episode.33 製錬機
窓から射し込む陽光。
眩しくも気持ちよさを感じながら手に持ったカップを口に近づけ一口飲む。
ほのかな苦みを口の中で感じながら肩を上げて背筋を伸ばした。
「おはよう御座います。」
カチャリと部屋の扉が開かれる。
背後から聞こえた声に、視線は向けずともルイスであると分かる。
「先生早いですね。フレイテスさんも……は、寝てらっしゃいます?」
「一日七時間は寝ないとダメなんだと。まあ、一昨日からほぼほぼ徹夜だったしな。」
「そういう先生は大丈夫ですか?」
フレイテスに部屋の隅にあった毛布を掛けてやるルイス。
普段ならこんな奴にそんな気遣いは要らない、と突っ撥ねてやるところだが、流石に二徹させる勢いで付き合わせた罪悪感もあるので、今回だけは黙っておいてやることにした。
「俺も流石に疲れたから少し休む……と言いたいところだが、そう言うわけにもいかないな。」
俺はテーブルの上の乱雑に置かれた紙に視線を落とした。
「無事完成したんですよね?」
「ああ、なんとかな。星型大二十面体――ここに辿り着くまでに苦労したよ。」
「先生は本当に凄いです。こんな形の術式構造、私初めて見ました。」
ルイスは散らばった紙を集めながら一枚一枚に目を通していく。
「こっからは〝製錬機〟を使って魔石の精錬から結晶化まで工程を進める。そこまでいけばあとは総力戦になるから、休むのはそこまでいってからだな。」
「体壊さないように気をつけて下さいね。」
「ああ、ありがとう。」
ルイスに礼を言っては、フレイが起きるまでの間に俺は朝食を済ませに外へ出た。
「ここが評議会……。」
昼過ぎになり、ようやく起きたフレイと共に製錬機のある評議会まで赴いた。
「どうしたエリン?顔色悪いぞ。」
俺とフレイの後ろで建物を眺めるエリンに俺は声を掛けた。
「あの女とまた会うかもしれないと思うと正直胃が痛いわ……。」
「あの女……って、ああ。ミシェ姉のこと言ってんのか。」
俺はそこで思わずフッと笑った。
エリンからしてみれば、ルイスとの勝負の時に言われたことが後を引き摺っているのだろう。
あれだけ自信満々だったルーンをボロクソに言われれば、顔を合わせづらいのは分かる。
「大丈夫だよ。ミシェ姉は別にお前のことを取って食ったりはしないから。」
「で、でも!」
エリンがこんな弱気なの珍しいな。
蛇に睨まれた蛙とは、まさに今のエリンの為にあるような言葉だ。
俺は不安がるエリンの頭にポンッと手を置いた。
「そんな心配すんな。何かありゃ俺が助けてやる。」
エリンを落ち着かせようと俺はいつもより優しい口調を意識して話した。
すると効果はあったか、エリンの頬がほんのり赤みを帯びては小さくコクンと頷いた。
「そろそろ行こう。ここの受付は時間にうるさいんだ。」
こちらの様子を見計らってフレイが声を掛ける。
その声掛けで俺達は建物の中へと入って行った。
「14時から製錬機の使用予約をしていた国認製錬技師のフレイテス・ナージフォンです。こちらが申請書になります。」
入って早々にフレイは受付に声を掛けては紙を渡した。
受付の人間がそれを確認しては同行者の俺達の分も含めて使用許可証を渡してくる。
製錬機は国認製錬技師でなければ使用することが出来ない。
それは単に台数が三台しかないからというのもあるが、一番の理由は何より扱いの難しさにある。
そもそも製錬機とは、俺達が普段使っている精錬炉の拡張版みたいなものだ。
出来る事自体は魔石の精錬と結晶化だが、精錬炉と違う点として、一つはモノが同じであれば一度に複数の魔石の精錬が可能であることだ。
通常の精錬炉では容量の問題は勿論、一度に複数の魔石を入れると温度の調節が上手くいかなくなる為一度に一個が限界だ。
しかし、製錬機は製錬機内の温度を始めに設定すれば常に温度を一定に保ってくれる為、同時に複数の精錬が可能である。故に量産ができる。
もう一つの大きな違いは、その大きさにある。
通常の精錬炉は、仮に無理矢理詰めたとしても精々手の平サイズの魔石が20個くらいしか入らない為、それ以上の大きさのルーンがまず製錬出来ない。
