第9話 女子も、怖い。

 あの日以来、まふゆは変だ。


 教室で囲井の姿を見るだけで胸が高鳴り、顔が真っ赤になってしまう。


 そのくせ目が合うと恥ずかしくてたまらず、すぐに顔をそむける。


 でも彼の姿がそばに見当たらなければ、無意識に探してしまう。


 自分でもそばにいたいのか、いたくないのか、まったくわからない。


 視線が合うなり真っ赤になって顔をそむけるなんて、恩人に向かってこんな失礼な

態度をとるべきではないと、まふゆも頭ではわかっている。


 これじゃ『なんでカエルを片付けたりなんかしたのよ』と、怒っているみたいだ。


 本当はそれとはまったく逆の気持ちなのに。


 まふゆの態度の変化を、囲井もそんなふうに感じたようだった。


 瞬きの回数がなんとなく増えて、逆に、睨まれることが減る。


 そこにちょうど、囲井の教科書が届くタイミングが重なる。


 机と机を付ける機会もなくなり、まふゆは少しずつ彼が遠のいていくように感じ

た。


 開いていく距離と比例するように、胸に秘めたまふゆの感謝の気持ちは、自分でも

怖いくらい大きくなっていった。


(操真くんに、ありがとうって言いたい。言いたいのに、恥ずかしくて顔も見られな

い)


 心の中での呼び方も、最初は(囲井くん、囲井くん)と呼んでいたのが、いつの間にか今は(操真くん、操真くん、操真くん)と何度も名前で呼んでしまっている。


(操真くん、ありがとう。ありがとう、操真くん)


 心の中では飛びつくみたいに、ありがとう、ありがとうと叫んでいるのに。


 一人で泣きそうになっているまふゆは抜きで、クラスの女子たちは、西階段に集まり、真剣な話し合いをしていた。議題はもっぱら嵐山の奇行についてだ。


「茜ちゃん、やっぱり嵐山って、まふゆちゃんに対して、ちょっと変じゃない?」


「うーん……そうねえ……」


「いや変っていうか、かなりヤバいよあいつ。マジで昔からああなの?」


 ヒキガエル事件があった日。


 遅れて学校に来た茜は、クラスの女子から話を聞いて言葉をなくしていた。


 まさか自分がいない時に限ってそんなことが起きるとは、思ってもみなかったのだ。


 茜はため息をついて、おうむ返しにまとめた。


「嵐山はマジで昔から、まふゆに対して、かなりヤバい」


 本当にそうだったからだ。


 嵐山の家は居酒屋だ。茜のお父さんもよく行くお店なので、昔から交流はあった。


「最近は特にだけどね……まあ何年も片思いしてる女の子にずっと無視されたら、そ

りゃおかしくもなるでしょう。でも、無視されるようなことをする嵐山が悪いよ。仕

方ない」


「ねえ、茜ちゃんからなんとか言って、諦めさせられないの?」


「いや、ムリ」


 茜はきっぱりと首を振った。


「あたしは嵐山が何かを諦めるところを、いまだかつて見たことがない」


 女子たちは顔を見合わせてしまった。


 言い方はかっこいいが、今は最悪に聞こえる。


 茜はほつれた髪をピンで留め直しながら話した。


「これまで何度も言ってるんだよ。まふゆはすごく嫌がってるよ。いい加減にやめな

きゃあたしだって本気で怒るぞって。……そしたらアイツ、なんて言ったと思う?」


 在りし日の嵐山は、あざけるような笑みを手のひらで隠しながら、こう言った。


『おいおい、茜、おまえヤキモチか~?』


 思い出しながら茜は、右手に固いゲンコツを握ってしまった。


「マジでむっかつく……。あいつ、女子はみんな自分に惚れてると思い込んでんの

よ」



「嵐山くんは、確かにモテるからねえ……」


 ほかの女子たちにも思うところが色々とあるらしい。一様に遠い目をしていた。


「……じゃあやっぱり、まふゆちゃんがバシッと振らないとダメなんじゃない?」


 おずおずと声を上げたのは宮地だ。


 そうだそうだと同調する面々に、やはり茜は首を振った。


「それだけは絶対にダメ。嵐山が逆上して、まふゆに何するかわかんないから」


「ひどい! そんなの無茶苦茶じゃない」


「だから本当に無視するしかなかったんだよ。まふゆはかわいそうだったけど、嵐山

は、もうどうしようもないの。あいつ親とか先生の言うこともぜんぜん聞かない

し……」


「そんな……じゃあ、嵐山くんのやりたい放題ってこと?」


 階段に座った茜は、膝に頬杖をついて天を仰いだ。


「あとは、まふゆに白馬の王子様が現れるのを待つかだね……」


「そうだ! 茜ちゃんが王子様になればいいのよ!」


 茜が漏らしたため息交じりの一言をきっかけに、女子は一斉に立ち上がった。


「それもそうだ」


「その話だと、まふゆちゃんと茜ちゃんが二人でくっつくのが一番いいよ」


「そうだよ茜ぇ! 嵐山に負けんな」


「うちらも、嵐山軍団に負けないように特訓しよう!」


「女子に勝利を! 嵐山に報いを!」


 握りこぶしを掲げて一致団結する女子たちの勢いに、茜はびっくりしてしまった。


 まふゆは『男子がものすごく怖い』と言っていたが、茜の意見は違う。女子も、怖

い。

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