第19話 迷う人々

 そのころからだ。

 店に奇妙なお客さんが現れるようになった。それはまるでこの店の中に別な空間があるようで、彼らはそこへやってきているようだった。彼らが現れる前には必ずと言っていいほど、かすかな耳鳴りがした。


 そしてそれは、爺さまがいるときには起こらない。

 そのときには、必ずあの子が現れて、彼らになにかを諭している。彼らはあの子と話すうちになにに納得するのか、この店をでていく。僕は何度目かのときにあの子に聞いてみた。


「ねえ。あの人たちはなんなの?」

「さあ。いろいろと悩むことがあるんでしょ。ランプがね、気になっちゃうみたい。それでここに寄るのね」

「ランプが……? たまに薄くなってる人もいるよね。あれはなんなんだろう?」

「あんた……悠斗はわかってると思うけど、あの人たち、体から出てきちゃってるのよね。あんまり長く離れていると、良くないのよ」

「良くないって?」

「帰れなくなっちゃうの」

「それってもしかして……」


 あの子はうなずいた。僕は急に怖くなった。こんなふうに誰かがくるのは、いつまで続くんだろう。

 時には僕が介入することも可能だと気づくと、僕も積極的に帰るのを促すようにした。


 あの事故から二週間がたったころ、和馬と冬子がそろって店に顔をだしてくれた。

 ようやく笑子と連絡が取れ、あの写真はやっぱりあの場所だったという。近所に住んでいる笑子は、たまたまあの道を通りかかり、写真を撮ったそうだ。


 ホテルから出てきたところを見たわけじゃないと言ったらしい。

 ホテルの名前も外観も、僕が携帯で撮った写真と同じだった。

 冬子は憤慨していたけれど、僕にとってはもうどうでもいいことだった。


 この日も僕は結菜のところへお見舞いに出かけた。ご両親はいつも気を利かせてくれて、僕が顔をだすと二人きりにしてくれる。

 ベッドの脇に椅子をよせ、ただ眠っているだけのように見える結菜の手を握った。


「結菜……ごめんね。あの写真……誤解が解けたよ。結菜はなにも悪くなかった。疑ったりして本当にごめん」


 強く握っても、結菜は握り返してはくれない。検査をしても異常は見当たらないのに、今も目を覚ましてはくれない。

 早く笑った顔を見たいのに。また名前を呼んでほしいのに。


 数十分そうしてから、僕は結菜の頬に触れ、キスをして部屋を出た。もうこれが日課になっている。学校がある日は学校帰りに、店を開ける日には昼の中休みに、僕は必ずここへ来る。ロビーでご両親にお礼を言い、店に戻った。

 午後の準備をしながら鍋やフライパンを洗っていると耳鳴りがした。カウベルが控えめに鳴る。


(また誰か来たんだろうか)


 カウンターを振り返ると、一番端のいつもの席に、結菜が座っていた。


「結菜……どうして……」


 結菜は黙ったままで、ほほ笑んだ。僕は急いでカウンターに寄り、その手を握った。


「結菜、こんなところに居ちゃダメだ。早く戻って。早く戻らないと、帰れなくなってしまうかもしれない」


 不思議そうな顔で僕を見つめ、なにかを思いだそうとするように首を傾げたあと、結菜の姿が消えた。

 戻ってくれたことにホッとする。ここへ来たのなら、今度こそ目を覚ましてくれるのかもしれない。


 そう思ったのに、期待に反して結菜は目をさましてはくれず、変わりに僕の店に顔をだした。

 翌日も、その翌日も、結菜はやってきていつもの席に座る。声は出ないのか、いつも黙ったままだ。

 そのたびに僕は戻るように促し、結菜もいつの間にか消えている。戻ってはいるはずなのに、どうして何度もここへ来るのか。


「来るようになっちゃったんだ? 彼女」

「どうしよう……どうしたらいい? 結菜が消えてしまったら……僕は……」

「私の出番でしょ! 大丈夫よ。ちゃんと帰してあげるから」


 自信満々で胸をたたいたあの子は、盛んに結菜に声をかけていたけれど、二年たっても一向に帰せないままだ。

 最近では完全に無視を決め込まれ、さすがにへこんでいる。


 そしてそのころ、結菜は突然、転院してしまった。僕はなにも知らされることはなく、結菜の両親を訪ねてみると、引っ越しをしてしまった後だった。

 どうにか探そうと、あちこちに聞いて回っても、個人情報だから話せないと、取り合ってももらえない。


 結菜に会えなくなってしまった今、店に現れる姿を、いけないと思いながらも待ち続けてしまった。

 カウンター越しに向けてくれる笑顔が、優しい目が、以前と変わらず愛おしくてたまらなかった。


 それに――。


 ここへ来る結菜は、今も変わらずあのバングルを身に着けてくれている。それがとても嬉しかった。

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