episode.15 乾杯
王都で一番賑わう場所――それが何処かと聞かれれば、百人中百人がきっとこう答えるだろう。
昼はレミリア商会、夜はアイゼルの酒場、だと。
「おっ、やっと来たか!まさか来ないのかと冷や冷やしたぜ、まったく。」
「少し遅れただけだろ。大袈裟だな。てか、もう出来上がってんのか?」
木製のバーカウンターに突っ伏して真っ赤に染めた顔をこちらに向けるオーツに、俺は溜息を溢しながらその左横に座った。
「久しぶりだな、ウェイ。思ったより元気そうで良かった。」
「おう。まあ、ぼちぼちな。ルクスも変わらねえな。」
反対から声を掛けてきたルクス――10年以上ぶりに見る親友の顔に、俺は顔から笑みが零れた。
「そりゃあ、お前に比べたらな。最後に会ったのが、お前が俺ん家を抜け出した時だから、もう12年も前か。」
ルクスは手に持っているサファイアゴブリンの入ったジョッキをぐるぐると手首で回しながらそれを見つめていた。
手首が回る度に、その身に纏う重そうな純白の鎧がガシャリと音を立てる。
「見ない間に皇宮聖騎士がすっかり板についたな。」
「15年やってて板についてなかったら辞めてるよ。」
「ハハッ、それもそうだ。」
皮肉でお互い感傷に浸りながらいると、丁度女店員が注文を取りに来た。
「ルビードラゴンのロックをダブルで。」
流れるように注文を口にしていつものやつをオーダーする。と、右からオーツが凄い顔でこっちを見てくる。
「好きだよなー、お前。良く飲めるぜ、あんなもん。」
「俺がおかしいみたいに言うな。お前が飲んでるのも体外だろ。良くそんなクソ甘いの飲めるよな。」
「オパールハニービーは変な飲み物ではない!」
完全に酔った勢いでオーツはグラスをドンと置いて、立ち上がってはそう宣言した。
「まあまあ、二人とも。今日は十数年ぶりに同期三人揃ったんだ。もう少し感慨に耽りながら飲もう。」
ルクスの言葉でオーツはシュンとして静かに座った。
俺も手元に酒が来たことでグラスを手に持つ。
「んじゃ、ウェイも来たし、もっかい乾杯すっか!」
オーツがテンションを戻してそう言うと、真ん中にいる俺の所にグラスが集まる。
「かんぱーい!」
「乾杯。」
「おつかれ。」
「おいおい、二人共テンション低いんじゃないのって、うわ……。」
乾杯して早々、俺はグラスの中身を一気に飲み干した。
その光景に、オーツがまたドン引きしている。が、そんなことはどうだっていい。
「お姉さん、ルビードラゴンもう一杯!」
一瞬視界がグラッと鈍るも、直ぐに治り気持ちよくなる。
今日は久々に飲めそうだ。
その後更に同じのを二杯一気に飲み干すと、気づけば今度はルクスまで青ざめた顔をして引いている様だった。
「お前よくそんな勢いで飲めるな。ルビードラゴンって、アルコール度数70%くらいなかったか?」
「別に普通だ、ヒック。」
ガツンと胸が熱くなるのを感じつつ、湧き出てくる眠気を振り払いながらグラスの氷をぼうっと眺めた。
「ルクス、いつまでこっちにいるんだ?」
「ん?ああ、明日の朝には皇宮に戻る。今の時期は飛竜の繁殖期だからな。いつ皇宮に現れてもおかしくない。聖騎士長補佐としてはこっちに長居はできないよ。」
「ひえー。皇宮も大変なんだな。遥か上空にあるから魔物とは無縁だと思ってけど。」
まるで他人ごとだな。いやまあ、オーツからしたらそりゃそうか――。
「元々はそうだったが、ここ2年で魔物がさらに活発化しているからな。レクシオン様の結界があるとは言え、あれも完璧ではない。俺たち皇宮聖騎士はいつでも皇家をお守り出来るようにしておかないといけないんだよ。」
レクシオンか――。
久々にその名前聞いたな。
かなり昔から皇宮にいるみたいだし、ルクスの言いようだと未だに仕えているようだ。
世俗に下りて来たなんて話は全く聞かないから、もう何十年も皇宮にいるのか。
すげえな。
「〝仙人〟は元気でやってるのか?」
「ああ。お前がいなくなった後もルクシオン様はお一人でルーン研究を続けられている。ただあの方もお歳だ。いつ引退されてもおかしくない。」
「そっか……。」
現代における製錬技師需要は凄まじい。
専門学校がいくつも出来るほど成り手も多いし、この国でも、他国でも、年中仕事は取り合いで飽和状態だ。
