第11話 ポケットのなかには

 顔を赤くしてちまちまと日誌を書いているまふゆを、操真は頬杖をついて見つめていた。


 換気のために開いた窓から冷たい風が吹き込んで、まふゆの髪を揺らしている。


 操真は席を立って、窓を閉めに行った。


 大きな体が動くのを、まふゆは思わず目で追ってしまう。


 操真は右手で窓を閉め、左手をカーディガンのポケットから出した。


 人差し指の先で、はじくように錠を下ろす。


(……あれ)


 その時、まふゆは彼のポケットから教室の床に、ぽろっと何かが落ちるのを見た。


 ころころと、まふゆの足元にまで転がってきた。


 思わず拾い上げて、まふゆは思わず感嘆の声を漏らした。


「わぁ、かわいい……」


 それは手のひらサイズの小さなお人形だった。


 シリコンでできた、いわゆるファッションドールと呼ばれるものだ。


 小さいながら横にすると目を閉じる。頭を起こすと、まぶたが開く。


 うす水色が繊細な、宝石のように美しい瞳。

 

 ウェーブのかかったロングヘアは綿菓子のように甘やかな桃色をしている。

 

 思わず見惚れてしまったまふゆは、強い視線を感じてハッと顔を上げた。


 操真は穴の空いたポケットを両手で押さえながら、まふゆを凝視している。


 人の顔がこんなにも青ざめるところを、まふゆは初めて見た。


(あれ? これ、操真くん、の……?)


 クルミではなかった。石でも、ナイフでもなかった。


 操真のカーディガンのポケットにずっと入っていたのは、小さなかわいいお人形だった。


 目の前にいる操真の全身の緊張が、見ているだけで伝わってくるようだ。


 いま、彼がどんな気分でいるのか、まふゆにははっきりとわかった。


 本当に怖い思いをした時の自分と一緒だ。体が動かなくて、声も出せなくなる。


 目に映るひとつひとつのものがやけに恐ろしく巨大に見えるのだ。


 まるで、ちっぽけな自分に向かって襲いかかってくるかのように。


(ど、どうしよう……)


 今すぐ助けたいのに、どうしたらいいのかわからない。


 操真は背中を窓ガラスに押しつけるようにして固まっている。


 誰かに殴られでもしたかのように奥歯を噛みしめていた。


 見ているだけでまふゆは胸が痛んだ。


(だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、操真くん)


 まふゆはまず呼吸を整えた。


 すると、目の前のお人形もなんだか震えているように見えた。


 お洋服が半袖のワンピースだったせいかもしれない。


 まふゆは寒そうなお人形に、ハンカチを被せてあげた。


 それだけで、操真の肩から一気に力が抜けるのがわかった。


 まふゆはだいじょうぶだよ、と示すように無言でゆっくりうなずいて見せた。


 右手の上にハンカチでくるんだお人形を乗せて、左手で隠すように持つ。


 そのままゆっくりと立ち上がって、操真に向かって差し出した。


「はい」


 なるべく顔を見ないようにしたほうがいいと思った。


 まふゆがうつむいたまま渡したものを、操真は左手で取った。


 ほっ、と、まふゆが息をつくのと、操真が空虚な笑いを吐き出すのとが同時だった。


「は。ははは……」


 左手にぎゅっとお人形を握りしめたまま、操真は壁にもたれるようにズルズルしゃがみこんでしまった。


「バレた……」とつぶやき、「終わった……」と膝を抱えている。


 まふゆはびっくりしてしまった。背の高い彼のつむじを、初めて見た。


 輪ゴムでまとめたお団子が、壁にはさまって完全につぶれてしまっている。


(どうしよう……やっぱり、勝手に見られて、嫌だったのかな……嫌だよね、きっと……。なんて言ってあげたらいいんだろう……)


 まふゆの頭の中は、かける言葉の候補であふれて今にもパンクしそうだった。


 茜だったら『気にすんなよ~!』と笑い飛ばして背中を叩くのかもしれないが、同じことはとてもできない。


 まふゆは困ってしまった。


(あ、『ありがとう』って今言ったら……いや今言うのは絶対に変だ……えっと、そうだ、『だいじょうぶだよ』とか……でも、勝手に見たわたしが、だいじょうぶなんて言うのは、なんか失礼なんじゃないかな……それにカーディガンも破れてるし…………操真くんも、お人形さんのこと、好きなのかなあ……そうだったら、うれしい!)


 混乱してぐるぐると回っていた思考回路が、そこで急にパーンと破裂した。


 まふゆは「あの、あのねっ」と、はしゃいだ子どものように両手を広げてしまう。


 操真にぽかんと見上げられながら、まふゆはぐるぐる目のまま言った。


「わたし、操真くんに、うちに遊びに来てほしいなぁ!」


 今日はじめてまともに話した操真を、本当に名前で呼んでしまっていた。

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