episode.17 勝敗

 店の前に水を撒き、薄っすらと出来た虹に心を癒されながら額の汗を拭う。


「いよいよか――。」


 期限の日から一日。

 昨日に今期四半期の売上を集計したところ、正直何とも言えない額だったことに俺は胸中穏やかではいられなかった。


 今回の勝負は王都中に広まっている。

 エレキスターの名前もあって注目度は相当に高く、勝負は審査員も兼ねて広場で大々的に行われることになった。


 勝負を吹っ掛けた時はエレキスターと個人間でやり取りする想定だっただけに、気は益々重くなるばかりだった。


「先生!」


 溜め息をついたところで丁度ルイスが出勤してくる。

 その顔は、自惚れから来る自信に浮かれた以前までとは異なり、緊張しつつも全力は尽くしたという充実感に満ちた表情だった。


「いけそうだな。」


「はい。」


 お互い色々なことを決心しては飲み込み、それから広場へと向かった。



「おいおい、人集まり過ぎだろ。」


「私、何だか帰りたくなってきました……。」



 広場に着くと、そこには既に大勢の人達が集まっていた。


 視界の奥にオーツを見つける。すると直後、あっちも俺達を見つけたようで笑顔で手を振ってくる。


「まったく、こっちの気も知らねえで……。」


 溜息を付きつつも人混みを掻き分け、オーツのいる広場の奥へと歩みを進める。


「おはよーさん、二人とも!調子はどうだ?」


 軽いノリで話しかけてくるオーツに若干の苛立ちを覚えるも、今は騒ぐ気にはなれない。



「どうしたもこうしたもねえよ。こんな大事にしやがって、まったく……。」


「そう言うなよ。これでもし勝てば、お前が今日から製錬技師ナンバーワンなんだぜ!」


「もしって何だよ。万一にも勝てなかったら、一生お前を恨むからな。」


「いや、そこは自分で責任持ってくれよ。賭けにアレを出したのはお前だろ?」



 それもそうか。

 きっかけはオーツでも、秘石を賭けに出したのは俺だ。負けて手離すことになっても、それは俺の力不足であって、こいつの所為じゃない。


 そんなことを考えていた所で広場が騒がしくなる。

 その理由は考えなくても直ぐに分かった。


「来たか。」


 オーツのそれまでとは一変した真剣な表情に、俺も振り返って相手を見つめる。


「エレキスター……。」


 ゆっくりとこちらに近づいて来る爺さん――。


 その重圧に、俺の背筋は無意識に強張っていた。


「やれやれ騒がしいの。何もここまで大っぴらにせんでも良かろうに。」


「あらら。あんたもウェイと同じこと言うんかい。」


 オーツの突っ込みに一瞬場が和むも、それもまた直ぐに張り詰める。


「あら、逃げずにちゃんと来たのね。そこに関しては褒めてあげるわ。」


「エリン……。」


 俺達の横でルイスとエリンは睨み合っていた。


 この二人にとっても今回の勝負は己の人生が掛かっているといっても過言じゃない。



 ルイスにとっては、勝てば汚名を返上することができる。そうなれば、元々あった国認への推薦が復活するかもしれないし、そうでなくとも自分の名に箔が付き、こいつの夢でもあった国認の工房で働くことも可能になるだろう。


 一方のエリンにしても、負ければ爺さんの工房を勘当されてしまう。

 そうなれば、宰相の娘という肩書きや面目は丸潰れになり、更にはここまで公の勝負になってしまった以上、彼女の性格からして負けたことを受け入れられず製錬技師を辞めてしまいかねないだろう。



 この二人のどちらが勝っても、二人の人生は大きく変わる――。



 そう考えれば、一般的な注目は俺達にあっても、今回のメインはルイス達ということになるだろう。


「んじゃまあ、役者も揃ったところで始めますか。」


 オーツは仲間に手で合図を送ると、何処からともなくマイクを出しては大勢の前に立った。


「レディース・アンドュ・ジェントルメーン!さあ、いよいよ今日という日が来たぜ!王都一との呼び声高い国認製錬技師エレキスター・ザブリエルと、二級ながらも国認製錬技師に勝るとも劣らない腕を持つ超スーパー二級製錬技師のウェイ・ヴァルナー。正に世紀の大決戦がここに始まるぜ!」


