第15話 名前をわける
事情を語った操真は、深いため息をついた。
「本当はもう、捨てるべきなんだよな……こんなの」
操真がお人形のために失ったものは大きい。お母さんとお姉ちゃんを驚かせてしまった。住み慣れた家を引っ越すことになり、お父さんは腫れ物のように扱ってくる。
用務員さんから『ゴミなら捨てようか』と尋ねられた時、操真は、一瞬迷ったのだ。
お人形なんて買うべきじゃなかったのだろうか、と、よく思う。
こんなにちっぽけなものを心の拠りどころにするなんて、どうかしている、と。
操真はずっと悩み続けてきた。
だが、まふゆは操真に「そんなことないよ」と言った。
「操真くんは、このお人形と二人でわたしを助けてくれたんだから」
ヒキガエル事件の時も、操真はポケットに手を入れていた。
まふゆには、今、はっきりとわかる。
この小さなかわいいお人形が、操真を勇気づけてくれていたのだ。
「助けてくれて、ありがとう。操真くん」
まふゆは姿勢を正して、操真に頭を下げた。
それからお人形のほうにも体を向けた。
「ありがとうございます。……えっと……」
お人形を、なんと呼んだらいいかわからない。まふゆは、操真におずおずと質問した。
「あ、あの……この子の、名前は?」
「……そんなの、ない」
操真の声は本当にかすかだったが、まふゆにはちゃんと聞き取れた。
(そうか。名前がないんだ)
まふゆの家にはたくさんのお人形がある。ほとんどがおじいちゃんのものだ。
名前はもともとついていたり、ついていなかったり、いろいろだ。
それでも、よく遊ぶ市松人形や、両親と暮らしていた頃に買ってもらったテディベアには自分で名前をつけた。それぞれ、『ノリコちゃん』、『プー』と呼んでいる。
名前をつけたのは、ほかのお人形と区別するためだ。
茜とごっこ遊びする時にも、名前がついていないと不便だった。
でも、操真は、たった一体のこのお人形とずっと二人きりだったのだ。
だから、名前なんてつける必要もない。
そこに、深いきずなを感じて、まふゆはなんだか胸が熱くなった。
「……五鈴さんは?」
「え?」
「下の、名前は」
なんて言うの、と言外に聞かれる。
「……ま、まふゆ。……五鈴まふゆです」
あらためて名乗ると気恥ずかしい。真冬に生まれたから『まふゆ』なんて、安直だ。
まふゆはうつむいて、穴のふさがったカーディガンを膝の上で撫でた。
直ったとわかったら、羽織ってすぐに出て行ってしまう気がして、なかなか言い出せない。
「じゃあ……こいつは、フユ」
ちゃぶ台に置かれたお人形を見ながら、操真は言った。
まふゆはパチパチと瞬いた。
まふゆの名前を聞いて、お人形にフユと名前をつける。
(こ、こんなにかわいいお人形の名前を、てきとうに決めるのは、良くないんじゃ)
まふゆは心の中で焦り、だが、操真の顔を見て息を飲んだ。
操真の名づけが単なるてきとうな思いつきではないことは、明らかだった。
操真は本当に恥ずかしそうにうつむいていた。
ダルマストーブの蒸気に暖まった部屋で、猫背になって耳を赤くしている。
「……ダメ、かなあ」
すがるような目で、本当の名前の持ち主に許可を求めてくる。
片時も手放せないほど大事にしているお人形に、まふゆと同じ名前をつける。
それがどういうことなのか、まふゆだってなんとなくわかる。
いやわからないのだが、わからないなりに、わかる。
好きな相手にしか、そんなことは求めない。そして、それを許すのも同じだ。
「いいよ……」
まふゆは、もじもじしながらうなずく。操真を好きだから、許した。
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