だが、それは既存の製錬技術を扱える者が増えているだけであって、仙人のように第一線でルーンの研究をしている者――もっと言えば、研究が出来るだけの知識と技量を持った者はほんの一握りしかいない。
国認製錬技師が指の数しかいないのが何よりの証拠だ。
近年は特に製錬技師のレベルが全体的に落ちてきていると聞く。
母体数が増えればそれは自然な成り行きではあるが、このまま今の状態を放置してしまえば、仙人が引退した瞬間に魔法史は停滞するかもな。
「いいよなー、お前等は行ったことあって。俺も一度くらい行ってみてえよ、皇宮。」
オーツはカウンターに突っ伏して呟いた。
「おい、オーツ!」
「あっ……わりい……。」
しかし、ルクスの言葉で直ぐに起き上がってはオーツは俺の顔を見て俯いた。
「別に、お前ならいいよ。気にしてない。」
「そ、そうか……すまねえな。」
急に場がしんみりする。
一時の沈黙がだんだんと永遠にも感じてくる。この感覚には覚えがある――。
王都の遥か上空には浮遊島が浮いている。
それもルーンによって魔法で浮いているのだが、そこにはかつてこの世に魔法をもたらしたとされる皇家の一族が住む皇宮がある。
世俗とは隔離されたそこは、限られた者しか出入りすることが出来ないが故に、存在は知っていても実態を知る者は極々一部の人間だけだ。
だからこそ、あの事故は世俗に知れ渡っていない。
それは俺にとって唯一の救いでもあり、かつ誰からも責められないが故に、永遠に俺の中に燃焼しないまま刻まれた呪いでもあった。
「そう言えば、こっちに戻ってきてからあの子の所へは行ったのか?」
恐る恐るルクスが沈黙を破る。
その言葉に俺は深く溜息をついた。
「行けてたら苦労しねえよ。てか、何処にあると思ってんだよ。俺は今二級製錬技師だぞ。」
「気持ちは分かるが、それは言い訳だろ。その様子だと王にも会っていないんだろ?王に会えば、地位そのものは早々に取り戻せるだろ。」
「…………。」
ルクスの言い分に俺は何一つ言い返せなかった。
目の前のグラスを眺める。
この綺麗に透き通る丸氷のように、君の心も汚れを知らない程に透き通っていた。
そんな彼女の元に、雨の日のドブ水のように心を濁らせた俺が行っていいのだろうか。
あの日からずっと、魔法鎚を手にする度に、彼女に首を絞められている錯覚に襲われる。
そんな状態で、彼女の前に立つ自信が……俺にはない。
「皇妃陛下は未だにお前の身を案じておられる。あのガレリオ皇子だってそうだ。お前を責めようなんて奴は一人もいないんだ。」
ルクスはフゥと一呼吸置きながらジョッキを置いて口を開いた。
「だからもう自分を責める必要はないんだよ。いい加減戻って――」
「少し黙ってくれ。」
「……すまん。」
ルクスの言っていることは正しい。
それは俺も理解している。
だからこそ、きっかけはどうあれ王都に戻って来たんだ。だけど――。
「俺だって分かっちゃいんだよ。けど、そう簡単に割り切れる問題じゃねえんだ。」
「…………。」
再び場が沈黙に覆われた。
他の客も大勢いて、騒いでいる奴だっている。
なのに、どうしてこんなにも寂しいと感じるのだろうか。
「そ、そうだ!もっと面白い話しようぜ!ほらっ、ルイスちゃんの話とか!」
「誰だ、それは?」
俯く俺たちを励まそうとしてくれたのか、オーツがテンション高めに話題をすり替えて来た。
「こいつの弟子だよ。まだ16なんだけど、めっちゃ可愛いんだぜ。」
「ウェイに弟子!?」
それまでのしんみりとした空気が一変、ルクスは度肝を抜かれたように立ち上がって大口を開けた。
「だろ!信じられねえよなあ。」
「お前らなあ……。」
そんな正気を疑うような顔をされると流石に俺も傷つくぞ。
まあでも、二人には礼を言わないといけないな。
今ので少し頭がリフレッシュされた。
「でも……そうか。お前が弟子か。やっぱり昔とは変わったんだな。」
「どういう意味だよ。」
「別に、そのままの意味さ。他意はない。」
そんな急に優しい目を向けられると逆に調子が狂うな。
けど、俺が変わったのは自分でも自覚している。
それは偏に親父さんのおかげだ。
