episode.20 Dear my mother ー親愛なる母へー

「納得いかないわ!」


 不意に放たれたその一声は、騒然としたこの場を平静へと一変させた。


「どうして私のルーンがこんな石ころみたいなのより点数が低いのよ!」


 結果に遺憾の意を唱えるエリン――。


 その形相は正に逆鱗に触れた龍と遜色ないものだった。


「どうしても何も点数の通りです。」


 他が怖気づくか呆気に取られる中、ミシェルは毅然としてエリンをレンズ越しに睨みつけた。


「あり得ないわ!だってそうでしょ!?ルイスのルーンは純度100ちょっとで、私のは200オーバー。魔力充填率の調整だって私の方が上手くできてるわ!」


「そうですね。その辺りは点数にも表れています。」


「でしょ!確かにちょっと術式が雑だったかもしれないけど、総合的に見たら誰がどう見ても私のルーンの方が上よ!こんなちょっと特殊な術式彫っただけのルーンなんかに負けるはずないわ!」


 エリンはしたり顔で自身のルーンを称賛する。


 分かってはいたことだが、あそこまでの徹底ぶりだと煩わしいというよりも、寧ろ清々しいとすら思える。


「…………言いたいことはそれだけですか?」


 その言葉が発せられた途端、背筋に寒気を覚えた。

 それは懐かしくもあり、同時に恐怖も思い起こさせた。


 殺気にも似た薄ら寒いと感じるその雰囲気と、誰に対しても態度を曲げない正義感こそ、彼女が評議会の副議長だと言わしめる所以だ。


「えっと……。」


 疑問――というよりは動揺か。

 エリンは指を擦ったり、体を左右に揺らしたりしながら言葉を詰まらせていた。


「貴女のルーンは確かに良くできています。特に魔石の精錬から結晶化まではとても新人とは思えない腕です。ですが、それだけです。」


 淡々と述べるミシェルに対して、エリンはおろか誰も口出ししなかった。


 それは暗にオーツ達商人ですら理解し、期待していることでもあったからに他ならない。


「ただ質の良いルーンを製錬するだけなら極端な話、製錬機を使えば出来ますし、量産も可能です。目下、エレキスター様の元で働いている貴女ならそれはご存知でしょう。」


 ミシェルの言葉、それに他の審査員の視線から、エリンは右手に拳を作ってはそれをギュッと強く握りしめた。


「強い言葉を敢えて使わせてもらいますが、貴女のルーンはある程度経験を積んだ製錬技師なら誰にでも作れます。単純な攻撃魔法であっても創意工夫はいくらでもやり用はあったはずです。しかし、貴女はそれをしなかった。いいえ、怠った。製錬技師において最も大切なものを貴女はルーンに注ぎ込まなかった。それが、独創性の点数が付かず、ルイスさんより総合値が低かった理由です。」



 その言葉に皆が押し黙った。

 見物人達も、審査員達も、俺やエレキスター、そして当の本人達も、皆思い思いにミシェルの言葉を噛みしめていた。



「……によ。」



 そんな中で、ぽつりと呟かれたエリンの小さな声が風に乗って耳に届いた。



「何よ!独創性?確かに私のルーンにはそんなのないわよ!それは認めるわ。けど、だったらこの子のルーンはどうなのよ!難しい術式を彫ればそれが独創性になるの?それだってたかが技術じゃない!独創性でも何でもないわ!」



 悲痛にも思えるその叫びには正直驚いた。


「アンバランスだな……。」


 エリンはプライドの塊だ。

 彼女のことをよく知らない俺から見てもそれは明らかだ。


 だが、逆に言えばそれだけが彼女の心の支えでもあったんだ。


 傍から見ればそうではない。

 けれど、彼女にとっては今この状況は踏みにじられているに等しい。


 プライドは彼女にとって心であり芯だ。

 それ以外には何もない。

 もしそれがなくなったならば、彼女はきっと空っぽになってしまう。


 だからこそ受け入れられない。


 今までやってきたことを彼女自身が否定することは出来ないんだ。


「エリンは環境に恵まれ過ぎておった。それがあやつの欠点じゃ。」


 エレキスターは視線をエリンから外さず口を開いた。


「家は裕福で、父は宰相――そんなあやつに、周りは常に忖度同然の接待しかせんかった。そんな環境では性格は嫌でも捻じ曲がる。何に対しても自分が一番でなければ許せない。そうやってあやつは周りが忖度していることも忘れ、手段を選ばなくなり、己の力量以上の架空の力を己が父の権力から見出した。」