しかし、製錬機はその銀行の巨大金庫のような見た目に負けず劣らず、ヒトがおよそ100人くらい入れる大きさがある。故に今回のような巨大なルーンを製錬することも可能だ。
「ウェイ。」
製錬機のある地下にいくエレベーターに向かう道中、ミシェ姉と鉢合わせる。
「製錬機借りるよ、ミシェ姉。」
「ええ、勿論。貴方のことだから心配はしていないけど、気をつけて扱ってね。って、あら?」
そこでミシェ姉の視線が俺の顔から腰のあたりに落ちる。
不思議に思って視線を下げると、俺の背中にエリンは縮こまって隠れていた。
「久しぶりね。調子はどうかしら、エリンさん?」
ミシェ姉は優しく微笑むも、エリンは目を合わせようとせず俺の後ろから出て来ない。
「ふ、普通です……。」
ぎりぎり聞こえるかどうかくらいの声量でぼそりと呟くエリンに俺は思わず手で顔を覆った。
「いつもの覇気は何処へ行ったのやら……大丈夫だって言ったろ。」
エリンに呼びかけるも、当の本人は俺の服を掴んでは一向に離そうとしない。
そこまで怯えるほどのことかと疑問に思うも、仕方がないとミシェ姉に目で謝った。
「それじゃあまた。」
ミシェ姉もそれを察してくれて、一言言い残しては優しく微笑んだまま持ち場の方へと戻って行った。
「私、あの人には一生掛かっても目を合わせられない気がするわ。」
「んな、弱気になんなよ。お前らしくもない。」
ミシェ姉の姿が見えなくなってようやく元気になるエリンに、俺はやれやれと深い溜息をついた。
エレベーターに乗り、30秒弱の間下っていくと、ようやくそれが目の前に姿を現した。
「これが製錬機……。」
「エリンは見るの初めてか?」
「ええ。エレキスターお爺様にもここには連れてきてもらったことないわ。」
その大きさに圧倒されるのも無理はない。
俺も皇宮で初めて見た時は言葉を失ったもんだ。
「無駄口はここまでだ。早速作業に入ろう。王国祭のこともあって、今回の件で製錬機を使えるのは2週間しかないんだ。時間は無駄にできない。」
フレイの言葉に、俺もエリンも強く頷き、三人で製錬機の操作パネルの前に立った。
「何これ……どうやって操作するの……?」
エリンは操作パネルを見て瞳孔を震わせた。
それも無理はない。一口に精錬炉とやれることは同じと言っても、そのやり方は何もかもが違う。
「まるでオーディオ用のインターフェースみたいね……。」
「おっ、いい表現だな。」
俺はエリンの方に一瞬目を合わせては、直ぐにパネルへと視線を戻す。
「これからこの操作パネルに表示された108の数値入力欄全てに計算して出した数値を入力していく。そこから全体のバランスを考えて微調整を加えて数値を決定するんだ。あとは魔石を製錬機にセットすればそこからはオートでやってくれるってわけだ。」
俺の説明にエリンは喉奥に溜まった唾を飲み込んだ。
その様子に俺は安堵した。そして、ここからが本題だ。
「エリン、お前この数値入力やってみろ。」
そう。それこそが俺がエリンをここに連れてきた理由だ。
「はあ!?ちょっと待ってくれ⁉」
「ムリムリムリムリ!!ムリよ!!」
俺がそう振った瞬間、エリンだけでなくフレイまでも声を荒げた。
「君は一体何を考えているんだ!?」
「そうよ、ドブネズミ!!私は無理よこんなの!!」
「そうか?」
二人とは打って変わって俺は口角を引き上げた。
「俺は結構いい線行くと思ってるぜ。エリンの精錬と結晶化の感覚は俺やフレイとはちょっと違う独特なもんがある。」
「いや、そう言う問題じゃない。そもそも使えないだろ、この子には。ただでさえ納品までのスケジュールが遅れているのに、まだ早すぎる。」
フレイの台詞に俺はエリンを見た。相変わらず自信のなさそうな表情で、今日のこいつは大人しい。
「勿論使い方は教えるし、サポートもする。数値の計算自体は既にあらかた終わってるから、言ってもあとはバランス調整だけだ。」
まあ、正直それだけでも難易度は相当に高い。普通の製錬技師なら俺も任せようとは思わないし、仮にエリンがやると言っても、もしかしたら使用期限内に間に合わないかもしれない。
だから、これは賭けだ。
だが、賭ける価値は十分ある。
