episode.14 最愛なる妻へ。
「こちらが完成品です。術式を多少弄りましたが、ほぼ以前と同じ状態に復元してあります。」
ご婦人はルーンを手に取ると、手を回しながらそれの全体を眺めた。
「温かい光――綺麗ね。貰った当時を思い出すわ。」
ご婦人は目をうっとりさせて満足気に笑みを浮かべてくれた。
「喜んでいただけたようで良かったです。」
「本当にありがとう御座います。あなた方に頼んで正解でした。」
「そう言ってもらえると、こちらとしても嬉しいかぎりです。それでは依頼は完了ということで宜しいですか、ソフィーさん。」
「ええ、もちろんです。お代金も約束通り16万メルドお支払いします……って、あら?」
それまでグイッと上がっていたご婦人の口角は、そこで急に元の位置まで下がった。
「どうかしましたか?」
横にいたルイスが不思議そうにご婦人に問いかけた。
「私、あなた方に名乗っていたかしら……?」
「あっ。そう言えばお聞きしていませんでした!」
思い出したようにルイスは目を見開いては、ご婦人と一緒に俺の方を見つめてきた。
まあ、聞きたいことは大体想像が出来る。
「あれ?でも、そしたら先生は何でお客様のお名前を知ってるんですか?」
聞いてくると思った。
まあ、ルイスからしてみれば当然の疑問か。
しかし、ご婦人の方も分かっていない様子だが、だとすると俺の予想は外れているのか――?
「その疑問に答える前に一つ確認したいことがあるのですが、そのルーンはゴートンという方から送られたものではないですか?」
その名前を口にした瞬間、ご婦人は信じられないとでも言うように口を手で塞いで愕然とした表情を見せた。
「ええ、その通りです。このルーン式万年筆をプレゼントしてくれたのはゴートン――私の主人です。」
なるほどそう言うことだったか。
だからこのルーンにはあんな細工がしてあったわけか。
「でもどうして……。」
ご婦人は驚きと疑問で最早混乱しているようで、頭をふらふらさせている。
この様子だと、やはりこのルーンに隠されたメッセージをこの人は知らないようだ。
だとすれば、これは俺から伝えて良いものなのか――。
「失礼ですが、ゴートンさんは今どちらに?」
その質問をして直ぐに俺は〝しまった〟と思った。
ご婦人は物憂げに寂しそうな表情を浮かべていた。
その様子は正に愛する人を思う時のそれだ。
「主人は4年ほど前に病で亡くなりました。」
製錬技師に限らないが、こういった〝依頼を受けるタイプ〟の仕事では、依頼人の素性や背景にはこちらから深入りしてはいけないのが鉄則だ。
明らかに不審な場合は別だが、今回はそれとは違う。
そんなこと、この人がこのルーンにこだわっていることを考えれば容易に予想出来たはずなのだが――。
「申し訳御座いません。」
俺は猛省してカウンター越しに頭を深く下げた。
「い、いえ。良いんです。お顔をお上げになって下さい。」
戸惑うご婦人に益々申し訳ないと思いつつも、その言葉に痛み入りながら俺は頭を上げて椅子に座り直した。
「この万年筆は、主人がプロポーズの際に指輪の代わりにくれたものなんです。」
ご婦人はホッと胸を撫で下ろすと、若干顎を引いてから懐かしむように柔らかい表情を溢した。
「あれはもう60年くらい前ね。まだ私が10代の頃だったわ。当時東の帝国がこの国に侵攻してきてね、国は軍備に力を入れたの。その所為でこの国にはお金がなく、王は自らが主催の政治資金パーティーを開いたの。あの人と出会ったのはそのパーティーだったわ。」
その優しい口調は当時の情景を容易に想像させてくれた。
「第二次王都侵攻ですね。当時はまだ産まれていませんでしたが、全貌は歴史書で概ね存じ上げています。確か王国は防衛にかなり手こずったとか。」
「ええ。あの頃は今よりも魔物による被害が少なかったこともあって、周辺諸国は領土拡大に力を注いでいる所が多かった。帝国もその一つで、戦争は二年経っても終わらなかったわ。物価は上昇し、国民の中には困窮し、住まいを失う者も出てきていたわね。」
昔読んだ歴史書にも確かそんなことが書かれていたか。