「なるほどな。だから自分を上回る……というより、気にも留めなかったルイスを嫌悪したのか。」


「決してあやつだけに原因がある訳ではない。じゃが、まずは本人が気づかなければ変わるものも変わらぬ。その為にはあやつが一番大事にしておるもの――そのプライドを、全力を出した状態で砕いてやる必要がある。」


「だから負けたら勘当なんて条件出したのか。随分な荒療治だな。」


 厳しくも面倒見のいいことで評判のエレキスターがなんであんなことを言い出したのか、正直疑問に思っていたが、そういうことだったとは――。


 俺も少しは見習うべきかもしれない。


「そうですね。では、貴女の納得がいくように説明しましょう。」


 視線を戻したところで、ミシェ姉が立ち上がってエリンとルイスの元へ歩み寄っていた。


「このルーンの術式は、先程も言ったように4種類のルーン術式が複雑な手法によって組み合わさっています。」


 ミシェルは台に置かれたルイスのルーンを手に取ってそれを2人に見えるように差し出した。


「そして、それらの術式の効果を一つ一つピックアップしていくと、ある病気の症状を緩和するものだということが分かります。」


「ある病気……?」


 エリンはルーンに刻まれた術式をじっと見つめるも、見当がつかないという面持ちで首を捻った。


「その病とは、運動性衰筋症です。」


「うんどうせい・すいきんしょう……?」


 聞き覚えの無い病名に、エリンは益々疑問符を浮かべた。



「簡単に言えば、運動ニューロンが障害を受けて、脳が知覚する運動量と実際の運動量に齟齬が生じる。その所為で筋肉が勝手に疲労して運動量が減っては衰えていき、痩せて力がなくなっていく未だ原因不明の病気だ。」


「ほほう、流石に詳しいの。お主の専売特許なだけはあるわい。」


「茶化すな。いくらあんたでもそこに触れるなら怒るぞ。」



 そこまでのつもりはなかったが、俺は反射的にエレキスターを睨みつけた。

 だが、その気持ちは直ぐに鎮まった。



「なあ爺さん、一つ確認したいんだが。」


「なんじゃ?」


「ルイスの母親の病気……安楽死したって聞いた時から薄々思い当たってはいたんだが、もしかして――。」



 最後まで言わずともエレキスターは静かに頷いた。



 なるほどな。

 ルイスが製錬したあのルーンは実に良くできたいいものだ。

 だが同時に、何故それなのか、とずっと疑問に思っていた。


 始めは病院に連れて行った時のサウスさんの病気が正にそれだったから、ただ俺のを真似して作っただけだとも思ったが、製錬の最中のルイスは何か真剣に祈っているようにも見えた。


「ルイスさん、このルーンは運動性衰筋症の症状を緩和する効果の術式が組まれていますが、それ以外にも【記憶補正】の術式も組み込まれています。それは何故ですか?」


 ミシェルはその様子から既に答えは出ているようだが、あくまで周知するためか、ルイスを問いただした。


「はい。それは、お母さんの為に製錬したルーンだからです。」


「お母さん……それって――。」


 エリンはまさか、とでも言うように口角を引き攣らせては驚いた。


 その様子に、ルイスはミシェルではなくエリンに話すようにその方を見た。


「私のお母さんは国認製錬技士を授与してから直ぐにこの病気に罹ったの。」


 その時のルイスの顔は、辛いとか、苦しいとか、そんなものではなく、ただ懐かしんでいるように見えた。


「この病の進行の速さは人によって差があるけど、その中でもお母さんは早い方だった。その頃の私はまだ学校にも入ってなくて、ただお母さんみたいな製錬技師になりたいとしか思ってなかったし、お母さんの病気は治るものだと思ってた。けど、お母さんが立つどころか、ルーンを通してでないと話すことも出来なくなったのを見て、もうどうにもならないんだって悟った。」