 オーツの掛け声に広場の人達は一層盛り上がりを見せる。

 まるで格闘技のリングにでもいるかのように錯覚してくる。


「ウェイよ。負けても文句を言うでないぞ。儂とてお主相手に手を抜くほどの余裕はなかったからの。」


「ああ、分かってるさ。爺さんこそ負けてもべそかくなよ。」


 爺さんだって国認の肩書きと店の看板を背負っている。

 それに、売上勝負で負けるということは、それはつまり自分だけでなく、工房で働いてくれている他の製錬技師達の評価にも関わる。


 だからこそ簡単に勝ちは譲れない。


 お互いに自分の一番大事なものを賭けての大勝負だ。


「両者の四半期の売上は不正のないよう我らレミリア商会で集計しています。ってことで、早速発表に移りたいと思います!」


 オーツは観客を煽るように声色を上げる。

 こういうのが得意なのは何ともこいつらしい。


 オーツが仮設ステージの脇にいる商会人に視線で合図を送ると、背にしていた電光掲示板の電源がついた。


「さあ、まずは二級製錬技師ウェイ・ヴァルナーが店主を務める『マッケン堂二号店』からの発表だあ!」


 広場に集まった烏合の衆から様々な声が耳に響く。


 不思議なもんで、こういう時に耳が拾うのは自分にとってネガティブな言葉ばかりだ。


 でも、それは致し方ない。


 ここに集まっている百人が百人みんな揃ってエレキスターの勝ちを確信している。



 国認相手に二級如きが太刀打ちできるはずがない、と――。



 緊張はする。だが、やれることはやった。

 勝つための作戦を考え、オーツに宣伝を頼み、数を製錬し、高値で売った。


「それではオープン・ザ・セールス!」



 勝つ。必ず――。



 そう強く思いながら電光掲示板の数字を目に焼き付ける。



「さ、3億6,510万!?うそおっマジ!?」



 電光掲示板に売上金が表示されたと同時に、広場全体に動揺の声が上がった。


「おいおいおい、ざっと計算しても1日あたり400万は売ってんじゃねーか!個人店の売上じゃねーぞ!?一体どうやってこんだけの売上叩きだしてんだ!?」


 誰も彼もが額に汗を滲ませ、おどろおどろしい表情で俺に視線を向けてくる。


 その気持ちは分からなくもない。

 今回の売上に関しては、はっきり言って冒険者達のおかげだ。


 ルーンの平均相場は、私生活で使用するものは千~5千メルドなのに対し、冒険者が使用する対魔物用のものは高品質のものなら1万~20万と幅広い。


 インフラ等国の運営に関わるようなものやオーダーメイド品、趣向に使用するものになるとピンキリだが、総じて冒険者市場の方が売上は出しやすい。


 周りの喫驚する声に俺は口角を自然と緩ませた。



 やってきたことは間違いではなかった。

 その達成感に拳をギュッと握り締める。



「驚異的な数値を叩き出したウェイ・ヴァルナー!この男、やはりただの二級製錬技師ではないぞ!」


 騒然とした広場の空気を正すようにオーツは気を取り直して進行を続けた。



 一瞬だけオーツと目が合う。

 その目は『やったな』と語っている。



 俺が頷いて返すと、オーツはニヤリと笑みを浮かべて見物客の方に向き直った。


「さて、いよいよお次はエレキスター率いる『電星会』の四半期売上の発表だあ!個人店としては驚異的な売上を見せた『マッケン堂二号店』だが、果たして王都一の工房に下剋上なるか――!?」