産まれる前の出来事だが、ご婦人の気持ちの籠った話から当時のことが肌で感じられる。
「歴史書の通りなら、確か魔物の活発化が原因で停戦になり、その状態が長期化し、時の流れで終戦に至ったとか。」
「そうね。当時は今よりもルーンを製錬出来る人はずっと少なかったから、ルーンを日用品としてではなく武器として使うのが主流だった。それに、魔法もルーンだけではなく、魔法陣を描いて使うことも多かったから、発動に時間の掛かる魔法よりも武器中心で戦っていたこともあって、魔物へ対抗しながら戦うのは両国ともに困難だった。」
「なるほど。ルーンの在り様が現在までに至ったのは今から丁度60年前の産業革命時代。製錬技師が国から認められた職業として認知され、成り手が爆発的に増えたのはそれから少ししてだったはず。」
「ええ。貴方の仰る通りよ。国がそんな状況だったから、みんな生きることに必死だったわ。」
歴史を辿れば、帝国による第二次侵攻以来、王国は他国とは戦争していない。
帝国よりも更に東方にある小国間では年中紛争が絶えないと耳にするが、ここよりもルーンの製錬技術は大分遅れていると聞く。
ルーンの誕生は、魔法という概念を大きく変えた。
魔力を事前に注入するので、誰にでも同じ出力の魔法が使えるようになり、その発動も容易となった。
簡単な術式のものなら量産も可能で、何より武器に魔法効果を付与できるようにもなった。
汎用性も高く、人々の生活をより豊かにし、その様式を大きく変えた。
しかし一方で、それは歴史上で最も恐ろしい武器にもなり得てしまう。
今のところルーンを駆使した大きな争いは起きていないが、もしまた王国と帝国が戦争を始めれば、今度こそ魔法主軸の争いとなるだろう。
強力な魔法は国をも亡ぼすことを可能とする。
そうなれば死人がどうのという話ではなくなる。
下手をすれば人類が――世界が滅びかねない恐ろしい力になり得てしまう。
俺たち製錬技師は今後そう言ったことにも目を向けて行かなければならないのかもしれないな。
「えっと……要は、王様は経済を回そうと政治資金調達のためにパーティーを開いたってことですか?」
一人だけ置いてけぼりは嫌だったのか、ルイスが横槍を入れてきた。
「ええ。その通りよ。国民の貧富の差を解消する為に、王は富を持っていた貴族を集めてパーティーを開いたの。そこにあの人もいて、私達は出会ったの。」
「それじゃあ、ソフィーさんも、ゴートンさんも貴族だったんですか?それにしては……。」
ルイスはご婦人の装いを下から上へ舐めるように見つめた。
「失礼だぞ。」
全くこいつは……。
俺は軽いチョップをルイスの頭に食らわした。
「フフッ、構いませんよ。実際、今の私はどこにでもいるお婆ちゃんですから。」
「いえいえ。その溢れ出る気品は今もご健在ですよ。」
焦りながらもフォローを入れる俺に、ご婦人はクスクスと笑って流してくれた。
「すると、そのルーン万年筆はその時に?」
脱線しそうになったところで俺は話を本題に戻した。
「いえ、これを貰ったのはそれよりもずっと後です。パーティーで出会ってからその後何度かあの人からお誘いを受けまして、それから一年後に告白と一緒にこれを貰いました。」
一年か――。
ゴートン氏がこのルーンを製錬した頃は今よりルーンの製錬法は確立されていなかったはず。
貴族の出である事を考えれば独学で勉強する事も出来ただろうが、それにしても50年以上前にこれを作ったというのは天才と言う他ない。
だとすれば、やはりゴートン氏の想いは彼女にも伝えるべきだろう。
「ソフィーさん、先程の質問についてですが、私が貴女とゴートン氏のお名前を知っていたのは〝そのルーンにお二方のお名前が刻まれている〟からです。」
「名前が、ですか?」
俺の言葉に、ご婦人は首を傾げながらルーンに目をやった。
「どこにも書かれていないように見えますが。」
「お名前が彫ってあるのは術式の中です。」
「えっ――?」
「へっ――?」
ご婦人と一緒にルイスまで首を傾げた。
まあ、専門上がりたてじゃ、こんな特殊な術式はまず見ないだろうから無理もない。