 その優しくもどこか辛そうな声色に、俺達は自然と聞き入っていた。



「それから間もなくしてお母さんは死を選んじゃった。だけどお母さんは私に大切なことを教え残してくれた。それは製錬技師にとって――ううん。全ての職人にとって一番大切なこと――。」


「大切な……こと。」



 真剣に己を見つめるルイスに、エリンは思わず喉奥に溜まった唾を飲み込んだ。




〝 使ってくれる人のことを想って作ること―― 〟




「っ――!?」



 気のせいだ。気のせいのはずだ。


 だが、確かに見えた。見えてしまった――。


 一瞬だけ。一瞬だけだが、ルイスがその言葉を放った瞬間、確かにルイスがと重なって見えた。


「ウェイ、お主……。」


 俺はただただ唖然とした。

 エレキスターが横で何か言っている。が、今は何も頭に入って来ない。


 感傷に浸るでもなく本当にただルイスをじっと見つめていた。



「使ってくれる人のことを、想う……。」



 その言葉はエリンの心にも沁みたか、エリンの表情は柔らかくなっていた。


「お母さんの背中を追ってたはずなのに、私も最近になるまでずっと忘れてた。お母さんが残してくれた教えなのに。……けど、それを思い出させてくれたのが先生だった。」


 そう言うとルイスは俺の方へ振り返っては目を合わせた。


 俺はそこでようやく正気に戻り、ルイスに頷きで返した。



「『ルーンは使用者と共に成長する』――先生は私にそう教えてくれた。その言葉の意味が始めは良く分からなかったけど、先生と一緒に仕事をして、一緒に病院へ行って患者さんの様子を診にいって、それで分かったの。先生の言っていることは、お母さんの言っていたことと同じなんだって。」


「ルイス……。」


 エリンは俯いてその顔を隠した。


 きっと彼女にも思い当たる節があるのだろう。

 エレキスターの元で働いていれば嫌でも感じるに違いない。


 それが自分にとって欠けているものなら尚更――。



「私達製錬技師は、誰かの為にルーンを製錬する。その人がルーンを使って、もっとこうして欲しいって意見を言ってくれる。私達ももっとこうするべきだったかもって反省する。それらを取り入れたら、今度はもっと良いルーンが製錬できる。そうやって製錬技師と使用者がお互いに一蓮托生で作り上げる――そうして使用者にとって、製錬技師にとって、そのルーンがかけがえのないものになる。それが先生の、お母さんの教えの意味だって。」



 彼女に向けて話すルイスに対して、エリンは俯き黙ったままだった。



 少しの間を置いて後、ルイスはミシェルの方へ向き直った。


「それに気づけたから……もう遅いけど、最後には視力すらなくなってしまったお母さんに私のことを思い出してほしい。思い出せるように――そう思ったので【記憶補正】の術式をルーンに入れました。」