俺達からしても。エリンにしても。
「エリン、お前がどうしても嫌だと言うならそれでもいい。だけどな、製錬機を使える機会なんて今を逃せば国認になるまでもうないぞ。これは俺の持論だが、積める経験は積める時に積んどいた方が後々の自分の為になる。」
俺はエリンの目を真っすぐに見つめた。
エリンも不安な表情を浮かべたまま俺の目を見ている。
「それにな、エリン。俺はお前の感性を前から気に入ってるんだ。」
「えっ?」
戸惑いなのか、微笑む俺にエリンは瞳孔を少し開いて耳をぴくっとさせた。
「始めはただくそ生意気な面倒臭い女だと思ってたけど、お前と話して、お前の製錬を見て、俺は確かに才能を感じた。だから、俺はお前のその才能を開花させたい。いや、して欲しい、か。」
俺がそこまで言うと、エリンは俯いてしまった。
やはり気は進まないか。鼓舞するつもりで言ったが、逆に重圧を与えてしまったか。
エリンの背後で見ているフレイは首を横に振っている。
俺も暫く俯いて動かないエリンに、止む負えない、と溜息をついた。
「分かった。今回は――」
「……して。」
その時だった。
俺が諦めて操作パネルの方に歩み寄ろうとした瞬間、エリンの口から微かだが確かに聞こえた。
「約束して。」
顔を上げ、今度ははっきりとそう口にするエリンの潤んだ瞳に俺は一瞬にして惹き込まれた。
「もし……もしも、この数値入力が完璧にできたら、その時は私にも特別に一つルーンを作って。」
その瞳は一切の曇りもなく、どこまでも澄んでいた。
それに何だかクスッと笑ってしまう自分が胸の奥にいた。
「ああ。良いぜ。とびっきりのやつくれてやるよ。」
そう言い放ってやった瞬間、エリンが嬉しそうに笑顔を向けた。
何だかんだ初めて見たかもしれない。エリンのこんな純粋な笑顔は。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!本当に大丈夫なのか?私は責任持てないぞ。」
額に汗を滲ませては口を挟むフレイに俺は鼻で笑った。
「別にいいさ。元から何かあった時の責任は全部俺が取るつもりだ。」
「そう言う問題じゃないだろ。」
「ああもう、うるせえな。いいんだよ。どこまでも不利な依頼なんだ。この際とことん挑戦してやろうぜ。」
俺は不敵な笑みをフレイに向けると、たじたじな様子で苦い顔を向けたまま、だがそれでも、フレイはそれ以上物を言ってはこなかった。
俺はエリンに数値の入力方法や表示の見方などを教えていく。
「あとはこれが仕様書だ。時間がないのはそうだが、可能な限り読み込んでおけ。」
一通り説明を終えると、俺は最後に分厚い本をエリンに手渡した。
「おもっ……これ、もう鈍器じゃない。」
エリンの言葉にハハッと笑いが生まれては、それまでの場の緊張がいい意味で和らいだ。
「そういえば、一つ腑に落ちないんだが――。」
そこでふとフレイが話の腰を折って来た。
「なんだよ。まだ何か文句あんのか?」
「ああいや、そう言うことじゃなくてだな……その、君は何で製錬機の使い方をそこまで知っているんだ?」
そこでフレイだけでなく、エリンもこちらを見て来た。
そして同時にまずったと思った。
「最初はミシェル副議長と知り合いのようだから、話くらいは聞いていて少し触れるくらいだと思っていた。が、君の扱い方は熟知した者のそれだ。君の知識量は前から認めてはいるが、何故国認でなければ使用許可の下りない製錬機の扱い方まで知っているんだ?」
それは至極当然の疑問だった。
エリンに懇切丁寧に説明したのが仇となったか、これはどう逃げたものか。
いや、もうここまできたらフレイには話しておくべきか。
こいつも国認。俺が言わなくても、そう遠くない内に俺の正体には行きつくだろう。
ならいっそ、もうここで話しておいた方が面倒にならずに済むか。
色んな考えが交差する。頭の中に選択肢が網目状に絡まっては解けた。
そうして少しの間を置いてから、俺はおもむろに口を開く。
「俺はただ無駄に長く製錬技師をやってるだけだよ。」
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