「そのルーンに彫られている術式は、一般的なルーン万年筆と同じ〝流した魔力をインクに変える〟効果の魔法――【液体化】の術式です。」
「ええ、それは存じ上げています。」
「【液体化】の術式……ってことは、ルーン文字の配列って決まってますよね?名前を刻むなんてことできないと思うんですけど……。」
そう。ルイスの言う通り普通は出来ない。
【液体化】のルーン術式は、基本文字18文字と特殊文字2文字の第三順基礎配列によって構成された術式で、その組み合わせも3通りあるが、そのどれも決まった配列を持っている。
つまり、仮に名前をルーン文字に置き換えて入れようとしても、術式の中には当然組み込めない。
だが、それはあくまで普通なら、だ――。
「そのルーンに刻まれている術式には、〝組み文字〟が使われています。」
「組み文字?」
聞き馴れない単語に、二人とも首の角度を一層横に傾ける。
それもそうだろう。
組み文字型術式なんて国認レベルでも安易には扱えない代物だ。
知っている方がむしろ驚く。
「組み文字というのは簡単に説明すると、『ある一つのルーン文字を、全く同じ意味を持つ別の一文字、あるいは二つ以上の文字に置き換えたもの』のことです。」
「文字を置き換える?でも、全く同じ意味の文字だったとしても、術式を書き換えたら発動しないんじゃ……。」
「ああ。もちろん、どれもこれも置き換えられるわけじゃない。決まった文字にしか適用できないし、もっと言えば置き換えた後に術式のバランスを調整しなければルイスの言う通り術式が壊れて発動しなくなる。」
「そんなに難しい技術なんですか……?」
「はい。少なくとも一級製錬技師以上の腕がなければまず組めないでしょう。加えて、今回のは更に特別です。」
「と、言いますと?」
「組み文字型術式において、それが使えるパターン――その規則性は、今もなお見つかっていません。ですから、たとえ組み文字型術式が組める製錬技師であっても、過去に見つかって登録されているものしか使えません。ですが、ここに刻まれている組み文字は登録されたものではないんです。」
「えっ?じゃあ、このルーンの術式って――。」
「ああ。正直俺も鑑定した時は目を疑った。このルーンに刻まれている術式は未発見の術式です。論文で発表すれば、世紀の大発見としてゴートン氏の名前が歴史に刻まれるでしょう。」
愛故の奇跡か、はたまたゴートン氏がただ天才だったのか――。
彼が亡くなってしまった今、それを知る術はもうない。
だが一つだけ言えるとすれば、このルーンの製錬に彼が費やした月日は、間違いなく彼女の為だけに捧げられたものであるということだ。
「〝ソフィー・ルーテル・モウス・ミ・ゴートン〟――それが、この術式に刻まれたメッセージです。」
「どういう意味ですか?」
「北方の言葉で、ルーテルは【永遠】、モウスは【心】、ミは【私】を意味します。」
〝 ソフィー、君の心の中に私はずっといるよ 〟
訳すとしたらこんなところか。
ルーン文字の発祥である北方の言語を利用してメッセージをルーン文字に変換し、組み文字型術式を使ってそれを残す――。
組み文字にこんな使い方があるなんて思っても見なかったな。
それをルーンの有効性と両立して実現するゴートン氏の腕には感服するばかりだ。
「あなた……。」
ご婦人は万年筆を握った手を胸に当てて暫く噛みしめている様だった。
「今回は本当にありがとう御座いました。」
「いえ、こちらもいい勉強になったので。それに、俺の腕では完璧に復元することは出来なかったので、術式を多少弄ってしまっています。お礼を言われるどころか、寧ろ申し訳ありません。」
頭を下げる俺に、ご婦人は慌てて顔を上げるよう促しては逆に頭を下げられた。
「あなたにお願いしなければ、私は彼の言葉に気づくことすら出来ませんでした。本当にありがとう。」
その笑顔に、俺とルイスは心を洗われたように清々しい気持ちを覚えた。
「そういえばここに来る途中に耳にしたのだけど、このお店とエレキスターさんのお店は勝負しているとか。」
帰り際、ふと思い出したようにご婦人が振り返って聞いてくる。