 そう言ったルイスにミシェルは微笑みながら頷いてみせる。と、少し遅れて何処からか一人の拍手する音が聞こえてくる。


 そして一人、また一人と拍手する者が現れ、それは直ぐに会場全体に浸透した。



 それまで鎮まっていた会場――結果を否定したのはエリンだけではなかった。

 少なくとも驚きや戸惑いで騒然とする中ヤジを飛ばす者が5、6人はいた。



 それが今はどうだ。

 皆がルイスを称賛し、不満の声を上げる者は一人としていない。


 消費者である彼ら彼女らもまた本質を理解している。

 だからこその結果なのだろう。



「もう結果に異を唱える者はいませんね。」



 もう分かり切ってはいるも、最後の確認と言わんばかりにミシェルはエリンに向けて投げかける。


 当のエリンは依然として顔を背けたままだったが、否定はしてこなかった。


 その様子にミシェルはオーツに目配せしては元の席へと戻って行った。



「えーと……一時はどうなることかと思いましたが、勝負あったということで、弟子同士の対決はルイスちゃんの勝利です!」



 オーツの掛け声と同時に会場は歓声に包まれた。


 外周からはエミリア商会の人達からクラッカーが、ステージ前方からは紙吹雪が舞い上がる。


「相変わらず派手だな。」


「まあこれも良いじゃろ。」


 俺もエレキスターも苦笑いしつつも予想通りの結果にお互い安堵した。


「てか爺さん、約束忘れてないだろうな。ルイスが勝ったんだ。エリンの勘当はともかく、ルイスの悪評は訂正してもらうぞ。」


 思わず忘れそうになってたことを思い出してはエレキスターに食って掛かる。


「ほっほっほ。分かっておるわい。この後にでもエリンには謝罪させるし、儂からも声明は出しておこう。」


「そうか。それを聞いて安心したよ。」


 これで一件落着か。そう思ったところでルイスがこちらに走ってくるのが見えた。


「先生!」


「ああ。よくやった。」


 出会い頭、俺は片手を上げて向かい合った。

 それにルイスも迷いなく合わせてくれた。


 ハイタッチを決めてすぐ満面の笑みを見せるルイスを見て、こっちまで嬉しくなる。


「エレキスター様……。」


 遅れて来たエリンがエレキスターを前に足を止めた。

 こんなエリンをエレキスターも初めて見るだろうに、いつもと変わらぬ様子でまじまじと見つめていた。


「エリン、約束通りお前は勘当じゃ。」


 その言葉に俺は思わず耳を疑った。


「お、おいおい爺さん!それはこいつを本気にさせる為の方便だろ!?何を言って――。」


 口を挟んだ俺に対してエレキスターはそのか細い目から僅かに見える眼光をギラリとさせて睨みつけてきた。


 勝負の最中ですら見せることのなかったその本気の重圧に、流石の俺も気圧されてしまった。


「外野にとやかく言われる筋合いはない。これはけじめじゃ。エリンには己のしたことの罪をしかと猛省してもらう。」


「そんな……。」


 これまでのエリンからすれば怒って突っ掛かるものかと思ったが、あまりにショックだったのか、子猫のように言葉に詰まるだけでエレキスターに対してそれ以上反論しようとはしなかった。


 流石にいいイメージを持っていなかった俺ですらこの扱いは気の毒に思う。



 だが、先程のエレキスターの目――。



 あれほど頑固な爺さんは早々見ない。

 あれは本気の目だった。


 きっかけを作ったのは俺達だが、この件に関しては爺さんの言う通り俺達は外野だ。

 それを考えても俺達がこれ以上口出しするのは違うだろう。



「あのー……。」



 場に緊張が張り詰める中、ふと後ろからオーツがそれはもう気まずそうに割って入って来た。


「ウェイとエレキスターの方も一応再集計が終わったんだけど……。」


 オーツは頬を指で掻きながら恐る恐る様子を窺った。


「おう、そうじゃな。もう話は終わっておる。直ぐに始めてよいぞ。」


 ビックリするぐらい気分の移り変わるエレキスターに、俺達は呆気に取られながらステージ中央にスキップしていくその背中を眺めた。


「エリン……。」



 それは同情か、それとも哀れに思っているだけか――。



 ルイスは声を掛けようとはしても言葉に詰まっている様子だった。



 それはそう――。



 勝者が敗者に掛ける言葉なんかこの世には存在しない。

 勝者がどれだけそれらしいことを言っても、敗者に響くことはない。



 けど、だからこそだ――。



「辞めんなよ。」


 ステージ中央に向かう途中エリンの横で俺は足を止めた。

 顔も合わせず、手に肩を乗せるようなこともしないが、それでも言うべきだと思った。


「工房なんて他にいくらでもある。それこそ製錬技師なんて山ほどいるんだ。お前の腕を必要とする場所が必ずある。だから辞めんなよ。」


 返事はなかった。

 表情もこの位置からでは読み取れない。が、確かに伝わったという感触はあった。


 今はそれでいい。


 エリンも、ルイスにしろ、彼女達はまだ若い。

 精神的にも技術的にもまだまだ発展途上だ。

 立ち止まることがあったっていい。


 けど、俺のように潰れて十数年も無駄にしてほしくはない。



 だからこそ、いつの日か立ち直るきっかけの一つにでもなってくれれば――。



 そんなことを考えながら俺もエレキスターの後を追ってステージ中央へ向かった。

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