 その一声で場の空気は一気に張り詰めた。

 皆の視線はエレキスターに吸い寄せられ、当の本人は今何を思うのか、無表情のまま堂々とそこに立っていた。


「さあ、それではもったいぶらずにいってみよう!オープン・ザ・セールス!」


 オーツの掛け声と共に電光掲示板の数値が高速で動き出した。


 見物客も、俺も、皆固唾を呑んで一心に見つめる。

 一瞬、また一瞬、とランダムに動く数値が俺の売上を越える度に息が詰まりそうになる。



 体感時間がゆっくりに感じられるのか〝早く表示しろ〟とイライラが募る。

 溜まらず息を吐き、目のチカチカに視線を逸らした――時だった。



 嗚呼、と溜息のような声が客席から漏れる。

 怪訝に思うも直ぐに目の前のルイスの歪んだ顔を見てそれらが何を表しているか、それが容易に理解できた。



「そっか。」



 掲示板に視線を戻す――。

 右側には俺の売上が今もなお映し出されている。


 そして左側に顔をゆっくりと向け、エレキスター達の売上を見る。


「ええっと……電星会の売上は……2兆と2,047万……。」



 圧倒的な差だった。


 オーツの覇気のないテンションが完膚なきまでに期待を打ち破られたことを何よりも物語っていた。



「そうか……仕方ねえな。」



 当然と言えば当然の結果だ。

 少しでも期待した俺が馬鹿だった。


 技量だけならまだいい勝負になっただろうか。


 人手や機器の充実性等の戦力差も、報酬の単価も、何もかも不利なのは始めから分かっていた。


 それでも一矢報いるくらいには――。

 その首に矛先を突きつけるくらいはできると思っていた。


 だが、どうやら俺は自分の力を過信し過ぎていたようだ。

 昔の栄光は影も形もそこにはもうなかった。


「先生……。」


 ルイスが切なそうな目でこちらを見てくる。


 恥ずかしいな。

 普段はあんな偉そうなことを言っていたくせに、肝心な時にこの様とは目も当てられない。




「やっぱりもう君に会う資格は……俺にはないんだな。」




 ポケットに手を入れ秘石に触れる。

 これが最後だ、と決して忘れぬように感触をしっかりと手に馴染ませる。



「まあ、待て。そう事を急くでない。」



 沈んだ場を持ち上げるような一声が降り掛かった。



「エレキスター……。」



 爺さんはおもむろに俺の方へ歩み寄ると一瞬目を合わせた後に、オーツの方を見遣った。


「おい、レミリアのとこの若いの。」


「へ?俺か?」


 虚を突かれた様子で間の抜けた返事をするオーツに爺さんは呆れたように息を吐いた。


「お前さん以外に誰がおる。まったく……集計をやり直せ。」


 その一言は正に場を震撼させた。


 俺も人のことは言えないが、オーツは何処から出したのかと不思議に思う程喉から変な声を上げていた。


「なんじゃその阿呆な返事は……。」


「いや、どういうことっすか?俺マジで分かってないんですけど……。」


「爺さん、情けならいらねえよ。勝負は勝負だ。結果は受け入れる。」


 呆れて物も言えないのか。

 首を横に振る爺さんを俺もつい訝し気に見つめてしまう。


「情けではない。儂は純粋にお前さんとタイマンを張りたいんじゃよ。」


「というと?」


「ここに出ている数字は電星会全体の売上じゃ。儂の工房――つまり電星会本部と、その傘下の三十を超える工房――それら占めて従業員数は凡そ4万人。対してそっちはたった2人じゃろ。もっと言えば、そちらのお嬢さんはうちのと別で勝負がある。となれば実質ウェイ一人じゃ。4万対1で戦えば立場が逆でも勝負にならんじゃろ。」


「ま、まあそりゃそうだけど……ウェイはそれを承知で勝負したんだろ?」


 俺は首を縦に振った。


 爺さんの言うことは尤もだが、オーツの言う通り俺はそれを承知で勝負を吹っ掛けた。

 それでも勝てると高を括ったのは俺の方で、負けたのは俺の自業自得だ。


「儂はフェアにやってお主に勝ちたいと思っとる。だから売上は電星会ではなく、儂個人が受けた仕事の売上で集計せい。」


「なるほどな。ウェイ、お前はどうする?俺らの方は別に集計し直しても構わねえよ。」



 どうすると聞きつつもオーツはやり直す気満々のようだ。



 爺さんの考えは分かった。

 ただそれでも情けではないとは思わない。



「ま、お主がどうしてもヘパイストスの秘石を手離したいと言うのであればこのまま決着でもいいがな。」



 食えない爺さんだよ、あんたは。

 まったく……。そこまで煽られたらこっちだって黙ってらんねえよ。



「分かった。サシでやろう。」


 その返答を聞いて爺さんは年に似つかわない若々しい笑みを溢して見せた。


「後悔すんなよ。」


「言ってくれるわ。」


 気づけば俺も笑みを溢していた。

 それは喜びというよりも安堵から出たものだったが、それでも心地良かった。



 この感じ、久しぶりだ。

 高揚する心を抑えるのが堪らない。



「えっと、そしたら集計のし直しにはちょい時間が掛かるんで、一旦ウェイ達の勝負は後回しにしてルイスちゃん達の勝負に移っていいか?」



 それもそうか。

 俺と違ってエレキスターの方は受け持っている仕事量が半端じゃない。

 その膨大な中からエレキスターだけが関わっている仕事を探すのだけでも相当時間が掛かるだろう。


「ああ。」

「儂も構わん。」


 俺達の了承を得たことでオーツは見物人に状況を説明した。



 広場はざわつきを見せるものの、それは文句や戸惑いからではなく、一層のワクワクからのようだった。

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