っている。


 驚きのあまり、目の前に突きつけられた事実に、どう反応すべきなのかもわからない。


 まだ形がなく、言葉にもできないそんな彼らの感覚に、嵐山の一声が名前をつけた。


「うーわ。きもちわるい」


 そう、嵐山に言われてみると、たしかにきもちわるかった。


 体が大きくて無口な囲井が、お人形を持ち歩くなんて。


 イメージとギャップがありすぎて、きもちわるい。


 汚いものを見るように顔をゆがめている男子たちの中に、操真は立ちすくむ。


 そうやって周囲の感情を思い通りにした嵐山だけが、その状況を楽しんでいた。


 仕切りたがるタイプなのだ。


「男のくせに、こんなもん好きなのか。おまえ」


 まるで死んだ虫にそうするように、上履きの先でフユをつつき、もてあそぶ。


 嵐山の足の動きは、サッカーのトラップのように鮮やかだった。


 大事なフユをそんな風に扱われて、操真は自分こそ嵐山から足蹴にされている気がした。

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