第16話 嵐の前ぶれ

 嵐山は怒っている。


 最近、まふゆと操真が、急になかよしになったからだ。


 席が隣なのは前から変わらないのだが、なんだか距離が近すぎるように感じる。


 授業のあいだのたった十分の休み時間にも、二人はじっと見つめ合っていたりするのだ。


 それだけならまだいい。


 無口同士がヒマを持て余して、無表情しばりのにらめっこでもしているのかと思うから。


 問題は、まふゆだ。


 そのうちに、いつもの人形めいた無表情がくずれてきて、はにかむような笑みを浮かべる。


 おまけに、操真に向かって何かこしょこしょと話しかけることさえあった。


 あの、まふゆが。物静かで引っ込み思案で男子を怖がってばかりの、まふゆが。


 男子に笑いかけて、あまつさえ自分から話しかけるなんて、あってはならないことだ。


 何年もかけて熱心にアプローチし続けている嵐山のことは、いまだに無視するくせに。


 ぽっと出の転校生、それもあんなヤバいやつに心を許すなんて。


 どう考えてもおかしい。ずるい。理不尽だ。


 操真にしたって笑うことこそないものの、まふゆへの接し方が、周囲とは明らかに違う。


 嵐山がつっかかっても、蚊でも見るように威圧してくるだけのくせに、まふゆに対しては、小さくうなずき返したり、なにか相槌を打ったりする。


 二人とも声が小さいから、何を話しているかまでは聞こえてこない。


 だが、お互いに「操真くん」、「まふゆさん」などと名前で呼び合っている。


 そのことに気づいた嵐山は、ついにストレスが爆発した。


 校内の火災報知器全押しRTAという暴挙に出て、当然、先生からは大目玉を食らった。その記録は13分30秒。「さすが嵐山だ」「最速の男」などと、クラスの男子から賞賛され彼の自信は回復したのだが、問題は何も解決していない。


「茜、だからオレと手を組んで、一緒に囲井をぶっ飛ばそうぜ」


「ぶっ飛ばしません。やるわけないでしょ……」


 昼休み、席まで一人で来た嵐山に、茜はうんざりと言い返した。


 同じ教室に、まふゆと操真の二人もいる。一緒にお昼を食べるようだ。


 教室のすみっこで二人が仲良くするさまは、はた目には動物番組の映像めいて見える。


 二人とも喋らないせいだろうか。


 国内初公開・ネズミとクマの貴重なふれあいシーンといった雰囲気なのだ。


 いかにもほのぼのした様子に、心なしかクラスメイトの眼差しも優しくなっている。


「……うん、なかよくなったのは良いことだ」


 茜はそんな二人から視線を戻して、嵐山に言った。


「二人とも教室でちょっと浮いてて気になってたから良かったよ。何がそんなに嫌なの?」


「なにもかもだよ!」


 嵐山は地団太を踏んできいきい怒った。


「まふゆの、あの顔を見たか。うっとりしちゃってさあ。喋る時も耳打ちみたいにコソコソしやがって、なんなんだよアレは。感じ悪い!」


「それはまふゆの声と体が小さいからでしょう」


 嵐山が嫉妬に狂っているだけで、普通に見れば体格差の問題だと、すぐわかる。


『クマとネズミって、ああやっておしゃべりするのね』というコメントが入りそうな勢いだった。


「茜はまふゆが心配じゃないのかよ。囲井は絶対にヤバいやつだ。オレにはわかる」


「……言っとくけど、あんたのほうがよっぽどヤバいからね」


 茜はそう言って、じろっと嵐山を睨んだ。


 自分がいない時に起こったヒキガエル事件のことを、茜は忘れてはいなかった。


 聡い目で、前に立っている嵐山と、離れた席に座っている操真とを見比べる。


 自分勝手にまふゆを苦しめてばかりいる嵐山。


 まふゆのこしょこしょ話を、どこかくすぐったそうに聞いている操真。


 その差は歴然で、茜は言っても無駄とは知りつつ「諦めろ、嵐山」と笑った。


「そりゃ転校してきたばっかりの時は、大きいしちょっと怖い人なのかなあと思ったけど、囲井くんって……」


 何か裏があるような気はする、とは、茜も直感的に思ったことではあった。


 だが、確証は何もない。だとしたらそれは、ただの言いがかりだ。


 少し言いよどんだが、茜は「囲井くんは見た目が怖いだけで、いい人だよ」と続けた。


「警戒心の強いまふゆが、あんなに打ち解けてるんだし。嵐山のそれは、ただの妄想」


「じゃあ妄想じゃないって証拠を見せてやる」


「は?」


 嵐山の言い方に、茜は立ちすくむ。昔から嵐山にはこういうところがあった。


 やることなすこと無茶苦茶なのだが、言うことに妙な迫力があるのだ。


 男子からの人気が高いのも、その意志の強さが理由なのだろう。


 茜もなんだかんだ言って憎めないヤツだとは思っている。

 付き合うのは絶対にごめんだが。


 嵐山はフン、と鼻を鳴らして肩をそびやかした。


「茜、楽しみにしてろよ!」


 とても楽しみにはできない一言を残し去っていく背中を、茜は呆然と見送った。


 直後、視界の両はしから友達の宮地と奈々子が迫ってくる。


「茜ちゃんっ」


「なにを敵の親玉とフツーに会話してんだよっ」


「お、おお……そういう設定だっけ」


 女子たちによる『茜ちゃん王子様化計画』は、今もなお進行中だった。


 とはいえ、ただのごっこ遊びだ。


 茜は困ったように後ろ頭を掻いた。


「まぁでも、あたしが一肌脱ぐまでもないんじゃない? 囲井くんだっているし……」


「なに言ってんのよ、囲井くんとか壁一枚にもなんないって」


「うん、せいぜいベニヤ板だよ」


「そ、それは弱すぎるんじゃ……」


 女子の遠慮のない物言いに、茜は口元をひくつかせた。


 不良扱いを免れてなお、ひどい言われようだ。


「だって見てよ。あの人に、嵐山くんをやっつけられると思う?」


 まふゆと操真の二人は昼食を食べ終わり、一緒に席を立ったところだった。


 その様子を見た茜は自分の目を疑った。


 なんと操真は、あの引っ込み思案なまふゆに手をひっぱられて歩いているのだ。


 まふゆは一緒に暮らしているおばあちゃんにさえ、いつもお人形のように手を引かれるばかりなのに。


 操真は、そんなまふゆに逆らいもしない。大人しくついて歩いている。


「あのまふゆちゃん相手に、ああなんだよ」


「嵐山が本気でケンカしに来たら、やられっぱなしになるに決まってるじゃんか」


「う、うーん……まあ、まず、そんなケンカをするようなことにならないだろうし」


 いや、と茜は思った。嵐山は間違いなく何か良くないことを企んでいる。


「まあ、だいじょうぶだって!」


 そう口では言いながら、茜は嫌な予感が止まらなかった。

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