あの人に拾われなかったら今頃俺は――。
「でも、どうして弟子なんて取る気になったんだ?」
驚きが興味に変わったと言わんばかりにルクスは踏み込んできた。
「たまたま流れでそうなっただけだ。特に理由はない。」
「えー、他にも理由あんだろ?お前も意外と隅に置けないよなあ。」
「いや、そんな目で見てねえから。」
オーツのやつ、酔うとこうやって悪ノリしてくるからウザい。
これだけはこいつの嫌いなところだ。
「ホントかなあ?ねえねえ、ウェイさん、本当にそうなのかい?」
「殺すぞ。」
「まあ怖い。聞きました、ルクスさん?今この人、殺すって!」
「誰の真似だよ。てか、そのタイプのダルがらみは止めてくれ。マジでイラッとする。」
頭に怒りマークを付けているのに、それでもオーツはニヤニヤしっぱなしで止めようとしなかった。
今日は相当に出来上がっているらしい。マジで面倒くせえ。
「オーツ、その辺にしておけ。これ以上はマジでウェイが怒り出すから。」
「へーい。」
ルクスの助け舟でようやくオーツが諦めてくれた。
しょんぼりしながらちびちびとオパールハニービーを飲むオーツを、俺らは呆れつつも微笑ましく眺めた。
「さてっと――。」
束の間を置いた後、オーツがウトウトし始めたところでルクスが立ち上がった。
「もう行くのか?」
「ああ。明日朝早いからな。もう寝ないと起きれなくなる。」
「相変わらず朝には弱いんだな。」
互いに鼻で笑い合いつつも、その空気感に心を和ませた。
「また下りてくる時は連絡する。今日は久々にお前と飲めて楽しかったよ。」
「おう。聖騎士も大変だろうけど、頑張れよ。」
「ああ。それじゃあな。」
そう言って店を出て行くルクスを見送ろうとした矢先、その変わらない背中に当時の情景が忽然と浮かび上がった。
「なあ、ルクス。」
「ん?」
不思議そうに振り返ったルクスに、俺は一呼吸置いてゆっくりと口を開いた。
「あの子は、俺を恨んでいるかな……。」
「ウェイ……。」
彼女のことを共有できる人はほとんどいない。
少なくとも今の俺の周りにはルクス以外にはいない。
以前は周りの言葉なんて聞く耳を持つ余裕がなかった。
でも、今は違う。
今ならそれを真として受け入れることが、たぶんできる。
だから、自分ではない他人の言葉で聞いてみたかった。
「いや、悪い。変なこと聞いたな。」
けど、いざとなって途端に怖くなった。
他人の言うことを聞き入れる余裕が出来たからこそ、逆に否定されるのが怖い。
「ウェイ。」
ルクスは考えるように俯いた後、顔を上げて真剣な眼差しで俺を見つめてきた。
「俺にはそれに答えることは出来ない。」
「ルクス……。」
「だが、あの人は最後までお前を信じていた。俺も、他の皆も、勿論お前を信じていたが、それ以上に誰よりもお前のことを信じていたよ。」
その言葉に安堵する自分が確かにいる。
だが、何故だか胸はそれに反比例して苦しくなる。
「当時護衛役で外から見ていた俺には、お前と一緒にいる時があの人は一番幸せそうだった。お前にとってあの人がそうであるように、あの人にとってお前は大切な存在だったんだ、と俺は思う。」
ルクスの言葉を聞く度に胸に一層チクチクとした痛みが走り、目の周りがカッと熱くなる。
「あの最後を見た上で、あの人がお前を恨んでいるかどうかと聞かれたら、正直迷うし、絶対に恨んでないとは気休めだとしても言えない。だがそれでも、あの人はきっと後悔はしていない――そう俺は信じているよ。」
ルクスの言う通り、俺もそう信じている。
彼女はきっと後悔していない。
でも、だからこそ俺はずっと自分を許せないでいる。
「ありがとう、ルクス。お前に今日会えて良かったよ。」
でも、今はっきり分かった。
これまでは何となくそう感じたというだけだったが、やっとやるべきことが分かった。
国認製錬技師No.1と称されるエレキスター・ザブリエル――爺さんに勝って、俺の腕を世間に知らしめる。
そうして元の地位を取り戻し、その上で堂々と彼女の前に立つ。
「やってやる!」
期限まであと二カ月余り。それまでに売れるだけ売ってやる――。
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