第12話 帰り道

 あの誘い方ではまるで脅迫だと、まふゆは職員室を出てから気がついた。


 一緒に日誌を届けに行った操真は、見かけはもうすっかりいつも通りに見える。


 破れたカーディガンを脱ぎ、お人形はダウンのポケットに入れていた。


(さっきまでとは別の人みたい……)


 そんな操真のことを。ダッフルコートを羽織ったまふゆは見上げている。


 あまり親しくもないまふゆに急に名前で呼ばれて、操真は嫌だっただろう。


 偶然とはいえお人形のことも知ってしまった。


 弱みを握られたと思っているに違いない。


 その状況で『家に来い』と言われたら、嫌でもついてくるに決まっている。


「す……すみません……」


 道ばたで急に罪悪感がこみあげてきて、まふゆは思わず操真に謝っていた。


 操真が、いつかのように奇妙に首をかしげてまふゆを見下ろす。


『まふゆより無口な人を、初めて見た』。茜はそう言っていた。まふゆもそう思う。


 操真があまりにも言葉を発さないので、まふゆも口下手ながら喋らざるを得ない。


「嫌だったですよね、急に……い、家とか……」


 口調まで変に固くなってしまう。


 歩行者信号が赤から青に変わるまでの沈黙があった。


「……別に……嫌じゃない……」


 まふゆには意外な言葉だった。


 頭の中では『はい、嫌です。もう二度と話しかけないでください。じゃあさようなら』と流暢に別れを告げられていたのだ。急に頬が熱くなってくる。


 今しかない、と思って、まふゆは言った。


「あの……ずっと、お礼を言いたくて。ありがとう、ございました……」


 前を歩きだした操真は、黙っていた。


 まふゆはゾッとした。日にちが空きすぎて、なんのことか伝わっていないのかもしれない。


「違うんです、あの」


 思わず手を伸ばして、操真のコートの端をひっぱってしまう。


「カ、カエルが机にいた時……。わたし、助けてもらって……」


 そう口走ってからすぐ、まふゆは、ぱっとコートから手を離した。


 自分でも驚いていた。


 あんなに怖かった男子に、自分から触ろうとして、触ったのだ。まふゆが。


 操真は返事をするかわりに、まふゆの袖口をひっぱった。


(え。え?)


 横断歩道で立ち止まっては危ない。


 点滅しはじめた青信号を渡り終えて、操真は手を引っ込めた。


 操真が、かすかにうなずいたように見えた。


 その拍子に、照れたように赤くなった耳が覗き、コートのフードの影にまた隠れる。


「……五鈴さん」


「は、はい……」


「どっち?」


 T字路に差し掛かっていた。まふゆは慌てて操真の前を歩く。


(操真くんは、嫌じゃないんだ。道はどっちって聞いて、ついて来てくれるんだ……)


 まふゆは、なんだか夢見心地だった。足元もおぼつかず、ふわふわしてしまう。


 体もなんだかポカポカ温かい。コートなんて捨てて、走り出したくなる。


 まふゆは、何度も肩越しに振り向いて、そこに操真がいることを確認した。


(うれしい。操真くんがいてくれて、とってもうれしい)


 おまじないをかけたわけでもないのに、自然と顔がお人形のように、いや、お人形よりもずっとニコニコになってしまう。


 目が合うたびに操真は瞬いた。


 あんなに睨みつけてきたのがウソのように、操真はまっすぐにまふゆを見つめ返す。

 もしかしたら、はじめからそうだったのかもしれないとまふゆは思った。


 恐怖のあまり、まふゆの目が曇っていただけで。


 操真は初めから、まふゆのことをただただ見つめていただけだったのだ。


 そのうち、雪が降ってきた。見上げれば目がチカチカする白さだ。


 舞い降りてくるような緩やかさに、体が浮き上がっていく気がする。


 嬉しさのあまり、家に着く頃には、まふゆは操真の手を引いて歩いていた。

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