第6話 はっ!

「まふゆー、生きてるかー」


 茜にぽんぽんと頭をはたかれ、まふゆは意識を取り戻した。


 時計を見上げたまふゆは、すでに放課後と知ってびっくりする。


 どうやら目を開けたまま気絶していたらしい。


 持ち前の器用さで一日過ごしたようだが、授業中はおろか昼休みの記憶もおぼろげだ。


 教室の人影はすでにまばらだった。


 部活に忙しい生徒がいる一方、まふゆは家に帰るだけの帰宅部だった。


 図書委員なのだが、今日は活動のある日ではない。


 茜の方は、親が教育熱心で塾に週五で通っている。


 勉強はともかく、学校とは違う塾の人間関係を楽しんでいるようだ。


 そんな中でも途中まで一緒に帰ろうと声をかけてくれるのだ。


 まふゆは早く席から立つべきなのだが、きょう一日の無理が祟って体に力が入らな

い。


 つむじに乗った茜の手の重みが心地よく、ぼんやりしてしまう。


 だが、茜はそうではなかった。


「あのさ、囲井くん」


 なんと、まふゆの隣で帰り支度をしている囲井に話しかけ始めたのだ。


 肩に通学鞄を担いだ囲井が、ゆっくりと二人の方を向く。


 眉をしかめた顔が逆光を受けて、いかにも殺気立って見えた。


 思わず体を固くするまふゆとは反対に、茜はいかにものんきな声をあげた。


「朝は失礼なこと言ってごめんね。転校生がどんな子なのか気になって、みんなつい

調子に乗っちゃったんだ」


 囲井は不気味に首をかしげたまま、二人の前に立っていた。


 茜もすこしは怖いようだ。


 返事の返ってこなさに目をぱちくりさせながら、まふゆの頭をそわそわと撫でてい

る。


 囲井の視線が茜から、まふゆに向かって下りてきた。


 まふゆは今日一日中、このブラックホールのような目に睨まれどおしだった。


 いったいまふゆが何をしたと言うのだろう。


 机の間で一つの教科書を開いている時にも、横にいるまふゆの手や顔ばかり見てい

た。


 本当に、まふゆを透かして窓の外を見ているのかと思うほどだ。


 だが、顔を上げれば視線がかちあう。そのくせ合った視線を向こうから決して逸ら

そうとしないので、どうしてもこちらから顔を背けることになる。


 今もそうだ。


 恐怖を押し殺し、まふゆがなんとか目を逸らすと、囲井はゆっくりと瞬きをした。


 相変わらずカーディガンのポケットに左手をつっこんだまま、その中でぎゅうと何

かを握るしぐさを見せる。何か危ないものが出てくるのかと、まふゆはびくびくし

た。


 だが、囲井は何も取りださない。


 そのまま二人に背を向けて教室を出ていこうとする。


「えっ、帰るの?」


 結局、一言も返されなかった茜は慌てたように言った。


「じゃ、じゃあまた明日ね。囲井くん!」


 背中に向かって挨拶すると、囲井は肩越しに二人をちらっと振り向いた。


 なんとなく頭が前後したように見えたのは、目の錯覚か、あるいは会釈だろうか。


 ずしん、ずしんという幻の足音が廊下を遠ざかっていく。


 茜は「うーん」と、腕組みしてうなった。


 まふゆと教室の引き戸を見比べるようにして、つぶやく。


「世の中は広いなあ。まふゆより無口な人っているんだねえ……」


 さすが、コミュニケーション超人は、怖がりなまふゆとは目のつけどころが違う。


 確かにそうだと、まふゆはコクコクうなずいた。


 隣の席だから話しかけられるのではないかと怯えていたのだが、囲井はガンを飛ば


してくるばかりで、あの『夜露死苦』以降、結局は一度も口を開かなかった。


「なんか、ただ者じゃないって感じだよね」


「うん……」


「アレがいわゆるケンカ番長ってやつなのかなあ……」


 失礼なことを言ってごめん、と謝ったばかりの口で素直にそんなことを言う。


 思わずちょっと笑ってしまったまふゆに、茜はすぐ気がついた。


「なーに笑ってんの」


 そう言うと、まふゆの髪をくしゃくしゃと撫ではじめる。


「だって……」


「だってじゃないよ。嵐山と違って囲井くんってどんな子か、まだわからないからさ

あ。あたしは、まふゆを心配してるんだよ」


 茜は言葉通り、気づかうように、まふゆに視線を合わせた。


「まふゆが本当に怖くて勉強どころじゃないなら、先生に言って席を変えてもらった

っていいと思うよ。ほかの女子はそんなに嫌じゃないみたいだし」


(え、そうなの……)


 恐怖のあまり意識を失っていたまふゆは知らなかったが、囲井に対する女子の反応

は、かなり好意的だった。これは隣の席に座っていたまふゆのおかげでもある。


 偶然にもクマとネズミのような体格差の二人が並んだことによって、女子の目には

囲井までもが、ちょっとかわいらしく見えたらしい。


「まふゆに負けじと嵐山も話しかけに行ってたしね。なんか壁にケンカ売ってる犬み

たいになってたけど」


 その光景を思い浮かべるまふゆに、茜は心配そうに首をかしげた。


「どうする? 男鹿先生に相談してから帰ろうか?」


「……ありがとう。でも、だいじょうぶ」


 まふゆは茜を安心させようと、お人形の顔で笑ってみせた。


 囲井の睨み方はたしかに怖いが、嵐山軍団のようにからかってくるわけではない。


 だとすれば怪獣の中でも大人しい部類だ。いつものように手元に集中してやり過ご

せばいいとまふゆは思った。そのうちに席替えもあるだろう。


「そう……なら、いいけど」


 茜は、まふゆの気合いの入ったニコニコ顔に、つられて笑顔を返した。


 ぱっぱとスクールバッグに荷物を詰めるまふゆの横で、ひとり呟く。


「あたしは囲井くんって、なにか裏があるような気がするんだけどなぁ……」

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