王都中に広まっているとオーツから聞いてはいたが、いざ顧客に面と向かって聞かれると何だか恥ずかしい気持ちになる。
「ええまあ、成り行きで。こんなちんけな店で勝てるかは分かりませんが……。」
「それなら知り合いに宣伝しておくわね。最高の製錬技師さんがやっているお店があるって。」
「それは助かります。」
最後にお礼を告げご婦人を見送ると、倒れるように椅子に座っては深く息をついた。
「いい人でしたね。」
「ああ。歳の割に元気な方だったし、今後とも良くしてくれたら万々歳だな。」
「私、先生が言ってたこと少し分かった気がします。」
「あ?何か言ったっけ?」
俺がキョトンとした顔を向けると、ルイスはガックリ肩を落として呆れては、直ぐに気を取り直してこちらを見つめてきた。
「『ルーンは使用者と一緒に成長していく』って、そう言ってたじゃないですか。」
「ああ、それか。」
「ああって、そんな投げやりな……。」
溜息をつくルイスに、俺は天井を仰ぎ見ながらあのルーンの術式を思い返した。
「組み文字は、元々【斬】と【打】のルーン術式みたいに、共通するルーン文字が一つもない術式同士を何とか両方組み込むために編み出された技術だ。ゴートン氏があの術式を考えたのは、恐らく組み文字の概念が生まれたばかりの頃だろう。ゴートンという名は無名だし、それであれを作ったとなれば、たとえ偶然であっても天才と言わざるを得ない。まだ健在だったら是非会って見たかったもんだな。」
ソフィーさんは、論文は俺の名前で出していいと言っていたが、本当にそれでいいのだろうか――。
この術式が未発見のものであるのは製錬した本人が一番分かっていたはず。
当時に発表していたら組み文字の規則性が発見されていた可能性だってあったはずだ。
それでも公表しなかったのは、きっとあの術式が二人だけのものであり続けて欲しいと思っていたからなんじゃないのか。
「あーー!!」
そこで突然、ルイスが叫び出した。
人が頭を悩ませている時に、まったく……。
「何だよ、いきなり。」
「ああいや……その、疑問に思ってたことを話が進んでいく内に忘れてて、今それを思い出しただけなんですけど……。」
「疑問?」
「その……組み文字の術式について、それに気づいた先生の知識量には純粋に尊敬するんですけど、気づけたのは良いとして、未発見の術式をそもそもどうやって書き直したんだろうなって思って。」
なるほどな。まあ、当然の疑問か。
知識は勉強すればいくらでもつけられるし、本さえあればどうにでもなる。が、技術については一朝一夕でどうにかなるようなものではない。
にもかかわらず、どうして二級程度の俺にあのルーンの復元が出来たのか――。
ルイスのやつ、腑に落ちないって顔してる。
「もしかしてなんですけど、先生って国認製錬技師レベルの腕があるんじゃ――?」
「んなことねえよ。」
こいつは相変わらず感がいいな。
その感を少しでも魔石の精錬に費やしてくれたら気も休まるんだけどな。
「俺はただ無駄に長く製錬技師をやってるだけだよ。」
「それ何かある度に言ってますけど、説明になってませんからね。」
「んなことより、お前は早くまともな源魔石を作れるようになれ。手が止まってるぞ。」
「ムー……分かってます。」
ルイスは拗ねるように炉の方へドシドシ歩いて行った。
その様子に俺は気持ち安堵した。
別に俺の生い立ち自体は隠すようなものではない。
あいつかどうしても知りたいと言うなら教えてやるのは構わない。が、それよりも、それを教えるのにあの時のことを思い出すことの方が嫌だった。
彼女のことが脳裏に過る度に、今もまだ足が地に根を張ったかのように張り付いて動かなくなる。
その所為でどうしてもあと一歩を踏み出しきれないでいる。
俺はポケットに手を入れた。
その中で秘石を掴み、揉むようにしてその感触を噛みしめる。
エレキスターに勝てれば、きっともう一度胸を張って彼女の前に立つことが出来る。
そんな気がするんだ――。
「勝とう。」
ルイスには聞こえない声量で俺はポツリと呟いた。
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